2020年12月31日 10:11 弁護士ドットコム
2021年4月から、俳優などの芸能従事者も、個人事業主が労災保険に特別加入できる制度の対象になる。日本俳優連合(西田敏行理事長)にとって、労災の適用は長年の悲願だった。
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その立役者のひとりに、労災の必要性を訴えていた元常務理事の高瀬将嗣さんがいる。代表作に『ビー・バップ・ハイスクール』『あぶない刑事』『マルタイの女』などがあるアクション監督・殺陣師で、映画監督でもあった。
だが、高瀬さんは朗報を聞く前、2020年5月に63歳で亡くなった。胃ガンだった。2018年秋にガンが見つかったときには、処置の仕様がなかったという。
「ご心配をかけないように」と病気のことを隠し通し、亡くなる直前まで仕事を続けていた。いつも周囲への気配りを絶やさず、映画をこよなく愛した人だった。(編集部・園田昌也)
高瀬さんは1957年、東京生まれ。日活などで活躍した殺陣師の父のもと、撮影所が庭のような環境で育った。
高校からは、当時不良学校として恐れられた国士館へ。先輩から鉄拳制裁「ヤキ」を入れられたり、他校生との壮絶な抗争を繰り広げたりと、マンガのようなエピソードには事欠かなかったという。
著書『技斗番長 活劇戦記』(洋泉社、2016年)には、こうしたリアルな経験が、アクション演出に生きたと書かれている。
ちなみに「技斗(ぎとう)」は、殺陣師だった父・将敏さんが命名したもので、時代劇の「殺陣」に対し、現代的なアクションを指した造語だ。
その父を高校時代から手伝っていた高瀬さんは、大学卒業後、アクションの仕事を本格的にスタートさせる。
代表作のひとつ『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)では、衣装の下にプロテクターを仕込み、実際に打撃をあてる「フルコンタクト・アクション」を導入するなど、画期的な取り組みで注目を集めた。
人生の大半をアクションに捧げてきた高瀬さんだが、殺陣師として活動する妻・多加野詩子さんはこう語る。
「アクションに限らず、本当に映画が好きな人でした。ちょっと暇ができれば映画。よく一緒についていきました」
映画雑誌の連載では、その豊かな映画知識をユーモラスにつづっていた。
映画監督として最後の作品になったのは、昭和40年代の高知を舞台に、裏社会で生きる人々の哀歓を描いた『カスリコ』。劇中にはアクションも殺陣もない。
「新作のお話もあって、もう一本撮れるかもしれないと喜んでいたのですが、コロナ禍でかないませんでした。
結局、最期の作品はアクションなし。『50年殺陣をやってきて、何かあるんだろうな。これも運命だな』と話していました」
「映画人」として生き抜いた63年間だった。
高瀬さんは後進のことも常に考えていた。
弁護士ドットコムニュースで、初めて高瀬さんを取材したのは2016年のこと。
撮影中のケガで後遺症が残ったスタントマンに向かって、制作側が「怪我をしないのがスタントマン。通院費は払うが後遺症は自己責任」と言い放ったという高瀬さんの怒りのツイートがきっかけだった。
監督作品には任侠ものも多く、緊張しながら「高瀬道場」(東京都府中市)を訪ねたことを覚えている。だが、当時20代だった若造にも、高瀬さんは物腰柔らかく丁寧な口調だった。
「正義感が強い人でした。筋違いのことには厳しく、いつも『筋道を通す』と言っていた。若いころには、それでケンカになることもありましたが、監督をするようになって丸くなった。優しくて、大きな存在でした」(多加野詩子さん)
「筋道を通す」人だからこそ、出演者であるスタントマンを駒のように扱うのが許せなかったのだろう。
アクションの現場は命の危険と隣り合わせなだけに、細心の注意を払う。それでも、ケガはつきものだ。しかし、いざケガをしても、「自己責任」として、制作側から十分な補償がないこともある。
仮に交渉で補償を引き出せたとしても、二度と仕事をもらえなくなるかもしれない。実際に高瀬さんにもそうした経験があった。
そこで高瀬さんらが求めていたのが、俳優やスタントマンらへの労災適用だ。
労災が適用されれば、治療費だけでなく、ケガで働けない間の休業補償も受けられる。「安心して働ける環境が、仕事のレベルをあげる」。生前の高瀬さんはそう話していた。
今回、芸能従事者にも労災の特別加入が認められることになり、「本人も喜んでいると思います」(多加野詩子さん)。
ただ、生前の高瀬さんは記者にこうも語っていた。
「私個人としては、芸能事務所(プロダクション)所属は一般労災、フリーは特別加入が望ましいと考えています」
特別加入であれば、本人が保険料を払わないといけないが、一般労災であれば、「使用者」側に支払いの義務がある。
実際、高瀬さんが主宰したプロダクション「ガイズエンタティメント」では、所属するアクション俳優らの労災保険料を払っている。「雇い主が責任を持つべき」という考えからだ。
俳優らが映画会社に雇用されていた時代を知る高瀬さんだからこそ、「趣味でやっている」と言われがちな芸能活動もきちんとした仕事・労働であるとして、権利を確立したいという思いもあったのだろう。
ただ、プロダクションが使用者と言えるかは微妙な問題だ。法的には実態によるし、政治的な難しさもある。
仮にプロダクションが労災保険料を払うことになると、労働法規のしばりが生じ、俳優らにとっても足かせになる恐れがある。当事者間でも意見が分かれる部分で、実現のハードルが高いことは否めない。
とはいえ、特別加入が認められたことを良いことに、実態は労働者なのに俳優らに負担を丸投げしたり、制作側の責任がうやむやになったりするのはマズい。権利を守る活動は今後も必要とされている。
アクション業界では高瀬さんの死後、新しい動きも出てきた。
現在、高瀬さんと交流のあったアクション監督らが、「ジャパン・アクション・ギルド(JAG)」の発足を準備している。
アクションの魅力を知ってもらうための活動のほか、スタントマンらに労災の特別加入を紹介するなど、アクション関係者の権利向上が目的だ。
高瀬さんは前出の著書『技斗番長 活劇戦記』で、アクション業界の連携が必要だとして、こんな言葉を残している。
「アクションは活劇の華であり、殺陣は日本が世界に誇る芸能文化です。我々アクションを生業にする者は、その立場を自覚し、現場のスタッフと俳優の良きパイプ役となって作品に貢献すべきでしょう」(228~229頁)
プレオープンしたJAGのウェブページには、「行動せよ、未来を築け 名も無きヒーローのために」と掲げられている。業界を、作品をより魅力あるものにという高瀬さんの思いは同志たちに引き継がれている。