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2021年、まず読むべき漫画『チ。』 「地動説」をテーマに描く美学とは?

2021年01月04日 09:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『チ。ー地球の運動についてー』第1集

 漫画という表現はなんて自由なのだろう。岩明均が『ヒストリエ』の連載を始めた時、あらためてそう思った。なぜならば、アレクサンドロス大王……ならまだしも、その書記官という(日本ではあまりメジャーとはいえない、さらには出自も不明の)人物が主役を務めるような物語を、隣接する表現ジャンル――たとえば映画やドラマの世界でいま、オリジナルストーリーとして制作するのはまず無理だろうし、そもそも作ろうと考える人もそれほど多くはないはずだからだ(小説にしようと考える作家はいるかもしれないが)。


 ところが、周知のとおり、結果的に『ヒストリエ』は極めて優れたエンターテインメント作品として多くの読者を得ており、そのこともまた、漫画という表現の自由さと受け皿の大きさを証明するかたちになった。


 さて、そんな岩明均をして、「まぎれもない才能を感じる」(帯の推薦文より)とまでいわしめたものすごい作品の第1集が、昨年の12月に発売された。魚豊の『チ。―地球の運動について―』である。


関連:【画像】『チ。ー地球の運動についてー』第2集の書影はこちら


 同作は、サブタイトルからもわかるように「地動説」をテーマにした物語だ。舞台は15世紀のヨーロッパの某王国、主人公は12歳の少年・ラファウ。ちなみにこのラファウ、その歳で大学に合格したという天才児であり、優等生を装いながら、「世界、チョレ~~~」とほくそえんでいるような世渡り上手(または合理主義者)でもあるのだが、心の底では「天文」への熱い想いが燃えたぎっている。


 だが、地球を宇宙の中心として考える「天動説」が定説である時代に、天文を研究することは命がけであった。なぜならば、研究すればするほど、天動説への疑問は生じてくるはずであり、それは必然的にある「真理」へと研究者を導いていくからである。そう――「地動説」だ。しかし、地球が他の惑星とともに、太陽の周りを自転しながら公転しているというその考え方は、当時の社会では完全な異端思想とされ、それを研究・提唱する者は厳しい拷問や処刑の対象になるのだった……。


 ラファウはある時、怪しげな元学者の面倒をみることになり、(もともと天文の知識もあったことから)彼が唱える宇宙の「真理」をすぐに理解するようになる。だが、それをさらに追究することは、養父への裏切り、そして、彼自身の命を脅かすことにつながっていくのだ。それでもなお、人は、自分が信じる道を突き進むことができるのか、あるいは、(帯のアオリにもあるように)世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか、というのが、この作品の(少なくとも第1集における)最大のテーマである。


 すごい物語だ。ラファウを導いた元学者は満天の星空のもとで彼にこんなことをいう。「神が作ったこの世界は、きっと何より美しい」。しかし、この時代に「真理」を追究することは、その神に逆らうことになりかねないのだ。そんな元学者にラファウは問う。「そんな人生… 怖くはないのですか?」。元学者は答える。「怖い。だが、怖くない人生など、その本質を欠く」。


 事前情報が何もないままにこの第1集を最後まで読んだ者は、きっとラスト十数ページで唖然とすることだろう。それくらいものすごい展開が、本書の巻末には用意されている。タイトルの「チ」とはもちろん、「地」のことを意味しているのだろうが、それは同時に、「血」であり、「知」でもあるということだろう。


 漫画という表現は自由である、と冒頭で私は書いた。それはこの『チ。』という作品についてもいえるのだが、先が見えない不安な時代に己を貫くことの大事さを描いた本作は、遠い昔の異国の物語でありながら、いま読むべき「時代の書」であるといえなくもない。いずれにせよ、自分の直感が正しいと思う「知(=好奇心・想像力)」を貫くために、危険を恐れずに「血」を流した漢(おとこ)たちがいたからこそ、いまの自由がある、ということはいえるだろう。


 1月12日(頃)には、早くも第2集が発売されるようだ。繰り返し描かれる拷問や処刑のシーンに目を背けたくなる向きもおられるかもしれないが、2021年、まず読むべき漫画はこの作品だ、と個人的にはお薦めしたい。


(文=島田一志)