2021年02月22日 11:41 弁護士ドットコム
2016年夏、当時俳優として活躍していた高畑裕太さんがある事件で逮捕されて、のちに不起訴処分となった。大勢のマスコミが高畑さんの釈放を取材しようと押しかけたとき、そのかたわらにひかえていた女性弁護士が一躍、注目を集めた。
高畑さんの弁護人をつとめていた渥美陽子弁護士である。その後、渥美弁護士は「美人弁護士」としてメディアで話題となり、最近ではSNSで「涼宮ハルヒ」のコスプレ姿も披露するなど、ますます熱い眼差しが注がれている。
一方で、弁護士としてのキャリアも着実に積んできた。四大法律事務所を振り出しに、その後は、「無罪請負人」の異名で知られる弘中惇一郎弁護士の事務所へ。企業法務から刑事弁護まで幅広い仕事を手がけ、2017年に独立した。
2020年12月からは、父・渥美博夫弁護士の事務所に合流。好きな言葉は「慎重かつ大胆」という渥美弁護士の「素顔」に迫った。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
「高校までは、かなりのどかに過ごしていました」。今の活躍からは想像がつかないが、どのような子ども時代だったのだろうか。
渥美弁護士は幼稚園から高校まで、東京都東久留米市にある自由学園で過ごした。1921年(大正10年)、「真の自由人」を育てるという理念のもと、ジャーナリストだった羽仁もと子・吉一夫妻によって創立されたことで知られる学校だ。
「今思うと、すごい学校でしたね(笑)。
たとえば、中学生になると『男子部』と『女子部』に分かれます。女子部では、曜日によって、ランチ担当の学年が割り当てられていて、自分たちで料理をするんです。
校内でブタも飼育してるんですよ。男子部の中学生が世話をするのですが、たまに、ブタがブヒブヒ鳴きながら逃亡しちゃって(笑)。みんなでブタを追いかけて、ブタ小屋まで追い込んだりしていました」
自由学園では、いわゆる「学校カースト」はなかった。その代わり、「裁縫や料理、習字が上手な人がクラスの上位にいた」という。
自由学園で学んだことは、弁護士の仕事に地続きとなっている。
「たとえば、自由学園では委員会の委員長を投票で選ぶのですが、かなり厳正な選挙をしていました。
そこで、もしも白紙の投票用紙があった場合は、『なぜ白紙が出てしまったのか』『いや、白紙で投票する自由もあるのではないか』という反省会をみんなで何時間もやっていましたね」
ただ、当時は反発もあったという。
「自由学園は、規律の中に自由があるという考え方です。たとえば、みんなが靴をバラバラに脱いで、ぐちゃぐちゃになっていたら、あとで自分の靴を探すのが大変ですよね。
だから、みんなが靴を揃えて脱ぐという選択をすることによって、みんなが使いやすくなる。そういう自由もあるのだと教わりました。
在校していたときは、そういう考え方に反発している部分もありましたけれど、今は理解できますね。それから、女子部と男子部で分かれていたこともあって、女子であっても男子に頼らず生きていこうという価値観も養えました」
高校生になって将来を考えたときに、父・渥美博夫弁護士の働く姿が浮かんだ。
「父からは直接、『弁護士になったら?』と言われたことはありませんでしたね」と笑う。
「ただ、父は仕事人間で、時間があれば仕事をしていましたので、弁護士って、よほど面白い職業なんだろうなあと思っていました。
それから、女性が社会で働き続けるには、何かしら手に職をつけたほうが良いのではないかと考えて、弁護士という職業を意識し始めました」
折しも、司法制度改革が進められ、ロースクールが導入されることになり、司法試験の合格者も増える見通しとなっていた。渥美弁護士は、ロースクールが設置されると言われていた大学に目標を定めた。
高校3年から受験勉強を始め、見事、早稲田大学法学部に進学する。
「大学時代、ちょうど司法試験制度が新制度に変わる時期でした。それで、法律サークルに入ったり、司法試験やロースクール受験のための勉強をしていました。
あとは、パン屋でバイトをしていました。でも、パンの名前と値段がなかなか覚えられず・・・。手先も不器用なので、パンを袋にテキパキ詰められなくって、3カ月ぐらいでクビになりました。向いていないことをしてはだめですね(笑)」
ロースクールの進学先は、東京大学を選んだ。理由はシンプルだ。
「当時、早稲田のロースクールの特色だったのですが、ほとんどの人が履修に3年かかりました。でも、私はできれば、2年で修了して司法試験を受けたいなと思っていたので、東大を選びました」
一歩一歩、弁護士への道を進む娘に、父は何も言わずに見守ってくれたという。
「司法試験の勉強に関して、アドバイスは特になかったです(笑)。いつも、子どもの判断に任せてくれるところはあったと思います。
ロースクールに合格したときも、司法試験に受かったときも、とても喜んでくれました」
弁護士としてのキャリアは、4大法律事務所の一角、西村あさひ法律事務所から始まった。
「父の専門はファイナンスなのですが、あれだけ面白そうにやっている仕事だったらいいんじゃないかな、という安直な考えでした(笑)。
入所してからは、有価証券報告書の開示書類を作ったり、不動産ファイナンスでローン契約や担保契約を作ったりしたり、そういう仕事をずっとしてました」
ところが、転機が訪れる。
「会社の経営権争いの事件を引き受けたことがありました。複雑な事情があるうえ、相手方も難敵で大変だったのですが、こちらで考えた戦略がうまくいって、依頼者の経営権を無事に取り戻すことができました。
それが、自分の中ですごく面白くて、もっとこういう案件に挑戦してみたいと思うようになりました。それで、自分自身の力をもっと発揮できるような事務所に移籍しようと・・・」
浮かんだのは、弘中惇一郎弁護士が率いる「法律事務所ヒロナカ」だった。弘中弁護士は、厚労省の村木厚子さんの冤罪事件などを担当し、「無罪請負人」とまでいわれる。
「司法修習生のときに、ちょうどその冤罪事件が起きたのですが、やはり厚労省の官僚だった祖父の葬儀に村木さんがお花を送ってくださった直後に逮捕されたので、とても印象に残っていました。
そんなご縁もあって、もし弘中先生のところで働けるのであれば、依頼者も個性的な方が多くいらっしゃるでしょうし、勉強になると思って入れていただいたんです」
移籍後は、仕事ががらりと変わった。それまでは裁判所に行かずとも仕事ができたが、訴訟案件となるとそうもいかない。
「弁護士になって4、5年目でしたが、最初はかなりドキドキしていましたし、尋問もすごく緊張しましたね」とふりかえる。
法廷では、相手方の代理人が弘中弁護士を罵倒してくるという場面にも出くわした。
「強烈でした(笑)。紛争案件だったからかもしれないのですが、こういうものなのかと思っていたら、かなり特殊なケースだったみたいです」
仕事にはすぐに慣れることができたという。
「特に尋問がうまくいったときのことが印象に残っています。相手としては自分に有利なことを言っているつもりなんだけど、客観的に見るとこちらに有利なことをペラペラしゃべっちゃう。
そういう状況を作れるとすごく楽しいです。『よっしゃー!』みたいな」
弘中弁護士の仕事からも学ぶことが多かったという。
「尋問がすばらしくて、ものすごい迫力があります。反対尋問ではあまりオープン・クエスチョン(自由に回答してもらう質問)はしないというセオリーがあるのですが、それにとらわれず『そこまで聞いちゃうの?』という場面がありました。でも、それがうまくいくことがあって。
それから、依頼者の方たちは苦しんでいらっしゃることが多くて、立ち直れないようなときに弘中先生がかける一言で、救われているということが何回もありました」
忙しくも充実した仕事の日々。2016年、高畑さんの代理人を引き受けたことから、メディアに注目されるようになる。
当時、群馬県の前橋警察署から保釈された高畑さん。そばにひかえていた渥美弁護士の姿は、大々的に報道された。あれだけ注目された事件だけに、苦労はあったのだろうか。
「とにかく移動が大変でした。ほぼ毎日、前橋まで行っていたので、ほかの仕事は一切手に付かなかったです。なので、忙しすぎてそこまで世間が大騒ぎになっていることに気づいてませんでした。
あのときは、報道陣の多さやテレビ中継までされていることに驚きましたね」
以後、「美人弁護士」としてメディアに登場するようになるが、注目度が上がれば上がるほど、バッシングもあった。
「高畑さんの事件のときからすごく叩かれていましたので、だいぶ慣れました。もちろん、嫌な気持ちはしますけれど。
だいたい、『美人弁護士』とかいわれますが、自分では美人じゃないと思っています・・・。最初のころはそう呼ばれるのが本当に嫌で、『どうせ、美人でもないくせに、とかみんな思っているんでしょ?』と。最近はもういいやという心境になってきましたね」
30代、さらなる転機が訪れた。「法律事務所ヒロナカ」で働く中、個人で受任する案件が増えていったこともあり、2017年に独立したのだ。
「年齢的にも、体力があるうちに独立したいという気持ちもありました。自分の事務所を立ち上げてからは、中小企業の訴訟案件や相続離婚など、幅広く手がけてきましたね。
愛媛のご当地アイドルの自死事件や、紀州のドンファンの遺言無効確認訴訟など、複雑な事件もいくつかあります」
事務所は若手が多く、アットホームな雰囲気。メンバーでカラオケに繰り出し、アニメソングをひたすら歌うことも多かった。渥美弁護士の持ち歌は、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の「ハレ晴レユカイ」と「God knows...」だ。
もともと「涼宮ハルヒ」シリーズのファンだったという渥美弁護士。2020年11月に原作の新刊が発売されるのをきっかけに、ハルヒのコスプレにも挑戦した。
「完全にノリですね(笑)。長門有希のコスプレをしてくれた松永成高弁護士(男性)と一緒にやろう、やろうって」
ツイッターに写真が投稿されると、その完成度の高さが話題となった。
「ありがとうございます。できる限り二次元に近づける特殊なメイクをしています(笑)。あとは、ハルヒっぽいポーズを研究して、ワイワイ撮影しました」
バニーガール姿のハルヒも撮影。「さすがにネットにアップするのはどうかと思いまして・・・」ということで、非公開になっていたが、今回、特別に弁護士ドットコムニュースで掲載する。
渥美弁護士の好きな言葉は「慎重かつ大胆」。その言葉どおり、地道にキャリアを重ね、ここぞというときには、大胆に決断してきた。
そんな渥美弁護士は2020年12月、背中を追いかけてきた父の事務所に合流した。
「最近、父の事務所と一緒に仕事をする機会が増えてきまして、このままお互い独立したままでも良いのですが、父と一緒に働いてみたいなという思いもあったので、合流することになりました。
どっちが提案したというわけでもなく、自然とそういう流れになってましたね。最近まで、父の事務所で一緒に働くということは考えていなかったので、とても新鮮です」
今後も幅広い仕事を手がけていくという。渥美弁護士に、仕事をしていて、よかったと思う瞬間をたずねてみた。
「依頼者の方から『本当にありがとうございました』って言ってもらえるとうれしいですよね。『先生に頼んで良かった』って。
依頼者の方にとっては本当に人生がかかっている大事な問題であり、重い責任も感じますが、やりがいがあります。
駆け出しのころに引き受けた経営権争いの事件でも、いまだに依頼者の方から、『私たちが今あるのは、先生たちのおかげです』とご丁寧なメッセージをいただきます。とてもありがたいなと思っています」
【渥美陽子弁護士略歴】 「渥美坂井法律事務所弁護士法人 麹町オフィス」代表。2002年、自由学園高等科卒業後、早稲田大学法学部卒業。2008年、東京大学法科大学院修了(法務博士)、2009年に弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年、西村あさひ法律事務所入所、2014年に法律事務所ヒロナカへ移籍。2017年には独立して「あつみ法律事務所」設立。2020年12月から現職。離婚、男女トラブル、交通事故、相続、不動産取引、名誉毀損、会社経営権を巡る紛争、株主権行使、証券取引等監視委員会対応、メディア対応、ホワイトカラー犯罪、性犯罪などの事件で実績がある。趣味は仕事関係のネットサーフィンをすること、ゴルフ、カラオケ。好きな食べ物は寿司、焼肉、鍋系全般、ラーメン。共著に『学生のための法律ハンドブック』(成文堂)。