2021年03月12日 21:01 リアルサウンド
※本稿には、『呪術廻戦』(芥見下々)および、『呪術廻戦 公式ファンブック』 の内容について触れている箇所があります。未読の方はご注意ください。
夏油傑は、被害者なのかもしれない。『呪術廻戦』について思考を巡らせていると、そんな風に思ってしまう。
順調に術師としてのキャリアを積み重ねていたが、呪霊を取り込み続けなければいけない苦しさ、弱者(=非術師)の醜悪、術師というマラソンゲームの不透明さに嫌気がさして闇落ち。
その果てに親友である五条悟に殺されてしまったのだ。そこで終わりかと思えば、体を乗っ取られてしまっている。そんな彼の人生を振り返ってみると、「彼もある種の被害者なのでは」と思わざるを得ない。だからこそ、作品上敵であっても夏油のことは憎めないのではないだろうか。
そもそも、「夏油傑」というキャラクターは3人、厳密に言えば2人+α存在すると考えたほうがいい。1人目は、高専時代の夏油傑。当時は「呪術は非術師を守るためにある」と考え、五条がそれを否定する側だった。唯一無二の親友であった五条とは対等で、切磋琢磨し合い、時にぶつかりながらもうまくやっていた。公式ファンブックによると、むしろ五条が夏油の判断を善悪の指針にしていた、というくらいだ。だが、伏黒甚爾との闘いの後に五条が覚醒。五条と夏油の間に大きな実力の差が生まれてしまう。
こうして疲弊していたところに現れたのが、特級呪術師の九十九由基。彼女に「非術師を見下す君 それを否定する君 これらはただの思考された可能性だ」、「どちらを本音にするのかは 君がこれから選択するんだよ」と言われたことが、もしかするとトリガーになっていたのかもしれない。
旧■■村の任務の際、非術師の醜さに嫌気が差し、非術師を皆殺しにするべく闇落ちしてしまうが、ここからが2人目の夏油と言える。夏油の高専生時代を描いている「懐玉編」「玉折編」で一番初めに登場した時、「悟 弱い者イジメはよくないよ」と言っていたにもかかわらず、その弱者を切り捨てる選択をした夏油。180度考えが変わってしまったのは、彼が究極に真っ当だったからなのかもしれない。真っ当だったからこそ、理想と現実の大きな乖離に耐えられなかったのではないだろうか。
呪術界に謀反を起こした夏油は、特級過呪怨霊・祈本里香を手にするため新宿と京都で百鬼夜行を実施。乙骨憂太と対峙して痛手を負ったところで、五条にとどめを刺されてしまう。だが、その後「史上最悪の術師」と言われ、特級呪物「呪胎九相図」を生み出した加茂憲倫に体を乗っ取られてしまうのである。この“偽夏油”が3人目、+αの夏油というわけだ。
1人目は非術師を守るために、2人目は呪術師のみの世界を創るために、3人目は自分の可能性の域を大きくはみ出すほどの呪術全盛の平安の世を創るためにと、それぞれ目的があった。その善悪は別として、各人にとってはその目的こそが正義である。特に2人目までは、心情の変化の細かな描写があるからこそ、彼の行動に理解が追いつく。我々も生きていく上で大なり小なり考えが変わることはあるだろう。だからこそ、五条にとどめを刺されるまでの心境の移り変わりと苦しさに、同情と共感のような感情を抱いてしまうのではないだろうか。
ひと言で語り尽くせない夏油が、人気キャラなのも納得だ。この先、夏油あらため加茂憲倫がどうストーリーに関わってくるのだろうか。本物の夏油にとっても、封印されてしまっているかつての親友の五条にとっても、そして主人公の虎杖悠仁にとっても。全ての登場人物にとって良い形となる世界が広がることを、期待したい。