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松井玲奈は小説家としてどう成長した? 恋愛小説集『累々』を読み解く

2021年02月15日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

松井玲奈『累々』(集英社)

 松井玲奈の小説としては2冊目となる『累々』が面白い。かつてはアイドル、現在は女優として活動する彼女の小説デビュー作『カモフラージュ』(2019年)は、食という共通テーマは設けていたものの、収録された6作それぞれが独立した短編集だった。一方、『累々』は、読み進むと5つの短編のつながりがやがて浮かび上がり、1つの構図がみえてくる連作形式をとっている。前作より確実にステップアップした内容だし、よく考えられた恋愛小説集である。


関連:【画像】デビュー作『カモフラージュ』(集英社)


 プロポーズされたがすんなり結婚に踏み切れない「小夜」、セフレで合理的な関係を続けてきた「パンちゃん」、パパ活中の「ユイ」、美大生で先輩に恋している「ちぃ」、そして再び「小夜」。『累々』は、立場が違う女性の名前、呼び名を題にした全5章で構成されている。


 いずれの章でも登場人物間の心理のズレが語られる。最初の「1 小夜」での「一緒に過ごすうちにお互いの丁度いいがわかっていくけれど、嘘とも呼べない小さな歩み寄りを繰り返しているだけ」という一文など象徴的だ。


 本書では恋愛はもちろん、友だちとの間でも「小さな歩み寄り」に潜んでいた歪みが露わになる瞬間が描かれる。例えば、結婚を決意できない小夜は「自分の世話で手一杯」と友人にこぼす。ところが、ママになり子どもの世話をしている友人は「私だって自分のことすらままならないよ」と突然怒りだす。生活の優先順位が違う2人の価値観の差が、むき出しになるわけだ。このようにハッとするやりとりが、作中のところどころに用意されている。


 前作『カモフラージュ』は、メイドカフェのぽっちゃり女子、男性ばかりの動画配信グループを題材にしたほか、人が人を吐くホラーなどバラエティに富んでいたが、恋愛やフェティシズムなど『累々』に通じるテーマを持つ短編も収録していた。


 なかでも、女性の桃を食べる姿を偏愛する男と彼の妻が交互に語り手となる「完熟」を書いた経験が、『累々』に活かされているように思う。変わった性癖を持つ夫とつきあわされる妻。そのことについて相手には互いに話さないまま、実は内心で思っていることが交代で綴られる。妻はこうも語っていた。「分かり合えること、分かり合えないこと。答え合わせするようにすり合わせていくのには限界がある」。


 『累々』でも語り手がパートごとに代わっていく。「1 小夜」、「4 ちぃ」、「5 小夜」では章題になった女性が、「2 パンちゃん」、「3 ユイ」では呼び名の女性とつきあう男性が語る。各章のなかで登場人物同士が意識のズレを覚(さと)るだけでなく、登場人物のほとんどが気づいていないズレを、章と章の関連性によって読者が知る構成である。「完熟」で試みた技法を発展させて『累々』が作られているのだ。


 『カモフラージュ』では、彼のための弁当、ジャム、桃、手作り餃子などの食が、登場人物の心理や性癖を表現することと結びつき効果をあげていた。『累々』では本の表紙、裏表紙にそれぞれ描かれたパンダ、バベルの塔のイメージが複数の章にまたがって登場する。それらは、連作全体の主人公になにが起こり、本人はどう感じているかを読者に想像させるうえで大きな働きをしている。


 また、「2 パンちゃん」の語り手となる獣医は以前、犬や猫の去勢手術をするごとに自分のものが切られる悪夢を見ていた。悪夢が解消されてからは去勢手術後に強い性欲に悩まされるようになり、パンちゃんとセフレ関係になった設定だ。それに対し「4 ちぃ」では、一方的な想いをつのらせる美大生の語り手が、「ハジメ先輩の体のパーツをバラバラにして作品を作り上げたら、一体いくつ完成できるだろうか」と考える。彼女は、先輩の唇を再現したモザイクアートの制作に没頭していく。体の断片化、恋と性欲という点で「2 パンちゃん」の去勢手術と「4 ちぃ」のモザイクアートは、ある種の対比になっていて響きあう。


 著者の松井玲奈は今年1月12日にYouTubeチャンネルを開設しており、1月23日投稿の動画「【松井玲奈】2冊目の小説を発売!【重版出来】」では『累々』をどのように生み出したかを本人が話している。そこでは、編集者とのやりとり、創作ノートも明かしており、丁寧に書かたことがうかがわれる。


 よく想を練った構成により、人のいじらしさ、愛おしさ、怖さなど多面性がみえてくる作品だ。読む途中で、こんな人間がいるだろうかと感じても、私たちはしばしば他人の意外な面に接して絶句してしまうものだと思い出させる展開をみせられ、やっぱりいるかもしれないという気持ちになる。


 作者が女優であるから、本人出演でこの小説を映像化したらどうかと想像してしまう。語り手の内面に入りこむだけでなく、俯瞰的、客観的に、あるいはすぐ脇から愛おしげに、時には皮肉っぽく主人公を見つめている。作者はそのような存在だから、必ずしも主演でなく脇役に登場するのでも面白い気がする。


 短編集だった『カモフラージュ』から連作形式で1つの構図を作り上げた『累々』へ、小説家・松井玲奈は大きな成長をみせた。いずれ発表されるはずの長編が楽しみだ。


(文=円堂都司昭)