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『鬼滅の刃』愈史郎こそ鬼殺隊勝利への立役者だーー大切な人への愛が繋いだ希望

2021年03月11日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『鬼滅の刃』愈史郎こそ鬼殺隊勝利への立役者

※本稿には、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の内容について触れている箇所がございます。原作を未読の方はご注意ください(筆者)


 『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の第2巻、愈史郎(ゆしろう)というキャラクターが初めて物語に登場した時、どちらかといえば謎めいた美女・珠世の添え物のような存在だった彼が、のちに、鬼殺隊と鬼たちとの最終決戦の場――無限城であれほどまでの活躍を見せることになろうとは、(作者以外の)誰にも予想はできなかっただろう。というよりも、ある意味では、彼の奮闘と異能(後述する)なしには、鬼殺隊の勝利はなかったといっていい。


 かつて重い病にかかっていた愈史郎は、医術に精通した珠世の手で鬼になったという過去を持つ。珠世の正体は鬼――それも、自らの身体を改良することで鬼舞辻󠄀無惨(注1)の呪いから逃れることができた稀(まれ)な鬼なのだが、愈史郎を鬼にする前にこう問いかける。


注1……「最初の鬼」にして、鬼殺隊にとって倒すべき敵の首領。



生きたいと
思いますか?
本当に
人でなくなっても
生きたいと
(中略)
人でなくなることは
…つらく
苦しい
 (『鬼滅の刃』3巻[集英社]より)



 数百年前、鬼舞辻󠄀無惨によって鬼にされた珠世は、夫と子供を殺(あや)めてしまい、そのことで自暴自棄になり、さらに大勢の人間を殺してしまったのだという。だが、やがて人の心を取り戻し、自責の念に苛(さいな)まれながらも無惨を抹殺するための研究を続けているのだが、気が遠くなるような長い時間を生き続けている彼女は、「人でなくなる」ことの“つらさ”と“苦しさ”を充分知っているのだ。


 それでも、愈史郎は生きていく道を選ぶ。おそらく、病の治療を受ける過程で、珠世の美しい心に触れてしまったがゆえに……。


 そう――愈史郎にとって、珠世という女性は絶対的な存在であり、恋愛の対象というよりは(もちろん、恋焦がれてはいるのだが)、むしろ菩薩のような、崇拝すべき心の支えだといっていい。彼は、彼女とともに永遠の苦しみに耐えていく覚悟を決めたのだ。


 そんな愈史郎の“血鬼術”は、主に視覚に関する能力である。「紙眼(しがん)」と呼ばれるその異能は、眼の紋様(もんよう)が描かれた札を貼ることで血鬼術の動作を可視化したり、札を貼った者同士の視覚を共有させたりすることができる。また、“目隠し”の術で、建物や人の気配・匂いを隠すこともできる。


 先にも述べたように、この彼の血鬼術が、最終決戦の場・無限城、そして、その後の地上での無惨との戦いにおいて、鬼殺隊の勝利のために大いに貢献することになる。


以下、ネタバレ注意


 無限城とは、地下にあるとおぼしき鬼舞辻󠄀無惨の領域だが、そこに落とされた鬼殺隊の剣士たちは、さまざまな場所で待ち受ける上弦の鬼たちと壮絶な死闘を繰り広げることになる。愈史郎は、珠世の指示で(鬼殺隊の救護・援護活動をおこなうために)無限城に潜入することになるのだが、視覚を自在に操る彼の血鬼術は、まず、何よりも、産屋敷邸で戦略を立てる「お館様」と城内にいる鎹烏(カスガイガラス)の“眼”を共有するための“武器”となるのだった。また、上弦の鬼・獪岳(かいがく)を倒したものの、力尽きて落下していく我妻善逸を宙(ちゅう)で受け止めるなど、驚異的な身体能力も発揮して、鬼殺隊の戦いを彼なりのやり方で援護していく。


 しかし、その戦いが進むなか、無惨を抑え込んでいた珠世がついに殺されてしまう……。それは愈史郎が“すべて”を失った瞬間でもあったが、彼は悲しみを力に変え、無惨を夜明けが近い(注2)地上に叩き出すことに成功するのだった。


注2……鬼は陽光を浴びると死ぬ。


 一方の無惨は無惨で、(本来は彼の支配からほとんど外れているはずの)愈史郎の細胞を吸収しようとするなど、激しく抵抗するのだったが、愛する者を失った漢(おとこ)の想いには敵わなかったものと思われる(この“綱引き”をしている数秒間ないし数分間は、愈史郎と最強の敵・無惨の力は、ある意味では拮抗していたといっていい)。


 いずれにせよ、この時の愈史郎のがんばりなしに、鬼殺隊の勝利はなかったといっていいだろう。その勝ち方、そして、すべてが終わったかに見せかけて再び訪れる衝撃的な展開については、実際に原作をお読みいただきたいと思うが、『鬼滅の刃』の最終章を通して、主人公・竈門炭治郎をはじめとした剣士たちの奮闘とは別に、多くの読者の心になんともいえない感動を残すのは、やはりこの愈史郎の活躍と純愛ではないだろうか。


 ちなみに(蛇足かもしれないが)、なぜ愈史郎は、無限城においてあれほどまでの、つまり、最強の鬼である鬼舞辻無惨と能力の“綱引き”ができるくらいのがんばりを見せることができたのか。それは、いうまでもなく、他の剣士たちと同じように、大切な人の想いを継承していかねばならないという強い意志に突き動かされたからにほかならない。そういう意味では、彼は鬼などではなく、温かい心を持った人であった。


 すべてが終わったあと、愈史郎は、炭治郎が療養している部屋を訪れて、(普段はクールな彼にしては珍しく)優しい微笑みを見せながらこういう。「本当によく頑張ったな。えらいよ、お前は」。これと同じ言葉を、きっと、あの世にいる珠世も彼にかけてやっていることだろう。


(※愈史郎の「愈」の正式表記は許容字体)


■島田一志……1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。https://twitter.com/kazzshi69


■書籍情報
『鬼滅の刃』既刊23巻
著者:吾峠呼世晴
出版社:集英社
価格:各440円(税別)
公式ポータルサイト:https://kimetsu.com/