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【2/1~2/7の運勢】2月1週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年02月01日 11:31  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

2021年上半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

結び目としての私

今週のおひつじ座は、精神の拠り所としてのフレンドシップを編み上げていこうとするような星回り。

古代から糸紡ぎや縫い物、手芸、機織りなどは女性の手仕事として連綿と受け継がれ、勤労のモラルとも結びつけられてきました。とりわけアメリカの開拓地で行われきた「キルティング・ビー」は女性同士の絆を深める貴重な場でもあったのです。

キルトはそれぞれが持ち寄った端切れをみんなで一針一針縫い合わせ、時にはそこに著名やメッセージを入れて作られるのですが、それはまさに一人ひとりの思いをつなぎ合わせること。そうして作られたフレンドシップは新生活に踏み出した女性たちにとって、その実用性以上に大切な精神の拠り所として機能していたのではないでしょうか。

あなたもまた、かつての新開地の女性たちのように、当座の収入や働き方だけでなく、どうしたら精神的な満足が得られるか、またそのために必要な繋がりをいかに結んでいくかについて考え、実行してみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

風と友愛

今週のおうし座は、普通の暮らしのなかで世界を深々と向きあっていくような星回り。

「日なたぼこのどこかをいつも風通る」(阪西敦子)という句は、「日なたぼこ」という、慎ましく穏やかな日常を連想させる季語から始まりつつも、予想外の展開へと結びついています。というのも、冬の日射しを浴びてじっと暖まる日なたぼっこは、通常、風のない陽だまりを指すから。

あえてそれをすることで新しい空気が吹き込まれ、句のもつ奥行きが広がり、いったん閉じかかった世界がふたたび遠くの方まで開けていく。何度か読んでいると、伝わるか伝わらないかのところで、そんな風に静かに促されているような気分になってきます。

普通に暮らしつつも、深く迫力をもって世界と向きあっていくことは、ちゃんと両立するということが、新鮮に響いてくる句と言えるのではないでしょうか。今週は自分の世界を小さく閉じた系へと縮減させるのではなく、大きく開いた系へとすっと開いていくことこそが、大きなテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

可能性は統一に向かって

今週のふたご座は、改めて自然に従ってみずからを生きやすくしていくような星回り。

夜型にするか朝型にするかという問題について、天才数学者で名随筆家でもあった岡潔は、1963年に刊行された『春宵十話』の中で、「日によって、自分自身の生理状態に従って夜型であったり昼型であったりするだけで、すべて自然に逆らわないようにしている」と結論付けています。

さらに、大自然のやり方というのは「全くぜいたくなもの」で、カエルの卵も非常におびただしい数の中からわずか一匹しかできないことを例に挙げ、2年に一本仕上げる自分の論文もその方式で書いているのだと続けた後、次のように述べているのです。

「可能性の可能性というのは、これは希望のことなのだ。つまり、こんなふうにあってくれないかなあ、というのを描いているにすぎない。」今週のふたご座のあなたもまた、希望の描き方というものを改めて誰か何かに教わっていくといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

この惑星で春を待つ

今週のかに座は、弱るところは弱り、助けを求めるべきところは求め。そんな自分を受け入れていくような星回り。

「九十の端を忘れ春を待つ」(阿部みどり女)という句は、作者が90歳を迎えるときに詠まれた句。「九十の端(はした)を忘れ」とは、実際に自分の歳を忘れてしまったというより、作者なりの感慨を踏まえての物言いでしょう。

ここまで元気にやってこれた静かな充足感をかみしめつつ、この先はもう余生のようなものであり、もはや数えるものでもないという心境にいたったのかも知れません。そうであるにも関わらず、この先も誰かに迷惑をかけながら生き続けなければならないし、それを自分の目で見届けていかねばならないという覚悟のようなものが感じられます。

自註句集『阿部みどり女集』のあとがきの、「親しい方々がほとんど亡くなられたことを思うと、野原に一人立っているような淋しさである」という記述を読むと、「春を待つ」と詠んだ作者の心には、残された時間をそれでも懸命に前向きに生きようとする女の強さが秘められていたように思うのです。あなたもまた、みずからが引き受けるべき運命の輪郭がはっきりと像を結び始めていくことでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

光の音を捕らえる

今週のしし座は、天の星々の中にではなくあくまで地上の言葉の中にとどまっていこうとするような星回り。

「アウシュビッツの後に詩を書くのは野蛮だ」というアドルノの言葉に対する返答と言われ、またゴッホの凄絶な「星月夜」の絵に着想を得たとも伝えられる、詩人パウル・ツェランの「絲の太陽たち」という詩には、「絲の太陽たちが 灰黒色の荒野のうえに、ひとつの木 高さの考えが 光の音を捕らえる―― 人間たちの あちら側には まだ歌われるべき歌たちがある」(中村朝子訳)という詩行が出てきます。

地上から激しい光の渦巻く夜空へ向かって伸びる糸杉はゴッホ自身の姿ともされていますが、おそらく、この詩の中で糸杉はツェラン自身の「思考」の様相として捉えなおされていたのではないでしょうか。

人間の彼方にある音楽、なお歌われるべき彼方の歌とは、そうであるにも関わらず、やはりこの地上に生きる人間によって聞かれ、またつくり出される歌に他ならないのです。あなたもまた、ツェランのように自分のやるべき仕事のカタチを改めて見出し訴えていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

火はまだ消えていない

今週のおとめ座は、胸の奥底に埋もれた火を掘り起こしていくような星回り。

「やがてなき身とも思はず炭をつぎ」(横井迦南)は、2月の真夜中に詠まれた句。浮かんでくるのは、複雑な心理がせめぎあう静寂とある種の緊張とがないまぜとなった独特の空気感の中で、火鉢を前にしているひとりの老いた男の後ろ姿です。

不意に、いまこうして温まっている身体もやがて消えゆくのだという確信めいた思いが、胸の奥の方から静かに浮かび上がってくる。それでも、その死にいたるまで幾つかの句を詠んでいたということは、やはり最後に残ったかすかな情のようなものこそ自身の生き様であると捉えていたのでしょう。

作者が掲句の他に詠んだものとして、「死魔と詩魔かたみに徂徠春灯下」というものがあります。「徂徠(そらい)」とはひっきりなしに何かが目の前を行き来すること。きっと、最後の時まで作者は句作に全力を賭けようとしてしていたのではないでしょうか。

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illustration by ニシイズミユカ

彗星、あるいはこども詩人

今週のてんびん座は、手垢の付いた“自己形成”のフォーマットなど脇において、体験そのものを純粋に楽しんでいくような星回り。

それはまるで、寺山修司の「大人狩り」というドラマのよう。革命を起こして大人を皆殺し、または後楽園球場に大量監禁したあと、こどもばかりの世の中がやってきて……、こども政府はこども憲法を発布する。

というのが大筋なのですが、世の中を支配する側にまわったこどもたちは、どんどんその残酷でユーモラスな本質を露わにしていき、つぎつぎとおとなたちの作った価値を破壊していきます。例えば、こどもの詩人が登場してきて、「童話」と「教科書」を焼却しようと提案し、その代わりに「6663 6633 633……1!1!」という詩を発表するのです。

これにどんな意味があるのと思ってしまった人は、きっと自分が思っている以上に“おとな”側なのでしょう。こどもというのは呪文的な口ざわり、ナンセンスさ、意味のなさにこそ詩的ロマンを感じるものだから。あなたも意味の川を簡単に渉ってしまうのではなく、人生への好奇心のさきがけとなるような、もっとわがままな欲求を追求していくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

春と死者

今週のさそり座は、心のなかの景色をそっくり入れ替えていくような星回り。

「いつせいに春の星座になりにけり」(黒田杏子)は、96歳で大往生したある女性への追悼句。「立春」から暦の上では春と言っても、以前として寒さは厳しいまま。それでも今日から春と思えば空の色も、風の冷たさもどこか春めいて感じられてくるはず。昨日までの冬の星座も、心ひとつで「いっせいに」春の星座に変わっていくのです。

にぎやかな冬の星座と比べると大人しいものの、春の夜空には北斗七星からうしかい座のアルクトゥールス、そしておとめ座のスピカを結んだ「春の大曲線」と呼ばれる星の目印が見え、おだやかな季節の訪れを告げてくれる。

おそらく、そのなだらかなカーブを夜空に見出しすことができたとき、心象風景における春の訪れは、新たな死者の受け入れと重なってより一層決定的なものになっていくのではないでしょうか。あなたもまた、心から去りゆく季節をしかと見送って、新たな季節を迎え入れていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

ほとばしる魂

今週のいて座は、大切な儀式のためのお供えをしていくような星回り。

「明日よりは春菜採(つ)まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」(山部赤人)は、万葉集に収録された古い歌。「春の野で草を採む」というのは願望成就の仕草であり、古代日本における卜占(ぼくせん)の一種でした。「標めし野」というのも、そういう行事をやるために準備をしなければいけないのに「昨日も今日も雪は降り」それが妨げられてできない。明日こそは、それをついにやらなければ、と。

そういう気持ちで春になったばかりの野を見つめているのです。つまり、自然というのはいつも必ずしも人間の方に都合よくぴたりと波長を合わせてくれる訳じゃない。そうではあるけれど、どこかで少し合うことも私たち人間は知っていて、それをたのむ心が「明日よりは」という言い方のなかに、見事に映し出されている。

その意味で、この歌はそういう自分のこころも一つの詩であるということを表そうとしているようにも感じられます。あなたもまた、そういう思わずほとばしり出るような自分の「こころ」のいきおいのようなものを実感していくことでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

一枚の宗教画になる

今週のやぎ座は、あたたかな春の日ざしのような自身であるような星回り。

「霜を舐め尽くせと犬を放ちをり」(中山奈々)という句の「放ちをり」とは、まるで畢生の大技でも繰り出した後にへたり込んだ『ドラゴンボール』の地球人戦士クリリンのよう。ですが、たぶん飼い犬の突然のダッシュに振り切られた飼い主の図といったところなのではないでしょうか。

そうすると、「霜を舐め尽くせ」という宿願なんだか絶叫なんだか分からない命令も、そうなってしまった後の苦し紛れの仕草のように見えてきますが、それがなんともかわいらしく、ゆるい。霜に覆われた大地の側だって、そんな作者の飼い犬になら舐め尽くされてもいいかも、と思わず気をゆるめてしまいそう。

もしかしたら、そこまで計算した上での振る舞いかも、と思わないではないけれど、それでもいいかと思わせる何かがある。どこか憎めない愛嬌って、そんなものでしょう。あなたもまた、どこかでそんな作者の愛嬌を自然と見習い、周囲の人たちをほころばせていけるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

善悪を超えて

今週のみずがめ座は、正義と悪という二項対立を超越していこうとするような星回り。

大分県の「ケベス祭」とは、毎年10月14日に行われる起源も由来も不明の火祭りのこと。クジで選ばれた地元の男性が白装束た仮面を身につけ準備が整うと、神官が彼の背中に指で何かの文字を書いてから思いっきり叩くと、仮面をつけた青年は何かに導かれるようにして立ち上がり、「ケベス」となります(これを「入魂」というそう)。

拝殿から境内に出ると、ケベスは燃えさかる焚き火に向かって全速力で走り出す。これを阻む「トウバ」という役の男たちがいて、ケベスとトウバの一人は焚き火の前で一進一退の攻防を繰り返し、突入に成功したケベスは棒でシダの山をかき回し火の粉を散らすと、その後はトウバも火のついたシダを持って境内を走り回り、参拝者を追い回す。この際に火の粉を浴びると無病息災になるのだそうです。

なお、このケベス面は目の部分がずれていて、面をつけると片目にしか見えない状態になるのだそうですが、神話の世界において“越境者”は身体の一部が不自由なことが多いですから、ケベスは越境者のひとりであり、人間でも化け物でもあるような得体の知れない何かなのでしょう。あなたもクジに選ばれた青年のごとく、得体の知れない何かに導かれていくことになるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

古きが暮れ、新しきが現われ

今週のうお座は、周囲からすれば意外な一面を発揮していくような星回り。

冬季の雀のことを「寒雀(かんすずめ)」と呼びますが、野に餌が少なくなる冬は、人家の近くに餌を求めて集まります。「石の相俄(にわ)かに昏(く)るる寒雀」(三好潤子)の句は、石の面相がにわかに変わったという着眼が面白い一句です。

作者の師である山口誓子はこの句について「「石の相」は表面にちがひないが、同時にそれは表面に現れてゐる石の実相である。渋いものと取り組んだものだ。この作者にも隠れてかかるものが潜んでゐたのか」と書いていますが、確かに女性らしく艶やかで情緒をたぶんに含んだ作者の作風からすると確かにずいぶんと渋い句のように感じられます。

しかし、それはある種の見くびり。若い頃からさまざまな病魔に侵されてきた作者には、「女だから」とか「年若だから」といった無粋なカテゴライズにはおさまらない凄味が、俳句を覚えて間もない頃から既に宿っていたのです。あなたもこれまで自分のなかに隠れ潜んでいたものが、にわかに表に出てくる実感が不意に湧いてくることでしょう。

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