2021年03月18日 10:11 弁護士ドットコム
「女性は話が長い」などと発言した森喜朗氏が批判を浴び、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長職を辞めました。後任に橋本聖子氏が就いてからおよそ1カ月が経っています。
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五輪をめぐるニュースの焦点は「観客数を制限するのか」「そもそも開催可能なのか」などに移っていますが、“森発言とその後の人事問題”についても、まだじっくり考えたい点が残っていないでしょうか。
森氏の辞任は日本のジェンダー差別を解消する“大きな一歩”になるのか。あらゆる人びとの“真の平等”を実現するためには、今どんな視点が必要なのか。
ジェンダー・セクシュアリティ研究を専門とする福永玄弥氏・東京大学大学院博士課程、非常勤講師(都留文科大学ほか)に考えてもらいました。(物書きユニット・ウネリウネラ)
――報道によると、問題になった2月3日の森氏の主な発言には、こんなものがありました。
≪女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる≫
≪女性っていうのは競争意識が強い。発言の時間をある程度規制しておかないとなかなか終わらないので困る≫
≪私どもの組織委員会にも、女性は7人くらいおられますが、みんなわきまえておられる≫
福永さんはこれらの発言をどのように受け止めましたか。
【福永】 確かに森氏の発言は「女性に対する蔑視」です。しかし、単にそれだけに留まる問題ではないと思います。
意図的かどうかは分かりませんが、日本オリンピック委員会(JOC)や東京五輪組織委はこれまで、意思決定を行う際のメンバーシップから女性を排除してきました。
実際、今月の組織改編が行われるまで、五輪組織委の30人以上いる理事のうち、女性は7人しかいませんでした。評議員は6人中1人にすぎません。
その事実をある種正当化するような論理として、森氏による「女性の話は長い」といった発言は流通し、受け入れられます。
つまり、“東京五輪という巨大なイベントを動かす重要な組織の意思決定において、女性は歓迎されない。むしろ本来なら女性は組織内にいるべきではない“ということを、「発話」という行為を通して広く伝えてしまった。これは深刻な差別発言だったと私は考えています。
――「森氏が女性を下に見ている」という個人の「ものの見方」の問題ではなく、もっと大きな組織的、社会的なレベルの問題であるということでしょうか。
【福永】そうです。森氏という五輪組織委のトップに位置する男性の口から、パブリック(公式)な場でそれが語られました。これはもはや個人的な「蔑視」ではなく、組織としての「女性排除の自己正当化」だと思います。
しかし、それと同時に、“排除されているのは必ずしも女性だけとは限らない”ということも考えるべきです。
――どういう意味でしょうか。
【福永】JOCや五輪組織委をはじめとする日本の組織は、男性を中心に構成されてきたという歴史があり、特に組織の上層部に行けば行くほどその傾向が顕著になっていきます。
このような「男性」を中心としたメンバーシップで構成される組織・集団を考える際に「ホモソーシャル」という概念が参考になります。「男子クラブ」を想像すればわかりやすいでしょうか。
「ホモソーシャル」という概念がもつ特徴は二つあります。一つは、“男同士の絆や連帯によって組織を成り立たせるために女性を排除する”という点。もう一つが、“男だからといってあらゆる男性を受け入れるわけではない”という点です。
もともとは男性同性愛者の排除を説明する概念でしたが、これを参考にして考えると、社会が承認する「男らしさ」を体現できる男性のみが、このクラブに入ることが許されるわけです。
――福永さんの言う「男らしさ」とはなんでしょうか。
【福永】たとえば現代日本の場合、「男らしさ」の条件とは、▽異性愛者である、▽結婚していて育児や介護といったケア労働を女性に完全に任せられる、▽したがってフルタイムで働くことができる、▽健常者である、▽大卒である、▽日本国籍をもっている、▽上下関係の秩序を壊さず自らすすんでそれに従っていく、などです。
日本の政治、特に今の自公政権では、そういう男性が重宝されています。そういう男性によって日本の組織が上から下まで作られているという状況があります。
――たしかに、福永さんが挙げてくれた「男らしさ」の条件を満たさない男性が、日本の政治の世界で活躍している姿は少ないように思います。
【福永】2月3日の森氏の発言は、女性に対する「蔑視」であり、「女性排除の正当化」ですが、だからと言ってすべての男性たちを肯定しているわけではありません。“森氏の発言に笑うことができるような男性”のみが、仲間に加わることを許されている。
同性愛の男性、トランスジェンダーの男性、何らかの障害をもっている男性、日本国籍ではない男性。さまざまなマイノリティ男性が今の日本では「周縁」に位置づけられています。
――その森さんが辞任し、橋本聖子氏が後任に就きました。この人事についてはどのように見ていますか。
【福永】先ほど言ったように、自民党に代表される日本の政治組織では、基本的に女性を歓迎しません。けれども、一部の女性に限って積極的に受け入れてきました。ホモソーシャルな組織に参入が認められる女性には特徴があります。
それは、“男性以上に露骨に「男らしさ」を体現できる女性である”ということです。自民党的な、強者による強者のための政治を、男性以上に露骨に体現し得る女性はむしろ積極的に、ホモソーシャルな組織に参加することが歓迎されます。
そうした女性を取り込むことによって、男性を中心とする組織も、「男女平等」に向けて努力している姿勢を強調することができるからです。
セクハラ的なコミュニケーションを許してしまうような橋本聖子氏は、そうした「日本の政治が認めてきた一部の女性」像を裏切らない人物と言えるのではないでしょうか。
その橋本氏の起用は、男らしさを求める日本の政治の相変わらずの論理です。こうした問題が起きても残念ながらそこは変わらないんだな、という風に思いました。
――森氏の発言について、「女性が差別されている」ということよりも、「あらゆるマイノリティーが排除されている」というところに、問題の焦点を当てた方がいいということでしょうか。
【福永】それは違います。森氏の発言はまず何よりも、「女性に対する蔑視であり差別発言」であるとして徹底的に批判しなければならないと思います。
「女性蔑視のように見えるけど、マイノリティーの男性も排除されていて、本質的にはもっと根深い問題で……」と言ってしまうと、女性に対する差別発言や女性たちの怒りを男性側が搾取してしまう構図に陥る危険性があります。
それは、やってはいけないことだと私は思っています。あの発言は、女性をターゲットに語られている以上、やはり女性に対する差別です。その軸をずらしてはダメです。
現に攻撃されている弱者が女性である以上、そこに最も注意を払って、きちんと批判しなければなりません。そのうえでどこまでできるか、ということだと思います。
女性が攻撃されているという事実をきちんと見据えたうえで、「でも問題はそこだけにとどまらないよね」というかたちで、男性も含めた「周縁化された人びと」の問題を含めて、日本の「男性中心社会」の構造を批判的に変えていくことが大切だと思います。
――森氏の発言に対して、ツイッターでは「#わきまえない女」という抗議のハッシュタグができ、批判の流れが作られていきました。こうした動きについては、どう考えましたか。
【福永】「#わきまえない女」という異議申し立ては成功した、と私は思っています。
森氏の発言をめぐる問題は、どうすれば日本の組織が変わっていけるのかという問題にたどり着きます。私たち市民は、JOCや五輪組織委の中で具体的に発言する身分を持っていません。そんな私たちができることは、批判の声を上げ続けることです。
「重要な意思決定の場から女性やマイノリティーを排除する組織の在り方を許さない」という声をきちんと上げる。その一つの表現が、「#わきまえない女」だったと思います。
今回、さまざまな批判の声が可視化され、蓄積された結果として、五輪組織委の新会長は女性になりました。重要な組織のトップに女性が就いたということは、日本社会が変わるターニングポイントの一つになると思います。
「あの五輪組織委でも女性がトップになったんだから」とか、「いくら女性の進出が遅れている日本でも、あんな発言をしたら徹底的に叩かれる。ああいうことは言っちゃいけないね」とか。そういう規範を下から作り上げることに成功したと思います。
これは、「#わきまえない女」に代表されるような異議申し立てがもたらした成果であると私は思います。
ただし、橋本氏の起用については先ほど指摘したようなことが言えます。新会長がどういう女性なのかを考えると、「日本社会が求める男らしさを体現する女性」に過ぎないのではないか。そういう意味では、女性がトップに就いたことを評価しながらも、組織構造としては変わっていない部分があることを同時に批判することも必要だと思います。
しかし、さらに言うと、「#わきまえない女」という異議申し立ての中にも、私は考えなければならないことがあるように思います。
――大きな成果を上げた運動だったけれども、その中にも課題はあるということですね。なんでしょうか。
【福永】「#わきまえない女」という異議申し立てを行う時、そこで語ることを認められている「女性」とはいったい誰なのか、という問題が問われるべきだと思います。
先ほど話した通り、男性を中心とする日本の組織もすべての男性を認めるわけではありません。フルタイムで働けるような、既婚の、異性愛の、健全な身体をもった、日本国籍の男性だけを認めてきました。
それと同じように、「女」「女性」というカテゴリーがいったいどういう多様性をもっているか、どういう差異(違い)を認めているか、ということも丁寧に見ていかなければいけないと思います。
なぜこういう話をするかというと、たとえばツイッターでは数年前から、「トランスジェンダーの女性は本物の女性ではない」というようなツイートが流れています。
近年「LGBT」に関する社会的理解が進んでいるようにみえますが、一方でトランスジェンダーの女性に対するとても悪質な攻撃ツイートが、一部のフェミニストや女性たちの間でも一定の支持を得て流通してしまっているという現状があります。
そしてトランス女性に対して「本物の女性ではないのだから身の程をわきまえろ」といった発言がツイッターで拡散されてきたことを思い返すなら、「#わきまえない女」というハッシュタグ・ムーブメントに対して居心地の悪さや排除されている感覚を持ってしまうマイノリティ女性がいるということも想像に難くはありません。
いまの日本社会の中でいったい誰が「女性」として語ることを認められているのか。そういう問題まで含めて考えないといけないのではないかと思います。ここは、今の日本の性差別に抗うムーブメントが丁寧に議論できていないところだと思います。
【物書きユニット・ウネリウネラ】
ともに元朝日新聞記者の牧内昇平(=ウネリ)、牧内麻衣(=ウネラ)による物書きユニット(公式サイト https://uneriunera.com)。牧内昇平は2006年、朝日新聞社に入社。経済部、特別報道部を経て20年に退社。現在は福島に拠点を置き取材活動を行う。主な取材分野は過労・パワハラ・貧困問題と、東日本大震災と福島原発事故。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』『「れいわ現象」の正体』(いずれもポプラ社)。牧内麻衣を中心に出版業(ウネリウネラBOOKS)も始め、2021年2月第一冊目のエッセイ集『らくがき』を刊行。