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オーラル山中拓也が語る、初エッセイで伝えたかったこと「どんなクズでも這い上がれる」

2021年03月13日 09:01  リアルサウンド

リアルサウンド

山中拓也

 THE ORAL CIGARETTESの山中拓也が、自身初の著書『他がままに生かされて』を3月2日に発売した。本作は、発売日に30歳の節目を迎えた山中拓也が、自らの人生を振り返り、その経験をもとに現代を生きる人々にエールを送る内容となっている。


 努力することの大切さ。才能の有無は関係ない。消し去りたい過去も今の自分に必要な経験であり、自分の言葉でしか語れない教訓がある。家族や友達、仲間の存在。これまでの人生を振り返って、ここまで来られたのは自分ひとりの力ではなかったと彼は語る。きっと誰もが、”他がまま”に生かされている。


 本作に綴られている山中拓也の人生は、多くの人の人生とは重ならないかもしれない。けれど山中拓也は、一貫して、勝つまで粘り続ける強さを伝えてくれている気がする。そして、インタビューで語られるまっすぐな言葉は、あらゆる人に向けられていると感じたのだ。(とり)


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■「他がままに生かされて」の意味


――本作は「勉強よりも好きなことをやれ」ではなく、ちゃんと「受験勉強はやった方がいい」と書かれているなど、ある意味ミュージシャンらしくないエッセイ本だと思います。このようなメッセージを書いたのはなぜですか?


山中:学生時代は、受験に失敗したら人生が終わるみたいな風潮があるじゃないですか。でも、実際は受験に失敗したくらいで人生は終わらないし、たとえ落ちたとしても、合格に向けて努力した事実は必ず今後の力になる。だから、受験勉強を頑張ることには意味があるんです。そのように僕自身も学生時代に言われたかったなと。だから書きました。そう言われたら、もっと楽しく勉強に取り組めたのにって。僕もテストや受験に苦しめられた記憶が強くて、いまだにテストの前日に勉強できてなくて焦る夢を見ることがあるんですけど、今思うとあのとき頑張ってよかったなって思っているんですよ。


――いまの活動にも生きていると。


山中:はい。sin,cos,tanとか全く覚えてないですけど、目標に向かって努力し続ける忍耐力はバンド活動において生きている実感がありますね。もし、いま目の前の受験に向き合えない人は、受験以外のことに対しても同じように目を背けてしまうと思うんですよ。だから、落ちたら人生終わりって気負う必要はないけど、諦めずに努力する大切さを知ってほしいですね。


――中学生の頃も、ヤンチャをしつつも塾には行かれてましたよね。普通ならサボっちゃいそうですけど。


山中:当時は塾が唯一、親に対して筋を通せる場所だったんですよね。それに、小学生の頃は親に言われてドリルをやらされていたので、その頑張りが消えてしまうのはもったいないって気持ちもあったと思います。


――親や先生から言われたことを素直に受け入れるところも山中さんのいいところだと、読んでいて思いました。そして関わってきた先生たちが、みなさんとても熱心な方々でした。


山中:周りの人たちには、本当に感謝しかないですね。必要なタイミングで大切な言葉をかけられて、誰かの協力があって今がある。僕だけの力では、ここまで来られなかったと思います。泣き虫だった幼少期、親父に「その髪型がよくないんだ!」って言われて半ば強引に美容院に連れて行かれて、角刈りにされたことも感謝すべき思い出です(笑)。当時は訳がわからなかったけど、もしあのとき角刈りにされていなかったら、僕は今も泣き虫のままだったかもしれないですから。


――そのエピソード、とても面白かったです。ファンキーなお父さんですよね。


山中:基本は無口な人なんですが、例えば「今何時や?」って聞かれて、時計を見たら7時55分くらいだったので「8時やで」って答えたんですよ。そしたらすぐに「55分やないかい!」って背負い投げされたり(笑)。学生時代、警察に補導されたときも、めっちゃ怒られるって思ったら「いっそのこと刑務所入ってまえ」って笑いながら言われましたし。本当に掴みどころの分からない人です。


――今、お父さんとの関係は?


山中:最初はライブにも全然来てくれなかったです。メジャーデビューから3年後に日本武道館でライブをしたときも無反応でしたが、翌年、大阪城ホールでライブをやったときに初めて見にきてくれましたね。今では、実家に帰ったとき一緒に飲みに行って話をするくらいの仲になりました。なんだかんだ言っても、親父は頭がいいし尊敬する部分がたくさんあるので、大事な話が聞けるのはありがたいです。


――現在、「酒将軍」という居酒屋をやられている、中学生の頃の友人もすごかったですね。店名も最高です。


山中:彼はマジでヤバいです。漫画の『花の慶次』大好きな男で、自分が入院中で死にかかっていたとき、誰も病室に入れる状態じゃなくなったんですよ。それでみんな帰ったんですけど、彼だけは「いや入れてください」と無理やり入ってきて、枕元に『花の慶次』を全巻置いて帰ったらしいんですよ。何のメッセージ?という(笑)。


――助かったあと暇だと思ったのかもしれないですね(笑)。そのエピソードも含めて、タイトル通りの人生ですよね。このタイトルにはどんな意味があるのでしょうか。


山中:最初はタイトルを「七転び九起き」にしようと思っていたんですよ。小学生の頃、野球部の監督にもらった言葉で、「拓也は7回転んでも9回起き上がってくるやつだ」って意味があるんですけど、制作を進めていくうちに、もっとふさわしいタイトルがあるかもねって話になって。


 でも、その作業の中で担当の編集さんに「他人の話がよく出てきますね」「自分以外の”他”の存在を大切にされてきたんですね」と言われたことをきっかけに、「他がまま」という言葉が出てきました。そこに僕がずっと持っている「生かされている」という感覚を組み合わせて『他がままに生かされて』になりました。なのでこのタイトルも、僕だけの力で生み出されたものではなく、他人の言葉を受け入れて生まれたものなんですよね。


■自分にしか書けないエッセイ


――20歳の頃に大病を患って生死をさまよったエピソードは驚きました。いまだに原因が分かっていないんですよね。


山中:はい。今でも帰省したとき、当時入院していた病院で検査を受けることがあるんですが、診てくれていた先生に聞いても「医療は進歩したけど、あのときの拓也くんの病気の原因も、なぜ治ったかも分からない」って言われますね。今はバンドを組んで活動しているって話をしたら「CD買いましたよ」って。本当に今生きていることが奇跡みたいなもんですよ。


――検査のための手術もされていたと。


山中:開いたら何か分かるかもしれないって理由だけで2~3回手術しました。冷静に考えると、そんな手術のやり方ある!?って思いますけど(笑)。当時はワラにもすがる思いでしたね。


――声帯ポリープができたときに処方されたステロイドも、後遺症が大変そうでした。


山中:気持ちが鬱っぽくなるんですよね。僕の場合は顔にデキモノができて、人前に出る仕事やのに管理できてないって叩かれて大変でしたよ。めっちゃ病みました。


――本作では、そのような経験の全てが山中さんらしい言葉で綴られているので、引き込まれました。文章を書くことに関して、影響を受けた人物はいますか?


山中:文章も歌詞もそうですけど、特にいないんですよ。ただ、読者の方に僕の人格を想像してもらえるよう、語尾の細かいところまでチェックして修正しました。少しでも人生の学びにつながってほしいという思いもあるので、上から目線の文章だとムカつくじゃないですか。僕もそういうの気になるタイプなので、自分が伝えたいことを気持ちよく受け取ってもらえるよう、言葉には気をつけましたね。


――ちょっと上から目線にロックスター口調で語るのもアリだったと思いますが、そこは山中さん自身の言葉でってことですね。


山中:僕にその口調は似合わないし、僕がやってもカッコよくないと思うんですよね。それに、自分らしい方がロックな気がしますし。読んでて違和感のある言い回しは、なるべく修正しました。


――文章に山中さんの性格が出ていると思います。メンバーのみなさんが寄せられた作文も個性的ですよね。仲のよさが伝わってきました。


山中:文体にキャラクターが出てますよね(笑)。改めて、こいつはこんな性格なんやなって再確認できました。みんな、付き合いが長いからこそ、面と向かっては言えないことを書いてくれていますね。本の情報が解禁されたときも、みんな予約してくれたみたいです。本当に、ありがたいですね。


――みなさんいいことを書かれているのに、山中さんはメンバーに対して「こいつは俺のことをいじめてて」と暴露しているのも面白かったです。メンバー同士でぶつかった話などもすべて赤裸々に書かれていましたね。


山中:そうですね。そこもちゃんと書かせてもらいました(笑)。「いじめた方は覚えてないからな」って、最近は本人にも言ってるくらいです。そこも含めて、自分のエッセイ本は自分にしか書けないですし、一生残るものだから、嘘は付けないですよね。話せることはなるべく全部、包み隠さず話そうというテンションで挑みました。


――学生時代、パチンコやスロットに熱中していたことも。ちなみに当時やっていた台は?


山中:「緑ドン」か「エヴァンゲリオン」に行って、データが取れないときは「ジャグラー」でしたね。勝つために毎日データを取りに行ってました。ってこれ何の話ですか(笑)⁉︎


――いや、そこでちゃんとデータを集めるというのが、山中さんらしいなと(笑)。運任せにしないところが。そして、本作に掲載されている写真も山中さんらしい素敵な写真がいっぱいでした。


山中:最後の方に載っている写真は、フォトグラファーの江隈麗志さんとの作品で、この4~5年の間に撮り溜めていたものを載せています。最初の方の写真も江隈さんに撮っていただいたもので、去年の11月くらいに地元の奈良で新しく撮り下ろしていただきました。表紙は僕がとてもリスペクトしているフォトグラファーの中野敬久さんに撮っていただいて、ほかの写真はうちのアートチームが急遽集まって撮った写真です。全て深い関わりのある人たちに撮ってもらった写真なので、思い入れがありますね。


■人生が詰まった一冊


――本作で改めて人生を振り返ってみていかがでしたか?


山中:実はこれまでも、人生を振り返る作業は頻繁にやっていました。デビュー前、何万といるバンドマンのなかで頭ひとつ抜きん出るにはどうしたらいいか考えたとき、自分の人生を振り返らないとボーカリストとしての説得力が出ないという結論に至ったんですよ。自分に起きた出来事は全て今の自分を形成する要素なので、向き合いたくない過去も含めて、振り返らなければならないと思っていましたし、引き出しはたくさんありました。今回のエッセイ本を通して、引き出しをより細かく区分けして整理した感覚ですね。


――それこそ、売れるために必死に行動してきたことも、包み隠さず書かれていますね。


山中:音楽業界に関わらず、どの社会においても甘い話って絶対にないじゃないですか。僕は学生時代にヤンチャしていた時期もありますが、何も考えずにただ好きな音楽をやって、運よくここに辿り着いたわけではないので、そこはリアルに書きたかったんです。自分には才能がないって思うなら、人の何倍も考えて行動しないと道は開けないんですよ。僕は、売れることを目標に計画を立てて、それを実行してきたから今があるし、何事においても運や才能がなければ絶対に叶わないなんてことはないと思います。


――読者に響く部分だと思います。最後は新型コロナによる自粛期間のことも書かれていますが、やはり影響は大きかったんでしょうか。


山中:よくも悪くも、人間の汚い部分があぶり出された一年だったと感じましたね。今まで見えにくかったものが見えやすくなったということだと思うんですけど、その表に出ない実情を知る大切さを実感しました。そのなかで、生きている間に何をするべきなのか、音楽が人々にとってどんな存在であるべきか、改めて自分の人生や音楽に向き合うきっかけになりましたね。


――インプットの時間があったおかげで曲が作れたと、前向きなことも書かれていましたが、本作を読ませていただくと、ライブに対する思いが強い印象も受けました。ライブができないことに関してはどうですか?


山中:苦しかったですね。ライブができなくなることで、業界的な勢いが目に見えて下がりましたし。ただ、そこで文句を言って何もやらないのは性に合わないので、自分がワクワクすることを始めたり、ファンが楽しめる新しいエンターテインメントを考えたり、自分たちなりに全力を尽くして活動できたので、充実はしていました。昨年、緊急事態宣言が出された時点で、最悪2年はライブできないなと思って見ていたので、焦りはなかったです。まあ、これが4年、5年と続いたら、さすがに無理って思いますけどね(笑)。


――2年も先を見ていたのはさすがです。本作は過去から現在まで、山中さんの人生が詰まった一冊ですが、読者に感じてもらいたいことは何ですか?


山中:どんなクズでも這い上がれるんやでってことですかね。僕はずっと自分がクズだと思っていましたし、きっと世の中のほとんどの人が弱さを持って生きていると思います。でも、どれだけ弱い人間だったとしても、何かをきっかけに一生懸命努力ができたら、それがいちばんカッコいいですよね。ダサい生き方をしてきた僕でも、今ここにいて、お客さんの前でライブすることができている。クズでも這い上がれるっていうのは、僕の人生を持って証明できたことなので、読んでくださった方に勇気を与えられたら嬉しいです。


(写真=髙橋慶佑)