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「4人目のビースティ・ボーイズ」と呼ばれた写真家リッキー・パウエルが死去

2021年02月03日 12:52  Techinsight Japan

Techinsight Japan

伝説の写真家リッキー・パウエルが59歳で逝去(画像は『Ricky Powell 2020年11月11日付Instagram「..ayay... hiow are ya..?」』のスクリーンショット)
米ヒップホップフォトグラファーのリッキー・パウエルが、現地時間1日に死去したことをマネージャーのトノ・ラドヴァニーが発表した。59歳だった。リッキーはニューヨークを拠点にヒップホップアーティストやストリートシーンに影響を与えた多くの著名人を撮影、ビースティ・ボーイズとの仕事が有名になり「4人目のビースティ・ボーイズ」との異名で呼ばれていた。

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リッキー・パウエルのマネージャーでビジネスパートナーのトノ・ラドヴァニーは「私はただ、彼がとても特別な人物だったことを皆さんにお伝えしたい。彼を喪ったことは、大変惜しまれるだろう」と述べ、リッキーが現地時間1日に59歳で他界したことを伝えた。死因は心不全だと報道されている。

1961年にニューヨークのブルックリンで生まれたリッキーは、生涯のほとんどをグリニッジ・ヴィレッジで過ごした。1985年から写真を撮り始め、直感による即興的な撮影スタイルを確立。リッキーはそんな自分を「偶然によるアイコニックな写真家が、お遊びのコツでプロの写真を撮っている」と描写していた。

カレッジの学位を取得していたリッキーが写真に目覚めたのは、別れた彼女が残したカメラを発見したことがきっかけだった。彼女が見落としていたものを見せつけるため、自分自身で何かを作ってやろうと決意したという。当時マンハッタンで行われていたヒップホップのショーやアートギャラリーのオープニングを撮影し始め、1986年にはヒップホップグループ「ランDMC」と「ビースティ・ボーイズ」が行うツアーに同行した。リッキーとビースティ・ボーイズのアドロックは、同じハイスクールに通っていた仲だった。

このツアーをきっかけに、リッキーはヒップホップ・レーベル「Def Jam Recordings」で活動の機会を得ることになる。ビースティ・ボーイズを被写体にした写真は最も有名となり、彼らの楽曲『(You Gotta) Fight for Your Right(To Party!)』へのカメオ出演や『Car Thief』のリリックに名前が登場、「4人目のビースティ・ボーイズ」と呼ばれるようになった。


キャリアを通してパブリック・エネミーやLL・クール・J、マドンナ、ソフィア・コッポラ、アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、ジャン=ミシェル・バスキアなど多くの著名人を撮影。ニューヨークのストリートシーンに影響を与えたアーティストや著名人を被写体に、多くの作品を世に送り出した。2020年にはドキュメンタリー『Ricky Powell: The Individualist』が公開されている。


リッキーの訃報を受け、「ランDMC」のレヴ・ランは「RIPリッキー・パウエル。ランDMCの素晴らしい写真を撮った、いい奴だった」とコメント。LL・クール・Jが「君は文化を捉えた。安らかに眠ってくれ」とツイートしたほか、QティップやDJプレミアなどが追悼メッセージを公開した。

パブリック・エネミーのチャックDは、リッキーと“クライド”の愛称で知られる米バスケットボール選手ウォルト・フレイジャーのツーショットを公開し、このように想いを綴っている。

「クライド・フレイジャーの右隣にいるリッキーは、典型的なニューヨーカーだ。アイコニックなBボーイで、写真家としてニューヨークの素晴らしい瞬間と形態を捉えた。彼は持って生まれた気楽さで、ニューヨークのカッコよさを撮影していた。“swag(かっこいい)”という流行語が生まれるずっと前にだ。」

画像は『Ricky Powell 2020年11月11日付Instagram「..ayay... hiow are ya..?」、2020年9月15日付Instagram 「..tbt.. May 1986..」、2020年11月27日付Instagram「...freaknoid*friday..」』『Chuck D 2021年2月2日付Twitter「#RestInBeats」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)