isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2021年上半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
選ぶことで強くなれる
今週のおひつじ座は、みずからの強さや身体に関する主体性を、改めて主張していこうとするような星回り。
2017年にロサンゼルスのウィメンズ・マーチで行われた、トランプの大統領就任に抗議するために行われた集会。ここで歌手のヘレン・レディが、70年代フェミニズムの象徴となった「アイ・アム・ウーマン」を歌ってみせたことに関して、五十嵐舞は『複数の「わたし」による連帯』という論考のなかで哲学者ジュディス・バトラーに基づきつつ、そこに含まれた二つの意義を指摘しました。
第一に、ミソジニー(女性蔑視)が根強く残っている社会に対する挑戦として。そして第二には、「わたし『は』女」という主張によって規範的な「女」という記号を内部から突き崩し、新たな「女」という概念を立ちあげていく契機として。
あなたもまた、みずからの根源的な依存性を否定するのでも、みずからがこれからも傷つく可能性を否定するのでもない仕方で、本当の意味で自尊心を取り戻していくための戦いに身を投じていけるかが問われていくでしょう。
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苦闘、または自由への道
今週のおうし座は、課題や難題を抱えているがゆえに、自由という境地に立っていくような星回り。
「戦後の空へ青蔦(あおつた)死木の丈に充つ」(原子公平)は、戦後すぐの昭和26年の句。作者は無残な光景が広がるなかで、もはや屍となった木を這いあがる蔦(つた)を見つけ、死木(しぼく)の中絶したいのちそのものを受け継ぐように、青々と伸びてその背丈を覆うまでに茂っているさまに何かを感じたのでしょう。だからこそ、「戦後の空へ」という言葉をあえて意識的に選んだ。
小児麻痺で片足が不自由な身として生まれ、戦中戦後を母子ふたりで生き抜いた作者は、「戦中戦後の苦しい生活を、時には破滅する思いで過ごしてきた」と句集のあとがきに述べていました。戦うだけが「戦争」なのではなく、生活者のひとりひとりがいつの間にか精神的・経済的な苦闘を余儀なくされていくような状態も、目に見えない「戦争」なのではないでしょうか。
それにも関わらず、掲句にはどこか地に足の着いた向日性があります。あなたもまた、課せられた重荷に屈することのない生命力の充実にこそ“自由”を感じていきたいところです。
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カオスにジャンプ
今週のふたご座は、父母未生以前本来の面目は何なんだか、それを一つ考えてみるような星回り。
誰の書いたどの書物かは忘れてしまったけれど、「俺は何もかも忘れてしまったよ」という一節を読んだことがあって、ああこういうことだなあと思ったことがあります。ただ当時は、それが何に対しての「こういうこと」だったのかが分からない。「何もかも忘れた」というなまなましい感覚だけが身体に残っている。でもそれでいいじゃないか。
それは存在の根源に触れるというかね。自分が生まれてきた父や母について語ることを通して、父母が生まれるひとつ前の父や母や、その根源にずーっと遡っていくと、そこにカオスがある。その混沌の中へ飛び込んでいくということでもある。
そして、そこからの眼で現実を見る。すべての始まりはそこからじゃないか、と。そう思うのです。今週のあなたもまた、何かにつけてすべて忘れてしまえばいい。
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つっこみ待ち
今週のかに座は、万事おおらかに。
「大風やはうれん草が落ちてゐる」(千葉皓史)という句は、大風が吹いているなか、外に出てみると、路上にほうれん草が一束落ちていたという、ただそれだけの意味ですが、一読して妙に気持ちがいい感じのする一句です。
誰かが落としたのか、この後ほうれん草はどうなってしまうのかは一切不明。それが何とも言えない滑稽味を醸しますが、青々とした「ほうれん草」は春の季語であり、作者はそこに春の到来を感じたのかも知れません。
それが路上に落ちているほうれん草がいくら唐突で不相応なものであれ、どこか掲句はおだやかな雰囲気に感じられます。あなたもまた、自分自身をこれまでの文脈からすれば唐突で不連続に思える場所へと置いていくことになるかもしれません。
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みっともなくも美しく
今週のしし座は、こっちでやっているうちにあっちでもできているという話。
『日本霊異記』の「智者の変化の聖者を誹り妬みて、現に閻羅の闕(みかど)に至り、地獄の苦を受けし縁」とは、行基というお坊さんのことを妬んでいた智光というお坊さんについての話。とても知恵のある人だったのですが、行基への嫉妬を抑えきれなくなって、つい自分のほうが優れているのにとか、あることないこと悪口を言っていたら病気になって死んでしまった。
それで閻魔の宮殿に行って地獄で拷問されて苦しみを受けるのですが、そこで立派な楼閣を発見。これは「行基菩薩が亡くなられたら住まわれるのだ」と言うのです。結局、智光は死後9日目に生き返って、行基に謝り助かるのですが、この世に何かしているあいだに、あの世でも何かができているという話は、仏教の広まる前から割と出てきます。
自分で家をや家族、この世で目に見えるものをつくっているあいだに、魂の方も目に見えないなにかをつくっていて、それらは表裏一体。これはひっくり返せば、この世であこぎなやり方で儲けていると、向こうではだんだんボロ屋ができているということでもあります。あなたも「何を為すべきではないか」という視点から今後の方向性について(主に仕事)、改めて考えてみるといいでしょう。
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切実であるということ
今週のおとめ座は、みずからの心の拠り所がさえざえと光り輝いていくような星回り。
「北斗星七つと月といま谷間」の作者・杉田久女は、近代俳句における最初期の女性俳人で、格調の高さと華やかさのある句で知られた人。しかしその一方で、家庭内不和や師である高浜虚子との確執、そして精神病院での死など、その悲劇的な人生でもよく知られる伝説的人物でした。
掲句は、精神病院に入ってから死までの3カ月のあいだに詠まれたもの。厳しい冬空で「七剣星」とも呼ばれた北斗七星とともに、普段よりどこか鋭く光る月の姿に、おそらく自身の俳人として至った、いや至るべき境地を見ていたのでは。
それは「いま谷間」と自身の暗い現実を直視するまなざしによって、いよいよ高みにのぼり、作者にとっても読者にとってもより決定的なものとして胸に刻まれていきます。いま谷間、されど月は高きにのぼりゆく。そこには師への思いも重ねられていたのかも知れません。今週のあなたもまた、それくらいの切実さをもって自身の精神的な拠り所をしかとまなざしていくことになるでしょう。
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与えられることから始めよう
今週のてんびん座は、愛される側の役割を全うすることで相手に力を与え、幸せにしていこうとするような星回り。
労働とは、必然的に他者とのコミュニケーションを含むもの。だからこそ、いかにしてお互いに相手の人格の価値を享受して歓びを感じ合えるかという問題/課題が生じてきてくるということについては、すでに青年期のカール・マルクスが『経済学・哲学草稿』において指摘していたことでもありました。
「もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生み出さなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君は無力であり、一つの不幸である」
自分の誰かへの愛が正当であると感じられるのは、その誰かが自分から受け取るだけでなく、自らもまた誰かに愛を与えるようになった時に他ならないのだとマルクスは言っている訳です。あなたもまた、自分もまた誰かから愛を受け取ってきたのだを思い出していくことを通して、逆に自分が決して無力な存在ではないのだということを再確認していくことができるかも知れません。
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句にぶんなぐられて気分よし
今週のさそり座は、出会いによって人生が広がり、また深まっていくような絶景感覚を得ていくような星回り。
梅が咲いているその庭に、青鮫が来ている。青鮫と白梅。「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」(金子兜太)は、一句のなかにあり得ないような取り合わせが為され、まるでシュールレアリスムの絵画のようですが、『金子兜太自選自解99句』によれば「春の到来を大いに喜んでいる作」とのこと。
そこに嘘はないのでしょう。ただ、あえて問うならば、喜んでいるのは“誰”なのか?ということ。作者の出征したトラック島での戦争体験を踏まえれば、「庭に来ている青鮫」とは南の海から生きて帰れなかった戦友たちの霊でもあり、その意味で掲句はそうした者たちへの鎮魂歌であり、自身のいのちを言祝ぐ歌でもあったのでしょう。
青い空気につつまれた庭先を回遊する青鮫とは、作者にとっていのちそのものであり、白梅と青鮫との出会いこそが、そのいのちが深まる決定的な場面としての絶景に他ならなかったのです。あなたもまた、そんな“出会いの絶景”ということを感じることができるかも知れません。
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適度に無駄のある自然
今週のいて座は、改めて生活に美しさを結びつけていこうとするような星回り。
日常の道具の美しさを指摘した最初の人物である柳宗悦は、「人間の真価はその日常の暮しの中に最も正直に示される」という考えから民衆的工芸を「民藝」と名付けましたが、その本質について『手仕事の日本』の中で次のように説明しています。
「不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って」みると、「用途に適うということは必然の要求に応じる」ことであり、「材料の性質に制約せられるとは、自然の贈物に任せきる」ということ。つまり「人間からすると不自由」でも「自然からすると一番当然な道を歩く」ことを意味し、そこには人間を越えた力としての「他力の美しさ」が宿るのだ、と。
人間の身勝手やわがままが押し進められ、そのしっぺ返しを受けている現代社会において、自力で立つ美術品ではなくこうした他力という視点から実用品を捉え直し、実用に美しさを交えていくという考え方はまさに時代を先取りしたものだったと言えるかも知れません。あなたもコスパや効率重視の考え方をどれだけ生活のなかで、ひっくり返していけるかどうかが問われていくでしょう。
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自分自身を捧げているか
今週のやぎ座は、独自の個性を開発するべくあえて我を埋没させていくような星回り。
「天に雲雀人間海にあそぶ日ぞ」(小林一茶)は、作者が33歳のときの句。各地の門人や知人を訪ねて回る挨拶と修行の旅にもようやく慣れてきた頃合いで、「天」や「人間」という堅い言葉遣いも、その対比も含めて、ようやく俳諧の道で食べていけるようになったことへの気負いや、年齢的な若さが現れているように思います。
ここで作者はアカデミックな振る舞いを俳句において実践してみせている訳ですが、どうにもそれがなまぐさい。おそらくそれは観念的になり切れないどころか、彼自身、かしこまっているようで、実はどうしたって百姓としての地肌本意になってしまっているのでしょう。
ある意味で、自分の本質に対して開き直った上で、ないものねだりをしているのだとも言えますが、これも彼の人一倍つよい好奇心と精力の賜物であり、だからこそ、強靭な個性を有した俳句を生涯に2万句近くも詠むことができたのかも知れません。あなたも、あえて貪欲に過去の叡智の積み重ねに学んでいくなかで自らの個性を磨いていくべし。
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家父長制を逆さにしただけ
今週のみずがめ座は、一番身近な場所の在り方から問い直していこうとするような星回り。
中世社会において、寺社だけでなく家=敷地もまた、罪を犯した咎人(とがびと)の走り入りが認められた場であり、権力の介入を排除しうる「不入」ないし「無縁」の場であった事例もあったのだそうです(網野善彦『無縁・公界・楽』)。
これは日本だけに限らず、中世のゲルマン―西欧においても家の中は「平和領域」すなわちアジールであることを広く認められており、それは竈(かまど)の神の支配する場と見られていたそう。つまり「無縁」の場としての家の特質は、いわば普遍的な現象だったのです。家の主である家長は私的所有者として私的欲望を追求するだけでなく、無縁の原理を否応なく主張し、前面に押し出す場合もありえたのではないでしょうか。
というのも、現代の私たちにとって家長と言えばすぐに家父長的な支配のイメージばかりが先行してしまいますが、かつてはむしろ女性が家女・家主・家長と表現されていた事実もあったのです。あなたもまた、プライベートなものを思い切って明け渡していくことでこれまでとは異なる安心の手がかりを得ていくことができるかも知れません。
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膝をついてこそ
今週のうお座は、ごく自然に当たり前に人間中心主義的な観念を突き抜けていくような星回り。
「堅香子にまみえむ膝をつきにけり」(石田郷子)に出てくる「堅香子(かたかご)」とは、片栗の花のこと。50年ほど生きる多年草であり、古くは『万葉集』に「もののふの八十(やそ)をとめらが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花」(大伴家持)という歌もあります。大意は「大勢の少女たちが水を汲んで、賑やかに音や声を立てています。寺の井戸の上手に咲くのは堅香子の花」。
掲句もまた、堅香子を目当てに早春の野を歩いて、やっと見つけることができたのでしょう。「まみえむ(お目にかかる)」という謙譲語を使って、まるでやんごとない貴人にでも会ったかのような言い方ですが、目を丸くして堅香子の花に膝をつくその姿には、わざとらしさはどこにもありません。
むしろ、花に謙譲表現を使わないでいる方が不自然じゃないか、という作者の自然な心情が漏れ伝わってくるかのよう。それだけ、春を待ってやっと咲いた花への深い敬意と歓びがここに確かに生きているのです。あなたも「月並を破る」ということを自分なりに追求していくことがテーマになっていくでしょう。
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