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2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2021年上半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
生きることを生きること
今週のおひつじ座は、「生命をきちんと生命として捉え」ていこうとするような星回り。
何もあえて殺害行為など行わなくても、私たち人間は大小さまざまな殺害に日々加担しています。もし他の生物をモノとして扱う代わりに、あらゆる生きものを平等と見なすなら、いかに日頃何気なしに凶行を働いているかが分かるのではないでしょうか。
そうして生がそれ自体として悪だとするのなら、あらゆる生き物たちが一斉にその命あることを謳歌する春という季節は、いくら美辞麗句やファンタジーで文化的に飾り立て、高度な隠蔽に心血を注ごうとも、ただ「生きる」ということが他の生き物のおびただしい数の死によって支えられているという紛れもない現実に、最も間近で触れていかざるを得ないタイミングでもあるはずです。
今週のあなたもまた、とんでもない背徳の悦びの追求者としてそんな「茶番」に参加していくことになるかも知れません。
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何かが去って何かが残る
今週のおうし座は、またひとつ自分が身軽になっていくような星回り。
「人入って門のこりたる暮春かな」の作者・芝不器男は26歳で夭逝し、わずか4年の句歴で名を残した天才肌の俳人。掲句の「門」にも、どうしてもそうした作者の人生が重ねられていきます。「暮春(ぼしゅん)」と言えば普通は春という季節が終わろうしている頃合いを指すので、「春の夕ぐれ」という意味にも取れるかと思います。
ある春の日の夕ぐれ、とある屋敷の「門」に「人」が入っていく。その後には、取り残されたかのように「門」がそこにあるだけである。入った「人」が誰であるか定かではありませんが、掲句を詠んだとき、すでに作者は福岡の大学病院の病床についていたことを考慮すれば、おそらく「去る者は去っていき、残るものが残った」という感覚だけがここでは純粋に置かれているのではないでしょうか。
あなたもまた、掲句の作者のように、もはやこれからの自分には不必要なディティールや設定をぬぐい去っていくことがテーマとなっていくでしょう。
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歩行から舞踏へ
今週のふたご座は、天使も踏むのを恐れる一歩を踏み出していくような星回り。
「散文から詩への、言葉から歌への、そして歩行から舞踏への移行」とは、詩人・ポール・ヴァレリーの断章集「一詩人の手帖」(松田浩則訳)からの引用。詩はロマンティックな修飾語の多用によって詩となるのではなく、もろもろの観念のうち散文の中には置いておけない部分が詩と呼ばれるのです。
つまり「思考のあまりに活発で、あるいは律動的で、あるいは無反省な動きのなかでしか可能ではない観念」が自然と散文とは異なる形態を伴っていくというわけ。彼は「この瞬間は行為であると同時に夢なのだ」と述べていますが、それは行為が「わたし」という主体の占める場所に取って代わり、行為の最中で「わたし」を見失い、別の場所に再び「わたし」を見つけるという、喪失と回復とが詩にはつきものだということではないでしょうか。
逆に言えば、最初に計画を立ててそのあとをついていくのであれば、それは詩ではなく説明文であり、例えば青い鳥を探しに行くというおとぎ話もまたそこでは成立しないのです。あなたもまた、平板な言葉の記述ではなく思い切った主体の飛躍を試みていくことになるでしょう。
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生まれ変わりへの助走
今週のかに座は、対人生の節目を迎えるための通過儀礼を済ませていくような星回り。
「赤き馬車峠で荷物捨てにけり」(高屋窓秋)は無季の句ですが、どこか春らしい陽気と切なさを感じさせる一句。「赤き馬車」が里から峠まで積んできたせっかくの「荷物」を「捨てにけり(捨ててしまったことだなあ)」という。理由は書かれていませんが、少なくともそんな光景が遠くに見えた時、作者の中で何かがストンと腑に落ちたであろうことは間違いないでしょう。
人生の途上で、理由もなしに大事な何かを突然捨てたくなって、捨ててしまった。直感的で出たとこ勝負のかに座の人たちというのは、人生のシーンの変わり目において、往々にして自分の半身のような存在を置き去りにしてしまうのではないでしょうか。
古来より峠には魔物が棲むと言われますが、「峠」=人生の境い目に差し掛かった者は、およそ人が行ったとは思えない魔物のような所業を人知れず行ってしまうものなのかも知れません。あなたもまた、一つの終わりを経験していくことで、次なる目標へと進み始めていくことでしょう。
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日常を哲学する
今週のしし座は、ハンデを負いながら新しい道を開拓していこうとするような星回り。
俳句というのは決して王道を歩いて真っ向勝負をする代わりに、いったん離脱するとか、斜めから切り込むとか、そういう対抗するものとしての本質がある芸術。俳句に哲学性と技巧性を持ち込んで高度に結晶化させた松尾芭蕉などは、あえて旅に生きる漂泊に徹することでその境地を深めていきました。
時代が進むにつれその流れが難しくなっていった中、正岡子規の場合は長い病床生活こそがその鍵に。亡くなるまでの7年間は根津の一軒家でほとんど寝たきり生活を送りましたが、生活空間が極端に狭まったことを逆手にとりました。実際には見えるはずのない庭の光景を詠んでいくことで、芭蕉とは異なる道を開拓していったのです。
いずれにせよ、新しい道を開拓していく際には、何らかのハンデを負いながらやるというのがやり方の常だった訳ですが、根っからの芸術家肌であるしし座もまた、資本主義が極まった現代において芸術に対して最初からハンデを負っているのでは。あなたも自分なりの対抗的アプローチを見出していくことがテーマとなっていくでしょう。
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無頼の春
今週のおとめ座は、不意にみずからの業のようなものが展開されていくような星回り。
「祝ひ日や白い僧達白い蝶」(小林一茶)は文政元年、作者56歳の頃の作。「白」が効果的に使われることで、この「僧たち」はいささか面妖であり、蝶は可憐であるばかりでなく、誰かの生まれ変わりかと思わせるような化なるものの気配を漂わせる。明るく穏やかながら、どこか死が濃厚に薫る春の魔性が句全体から感じられるのではないでしょうか。
いったいどういう意図でこんな句を詠んだのか。はっきりしたことは分かりませんが、晩年になって結婚した作者は2年前に待望の長男・千太郎を生後一カ月足らずで亡くし、そしてこの年に長女さとを得たものの、やはり生後まもなく亡くしています。
うがった見方ではありますが、掲句そのものに、長い沈黙のあと虚ろな表情でポツリとつぶやいた一言のような独特の質感があることからも、身の内に巣食う業(ごう)の深さに諧謔をもって向きあった一句なのではないかと考えてしまいます。あなたも、そんな作者のように認めざるを得ない現実を受け入れていこうとしているのかも知れません。
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心むなしく知を改める
今週のてんびん座は、虚心で他者を受け入れぶつかり合う「遊び」の時空を切り開いていくような星回り。
江戸後期、各地の藩校の抱えていた共通の課題は、身分制度のぬるま湯に浸かっていた上級武士の子弟たちに学問への意欲を湧かせること。そこで全国の諸藩の優秀な遊学生が集まった昌平坂学問所を皮きりに採用・制度化され、普及していったのが「会読」でした。
会読とは文字通り「公開の場で共同で声を出し合いなされる読書」のことで、その後明治時代まで中頃まで隆盛していくことになるのですが、それは「素読」と呼ばれるテキストの丸暗記の過程を終了した上級者同士が「一室に集つて、所定の経典の、所定の章句を中心として、互いに問題を持ち出したり、意見を闘わせたりして、集団研究をする共同学習の方式」(石川謙『学校の発達』)だったようです。
現代社会では、読書は静かな場所で孤独に行われるすぐれて内面的な行為とされますが、日本でも明治初期までは黙読ではなく音読が主流だったのであり、他人のために朗読することは日常のそこかしこで頻繁に見られる光景でした。あなたも誰かと一緒に、誰かのために活動していくことの楽しさ嬉しさを改めて見出していきたいところです。
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自然な雑然
今週のさそり座は、心と体のバランスを整えていこうとするような星回り。
「春昼(しゅんちゅう)に体を入れて立ててをり」(あざ蓉子)の「春昼(しゅんちゅう)」とは春の昼、その春特有のどかな時間の流れを指す言葉。ただ掲句では「体を入れて」とあるように、まるでそんな語を空間を表わす言葉であるかのように用いています。大人のからだが納まってしまう巨大な水槽が、実際にここではないどこかにあるかのように。
それは作中主体である意識とはどこか別の領域へと体だけ切り離されて、体は体で自身を「立てて」いるのだと言うのです。これはどこか眠気を誘う春という季節のけだるい気分を、目の前の実景を詠む客観写生という俳句の伝統を離れて、純粋な言葉による組み立てのみで一句に定着させたことと併せて、見事に表現されているのではないでしょうか。
つまり、一見アクロバティックな離れ業をやってみせたように見せながら、その実、心と体がふわりの別の次元に離れつつ存在している感覚を至極まっとうに描いてみせているのではないか、と。あなたもまた、みずからの心身の訪れたかすかな変調をきちんと過不足なく捉えていくことがテーマとなっていくでしょう。
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現を抜かす
今週のいて座は、俗世の煩わしさから離れて、ディープな遊びにかまけていこうとするような星回り。
同時代の有名詩人である王維や李白、杜甫などより一回り年上で、尊敬され慕われていた人物こそ孟浩然(もうこうぜん)。彼は役人になるための科挙に受からず、世間的には不遇の一生を送りましたが、年下の詩人たちからはその人柄や才能を愛され、孔子の「夫人(ふうし)」という弟子たちからの呼称になぞらえ「孟夫子」と呼ばれていました。
李白が孟浩然に贈った詩のなかに「風流天下聞こゆ」とあったように、彼は俗世間的なことにわずわらされず、自由奔放に生きて詩歌や芸術の世界に浸っていく、スケールの大きさで世に知られ、当代一の風流人とされていたのです。そんな彼の最も有名な漢詩が「春暁(春の明け方)」でしょう。
冒頭、いつ夜が明けたのかわからない寝起きから。前半二句は朝の光景、三句で場面を転じて昨夜のことを詠い、最後の四句目で全体を結ぶ。ちなみに「多少ぞ」は「どれくらい(花が散ったの)だろうか?」という疑問形であり、簡潔ながら余韻を豊かに味えるはず。あなたも、たまには夜遊びにうつつを抜かしてみるのも悪くないでしょう。
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250年くらい生きるつもりで過ごしてみよう
今週のやぎ座は、みずからの心境や気持ちの変化にゆっくりと気付いていくような星回り。
「蕗の薹(ふきのとう)」は春を告げる風物の一つで、天ぷらにすると独特の苦みを感じるもの。これは蕗の花の芽の部分で、地上に現れたところを摘んで料理に使うのです。「蕗の薹見付けし今日はこれでよし」(細見綾子)はそんな蕗の薹を見つけて、きっと春そのものをつかまえたような気分になって、心ひそかに満足しているところなのでしょう。
地味な情景ではありますが、ラットレースのようにつねに慌ただしく次の予定やタスクに追われ続けている現代人にとって、そう遠くない未来の兆しを一つ見つけただけで「今日はこれでよし」とする作者の潔さにハッとさせられるものがあるはず。
これは逆に言えば、日常のなかに何らかの兆しや符牒を見付けるということを、ひと昔前の人たちは現代人が想像する以上に重く受け止め、とても大切な営みと見なしてきたということでもあるのではないでしょうか。あなたもまた、行動を急ぐ代わりに心に差し込むちょっとした兆しをじっくりと味わっていきたいところです。
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不思議な<関わり>
今週のみずがめ座は、新たな興味・関心が湧きおこっていくような星回り。
世に、関わりほど不思議なものはありません。振り返ってみれば、ささいなきっかけで関わったものによって今の自分がここに在る、ということも非常に多いはず。そう考えると「わたし」というのも一種の虚像であり、さまざまな関わりや結びつきこそが実体なのだという気さえしてきます。では、どうしたら数ある関わりや結びつきの中でも、特に決定的な関わりが成立し得るのでしょうか?
ヘブライ語には「ザハル」(心に留める・記憶する)という動詞がありますが、この語は聖書の洪水神話にも登場します。「そして神は、ノアと、彼と共に箱舟の中にいたすべての生き物と家畜とを心に留められた」(創世記8・1)この神とは、洪水によって全人類を滅した神さまですが、ノアだけは例外でした。風を送って地を乾かし、天の窓を閉じて雨を止めた。そしてノアを箱舟から招き出し、二度と洪水は起こさないと“約束”したのだといいます。
さらに初めて肉食することを許し、これらの契約を「心に留める」印として雲の中に虹を置いたのだとか。この一連の物語のなかで、「ザハル」は何度も使用されており、いずれも「覚えておく」「決して忘れない」というニュアンスが含まれていました。あなたもまた、ふいに訪れる<関わり>のなかに見えざる神の介在を感じてみるといいでしょう。
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闇との戯れ
今週のうお座は、「腑に落ちる」まで何度も感じ直していく中で覚悟を決めていくような星回り。
「灯をともす指の間の春の闇」(高浜虚子)は、作者が85歳頃の句。死の一カ月ほど前から、作者は春の闇について繰り返し詠っており、同時作には「テーブルの下椅子の下春の闇」などがあります。「灯をともす指のあいだ」「テーブルの下」「椅子の下」、どれもふつうの感覚ではなかなか拾わないような、ごく些細で周辺的な場所を丹念に拾い上げ続けていることに気が付いてくるはず。
「春の闇」という、どこかぼんやりとして形なきものを、まっくろくろすけのようなある種の塊りとして詠んだ作者は、恐らく自分の死期が近いことを感じとっていたのでしょう。
まわりをつい目で追い、肌で感じた死の影をできるだけ大仰な心理をはさまずに独り句の推敲を重ね、遅き日を過ごしていただろう老人の後ろ姿に、俳人としての生き様を貫き通す虚子の凄味を感じざるを得ません。あなたもまた、何度も頭をよぎった予感や不安をしっかりとおのれの臓腑に落としていくことがテーマとなっていくでしょう。
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