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「生きていてほしかった…」 震災で家族亡くした子どもたち、いまだに心の整理つかず

2021年03月09日 18:21  弁護士ドットコム

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「本当に大好きで、生きていて欲しかった。もっと思い出を作りたかった」——。親を亡くした子どもらを支援する「あしなが育英会」は3月9日、東日本大震災で被災した遺児家庭を対象としたアンケート結果を公表し、10年経っても心の整理がつかない子たちが多くいる現状を明らかにした。


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アンケートでは、中高生の遺児から「親と楽しそうに話す友達がうらやましくなる時がある」「今の自分を見て欲しかった」、大学生など18歳以上の遺児から「時間が解決すると言われてきたのに、いつまで経っても悲しい」、保護者から「いっそう喪失感が増した気がして、終わりのない感情になる」などの声が寄せられた。



東京と仙台で同時に開かれた記者会見には、あしなが育英会から支援を受けた遺児も出席した。



震災で母親と2人の妹を亡くした新田佑さん(19)は、「震災当時小学3年生で、現状を理解できてなかった。成長過程で、悲しみや周囲との違いなどを感じることが多くなった。支援してくれる方々がいなければ、今の自分はなかった」と語った。



●震災の爪痕は今なお根強く残っている

アンケートは、震災から10年が経った遺児や保護者の現状を調査するため、当時、あしなが育英会が給付した「特別一時金」の支援を受けた遺児1508人やその保護者942人を対象に、2020年10~11月に郵送で実施。580人から郵送・FAX・ウェブで回答を得た。



その結果、中高生の遺児の約半数は「亡き家族(不明者含む)について話す相手がいない」、18歳以上の遺児の約6割は「亡き家族に対し『後悔』の気持ちがある」、保護者の5割強が「大切な人との死別を今も信じられない」と回答。被災者の心に残った震災の爪痕は、今なお当事者に大きな影響を与えている実態が浮かび上がった。





震災で父親を亡くした萩原彩葉さん(18)は、「当時、自分の悲しみは誰にもわからないと思い、誰にも相談せず、自分一人で苦しんでいた時期があった」と震災後の自身を振り返りながら話す。




「同じような経験をした人たちと語り合うなど一緒に過ごしていく中で、『亡くなった人は自分の死で苦しむのではなく、乗り越えて頑張っている姿を見たいと思っているのでは』という話を聞き、私も父に教わったことなどを大切にして生きていきたいと思うようになりました」




萩原さんは、学校にうまく馴染むことができなかったときでも自分を無条件で受け入れてくれた保健室の先生のように、心のよりどころとなれるような養護教員になろうと、この春から進学する大学で勉学に励むつもりだという。



●遺児の「心のケア」、これからも欠かせない

あしなが育英会・心のケア事業部長の西田正弘さんによると、あしなが育英会は1995年の阪神・淡路大震災までは、主に高校生・大学生への奨学金給付をおこなっていたという。




「しかし、震災により、高校生・大学生だけでなく、生まれたばかりの子どもや小中学生などをどう支援するのかという課題を突きつけられました。



その際に知ったのが、遺児の心のケアプログラムで実績をあげているというアメリカのオレゴン州にある『ダギーセンター』でした。そこで、あしなが育英会の職員はそこを訪れ、『悲しむのは普通で、一人ひとりには個人差がある』『支えてくれる人や場所が大事』ということを教わりました」(西田さん)




その後、あしなが育英会は「心のケア」事業にも注力。1999年には阪神・淡路大震災の被害にあった神戸に「レインボーハウス」という名前をつけた心のケア施設を建設し、東日本大震災を機に、仙台・石巻・陸前高田にも開設した。




「レインボーハウスの特徴は、「サンマ(時間・空間・仲間)」を積み重ねていくことができる点だと思います」(西田さん)




あしなが育英会の玉井義臣会長は、「阪神・淡路大震災のときは、『心のケア』が何なのか、よくわかっていなかった」と話した。




「被災した子どもたちに『一緒に生きていこうか』など伝えはしました。しかし、具体的にどうすればよいのか。当時、その方法は日本社会にまだなかったと思います。



被災した方々が発する言葉の意味を、我々は聞き取れなかった。理解しようとしても、自分の経験でしか解釈できません。日本人同士でも言葉が通じなかったんです」(玉井会長)




その衝撃が、「レインボーハウス」の開設につながったという。




「当会の職員にも遺児が多いです。ダギーセンターで学ぶなどした職員は、心のケアについてよく理解してくれていると思います。



心のケアはやはり難しいです。わかったようでわからない。私自身は、心のケアのことをいまだにわかっていません。それでも、『心のケア』という言葉が日常的に使われるようにはできたのではないかと思っています」(玉井会長)




東日本大震災で母親を亡くした大槻綾香さん(24)は「レインボーハウスでたくさんの仲間や子どもたちと出会うことができました。一緒に成長していける喜びを感じたし、今後の人生でもつながれたらと思っています」と話した。