2021年02月15日 10:11 弁護士ドットコム
弁護士としてのスタートは34歳。決して早くはない。GPS裁判やタトゥー裁判など、重要な判決を勝ち取ってきた亀石倫子弁護士だ。
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大学卒業後、札幌の一般企業に勤めていたが、結婚を機に夫の勤務地である大阪へ移った。そこから一念発起して、予備校や法科大学院に通い、8年かけて弁護士になった。
選んできた道は、決して平坦なものではない。それでも、なぜ法曹の世界を目指し、刑事弁護人となったのだろうか。前編( https://www.bengo4.com/c_23/n_12500/ )に続くインタビュー。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
北海道小樽市に生まれ育った。地元の高校を卒業後、英語が好きだからという理由で、東京女子大学英米文学科に入学した。卒業論文は、飲酒や貧困などの問題を抱えた市井の人々の日常を描写した作品で知られる米作家、レイモンド・カーヴァーだった。
社会に関わる仕事がしたいと思い、一時期は新聞記者を目指したこともあったが、地元の企業に就職した。
「でも、組織に順応することが本当に無理だと思いました」。悩んでいたとき、社員研修で夫に出会い、結婚。会社を辞めて、夫の勤務地である大阪へと移った。
「とにかく自由になりたいという気持ちが強かったです。組織に所属しなくても、自由に働ける仕事をしようと思いました」
最初から弁護士を目指したわけではなかった。「経済力がなければ、女性は自由に生きられないと思っています。だから、とにかく『お金を稼ぎたい』という気持ちもありました」と振りかえる。
では、自分には何ができるのか。人より秀でていることがあるのか。
「一生懸命に考えたとき、『地道に勉強し続けること』しかなかったんですよ」と笑う。
「料理もできないし、気も利かないし、事務的な作業も苦手だし・・・大体のことは人よりもできないのですが、地道に勉強することは、人並み以上に耐えられると思いました。
地道に勉強することによって、組織に縛られず、経済的な自由も得られる生き方ってなんだろうと思って、行き着いた先が弁護士の資格を取ることだったんです」
なにか資格を取ろうと考えていたとき、書店で目についたのが、司法試験のパンフレットだった。
「見た瞬間、『これだ!』と思いました。パンフレットをもらうと同時に、六法も買って帰りました」
司法試験を受けようと決意したことは、夫には事後報告だった。
「反対されるんじゃないかという発想がなかったですね」という。「もう自分の中では、やるって決めましたし、夫は夫で、また何か言い出したな、みたいな感じで・・・」
夫との信頼関係は、揺るぎない。
「私が何か言っても、過剰反応しないですね。参院選(2019年7月)に出馬すると言ったときもそうなんです。淡々としていました。
でも、実際はめちゃくちゃ迷惑かけてきたと思います。弁護士になるまでも、なってからも。お弁当を作ってあげたことなんて全然なかった。申し訳ない気持ちではあるんですけどね」
それでも夫の理解に支えられ、2005年に大阪市立大学法科大学院に入学。弁護士を目指して、一歩を踏み出した。
現在は刑事弁護人として活躍する亀石弁護士が、刑事弁護に興味を持つようになったのもロースクール時代だった。
「刑事弁護の実務について教えてくださったのが、和歌山毒物カレー事件の林真須美死刑囚の弁護人でした。あの事件は、私たち世代なら知らない人はいません。
家に押しかけていたメディアの人たちに、彼女がホースで水をかけたり、お金をとって家に入れて会見をしたりしているのをリアルタイムで見ていましたから、私は『とんでもないおばさんだな』と思っていたし、このおばさんが犯人に違いないと見ていました。
彼女が逮捕されたあと、黙秘していると報道されれば、『黙秘している時点で、林真須美が犯人だ』とか『やってないんだったら黙秘するな』とか、それが当時の一般人の受け止め方だったと思います」
亀石弁護士も、その一人だった。だから、林真須美死刑囚の弁護人である弁護士と会って話したとき、衝撃を受けたという。
「最初は本当に『どんな神経であの人の弁護できるの?』と思っていました。それぐらいど素人だったんです。『刑事弁護スピリット』みたいなものが、カケラもなかったので・・・」
亀石弁護士は、その弁護士に直球を投げた。「本当にあの人のことを無罪だと思ってやってるんですか?」「それとも、仕事だから無罪じゃないと思っても、無罪って言わなきゃダメなんですか?」「社会の全員が敵みたいな状態で、どんなメンタルでその仕事できるんですか?」
弁護士は不躾な質問も正面から受け止め、答えてくれた。
「その先生から語られた話は、それまでメディアだけを見て、思い込んでいた頭が金づちで殴られたような衝撃でした。
それは、一つの事件に別の方向から光を当て、まったく別のものを映し出すような話だったんです」
「たとえば、真須美さんの犯行を裏付ける直接証拠がない中で、どうやって状況証拠が重ねられたか、真須美さんがカレー鍋の近くにいたと言った人の証言が、どれだけ変遷しているか。
また、あのあたりはシロアリがたくさん出る土地で、シロアリ駆除のための薬品がある家庭は珍しくなかった。その薬品の中にヒ素が含まれていて、あの地域に関してはヒ素が特殊なことではないことも教えてくれました」
弁護士が林真須美死刑囚を「真須美ちゃん」と呼んだのも驚きだった。
「きっと真須美さんのキャラクターがそうさせるんだと思うんです。
それで、『真須美ちゃんは、たしかにお金のために詐欺はした。でも、カレー鍋に毒入れて何人も人が死んだところで、真須美ちゃんには1円も入らないでしょう? そんなことをする動機がないんだよね』って言うんです」
弁護士が語る事件は、メディアを通して見聞きしていたどんな話よりも、リアルだった。
「本当に人生で最大の衝撃を受けました。私は今まで何を見て確信を持っていたのかといえば、メディアの報道だけだったわけです。
裁判や証拠を見たわけでもない。誰一人、関係者の生の声を聞いたこともないのに、思い込みで決めつけていたことに気付かされました」
自分自身がそんな偏見を持っていたことに、ショックを受けた。
「自分は人を差別したりするような人間じゃないと思っていたわけです。でも、『思いっきり偏見の塊じゃないか!』と。それがきっかけでした。
私は弁護士になったら、刑事弁護やるんだっていう。贖罪みたいな感じかな?」
司法試験に合格し、2009年に大阪弁護士会に弁護士登録した。振り出しは、刑事事件を専門とする法律事務所だった。どうしても刑事弁護をやりたいと、門を叩いた。
忙しい日々だが、刑事弁護人として、重要な事件を手がけていった。仕事のストレスはないのだろうか。
「難しい事件の場合は、チームでやってきました。裁判員裁判も2人以上で担当します。タトゥー裁判なども弁護団で仲間と一緒にやってきたからこそ、重圧を乗り切れたと思います。
私は協調性がなくて、とにかく他人と一緒に行動できない。そういう人間だったんですよね。だから会社も辞めたのですが、弁護士になってみて、いろいろな難しい裁判を仲間と一緒にやり続けていくうちに、自分が変わった気がします。
仲間がいたから自分も助けられたし、仲間がいなかったら裁判に勝てなかったと確信しています」
今、注力している訴訟の一つが、新型コロナウイルス対策の持続化給付金の対象から性風俗事業者が外されているのは違憲だとして、関西の風俗店が国を訴えている事件だ。第1回の口頭弁論が4月に予定されている。
また、鹿児島県で起きた大崎事件の弁護団にも名を連ねる。大崎事件とは、1979年に男性が遺体で発見され、親族らが逮捕された事件で、その一人である義姉の原口アヤ子さんが冤罪を主張している。
「大崎事件では昨年、クラウドファンディングで1200万円を超える支援をいただきました。もう発生してから40年以上になる事件です。私が新たに加わることで何ができるのかと考えましたが、新しい発想が期待されていると思いますので、先入観を持たずにやっていきたいです」
今、亀石弁護士のもとにはさまざまな相談が寄せられるという。
「もちろん、すべてできるわけじゃないです。ただ、お金になるとか、ならないとかではなくて、社会のために必要だと思うことを、ライフワークとしてやっていきたいなと思います」
そんな亀石弁護士も昨年秋、父にこんなことを言ったことがある。
「知り合いに年間1億円稼ぐ弁護士がいて、そういう人がうらやましい」
亀石弁護士がそう思ったのには、理由がある。
「ある弁護士たちの集まりに出たのですが、自分と同じころに弁護士になった人が、1年の売り上げが1億円超えたらしいという話を聞きました。
私とはやっている分野も違うし、頑張っている方向も違う。でも、お金を稼ぐことは何も悪いことじゃなくて、ただただ、リスペクトの気持ちでした。1億円も稼ぐことは大変で、その人はものすごい努力をしているはずです。
自分にはできないことをしている人に対するうらやましさがありました。たいして稼げていない自分が残念に思って、次の日、父に会ったとき、言ってみたんです」
父の答えは、温かなものだった。
「おまえが1億稼ぐようになっても少しもうれしくない」
この言葉を、亀石弁護士はどう受け止めたのだろう。
「みんな、自分で選んだ道で、自分にできることを一生懸命やっていると思うのですが、それでも、自分にはできないことを成し遂げている人をうらやましく思うときは誰にでもありますよね。
でも、父の言葉を聞いて、自分は自分以外の人間にはなれないんだなっていうふうに思いました。そして、それでいいんだって思えたんですよね」
その2カ月後、父は他界した。人としてどうあるべきか、その言葉は亀石弁護士の道しるべになっている。
「自分と違う人間のことをうらやんでも仕方ない、人と比べる必要はなく、自分は自分のままで生きるということだと思っています」
(おわり)
【亀石倫子弁護士略歴】 法律事務所エクラうめだ代表弁護士。北海道小樽市出身。東京女子大卒業後、一般企業に就職。結婚を機に退職し、弁護士を目指す。2005年に大阪市立大法科大学院に入学、2009年に大阪弁護士会に登録。弁護士法人大阪パブリック法律事務所に入所後、多くの刑事事件に取り組む。2017年3月、警察による令状なしのGPS捜査は違法であるとする最高裁大法廷判決を勝ち取った際の主任弁護士を務めて注目を集める。