2020年12月30日 10:42 弁護士ドットコム
事件や事故からは、不思議とその年の特徴的な要素がみえてくることがある。やむにやまれぬ事情を抱える人が増えたり、するのも一因ではないだろうか。
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傍聴ライターとして数々の刑事裁判をみつめてきたライターの高橋ユキ氏にとって、2020年、印象に残ったひとつの特徴が「心中事件」だったという。高橋氏による、ある心中事件の傍聴レポートをお届けしたい。
家族の病気や経済的不安など、心中を企図した背景はさまざまであり、事情を語れるものが亡くなっていれば、それが心中だったのかどうかということ自体、もはや推測することしかできない。
だが、自らも死のうとして一命をとりとめた男もいる。
2020年1月、いわき市の公園で心中を図った緑川雅孝(逮捕時51)だ。緑川は、交際相手だった、いわき市在住の吉川美奈子さん(43=当時)、美奈子さんの子らである、中学3年の息子(15=同)、中学2年の双子の娘たち(13=同)を包丁などで殺害したとして逮捕された。
4人を殺害後、首や腹を刺したが死に切れず110番通報したという。「女性と交際している。心中を図ったが死に切れなかった」と、説明した。
のちに、承諾殺人と嘱託殺人の罪で起訴された緑川の公判は、事件から半年後の6月から、福島地裁いわき支部で開かれた。ここで緑川は、交際相手とその子どもらと、心中を企図するに至った経緯を語った。背景には貧困があった。
起訴状によれば、緑川は美奈子さんに嘱託を受け、3人の子どもたちには承諾を得て、それぞれその頸部を順次包丁で突き刺すなどして殺害した。美奈子さんに心中を持ちかけられ、これに応じたという。
罪状認否では「間違いないです」と、本人は全て認めている。
美奈子さんは、緑川被告の経営していたリフォーム会社の元従業員だった。徐々に親密になり、休日や年中行事を一緒に過ごすようになる。今回の事件の被害者となった子どもたちの世話もするようになった。お互いに配偶者との離婚を経たのちは、さらに家族ぐるみの関係を深めてゆく。
2017年5月ごろ、緑川被告の住むアパートの隣室に美奈子さんらが引っ越してからは、各々の部屋を行き来しながら食事や寝泊りを共にし、生活費を譲り合うようになった。
「無責任な発言かもしれませんが、事件という気がない。みんなであの世に行こうと思ってやったという形、大きな事件という意識は……。あのとき、皆で一生懸命考えて、決めてやったこと。後悔ってのはないです」
被告人質問の冒頭、事件について今どう思うかと弁護人に問われ、緑川はそう語った。
美奈子さんは生活の余裕がない状況が続いており、昨年2月に配送センターのパートタイム勤務となってからは、仕事のストレスを抱えていた。加えて、同年11月の児童扶養手当法改正により、美奈子さんが受け取る児童扶養手当が減額となった。
緑川は精神的には美奈子さんを支えることはできていたとしても、経済的に支えることはできなかった。自分自身も借金を抱えていたためだ。
職場の悩みと経済的な悩みを抱えた美奈子さんに緑川は寄り添っていたが、美奈子さんは昨年末には「死にたい」という気持ちを抱くようになる。
他に策はないかと対話を深めるほか「やっぱり自殺してほしくはないと、美奈にも子らにも考え直して欲しいとは思ってました」という気持ちから、美奈子さんの好きだったキャラクターのぬいぐるみを買いにいったり、気に入っていた靴を買い換えたり、家族を連れて外出するなど、緑川なりに心を配っていたという。
ところが今年1月10日に美奈子さんから届いたLINEを読み、考えを変える。美奈子さんを気遣いながら送ったLINEに対して「自分を褒めてやるわ」と返信が来たからだという。
「美奈は自分を褒めることをしない人だったんです。子どもの頃からつらい思いしてたんで、このまま人生終わりたくないという気持ちが強い人で。自分を褒めることも、今まで一度も聞いたことがなかった。それが自分で褒めたということは、自分で(人生が)終わりと思ってるんだなと……」(同)
美奈子さんの自殺願望を受け止めた緑川だったが、美奈子さんは自分だけが死ぬことを望んでいたのではなかった。子ども、そして緑川もともにあの世に行く、一家心中だった。
事件の3日前の夜、美奈子さんから「自分だけではなく、子どもたちも一緒に殺してほしい」と言われたが、緑川は一旦これを断った。
だが事件前日の深夜、リビングで二人で過ごしていたところ「5人での一家心中」を持ちかけられた。ついにこれを了承したが、緑川は「話をしないままで連れて行くわけにはいかない」と独自の独断で、子ども達に意思確認を行うことにしたのだそうだ。
その確認は事件前日夜と、当日の朝だった。
検察官「子どもたちに意思確認を行ったのは前日と当日ですよね。心中を決断させるにあたり十分な時間を与えたと思いますか?」
被告「……ん~……当日の朝だったんで、これはちょっと……短いと思うけど。……私がいない時間が1時間くらいあった……。その間にきっと……その内容は私いなかったので分からないですが、美奈と子どもらとで色々話して、結局……決めたんだから、まあ、十分といえないかもしれませんが、少なくとも私が介在しないところで決められる時間はあったと思います」
検察官「子どもたちが死ぬことを決めた理由、どうしてだと思いますか?」
被告「母のことが、美奈のことが非常に好きな子らだったので、お母さんがいくなら、じゃあ私も、というのが強かったと思います」
検察官「母とあなたの決断が先にありますが、それがあるから、その他の決断が取れなかったのではないですか?」
被告「そうさせないように話したつもりです」
美奈子さんの強い希望に押し切られた格好で、緑川は事件当日の朝、美奈子さんと子ども達とで、心中を実行するための買い物に出た。
美奈子さんは子ども達が通っていた中学校に「家の用事で休みます」と連絡を入れた。練炭やロープ、包丁などを購入し、昼過ぎに現場となった公園の駐車場に到着。夜になるのを待ち、一旦全員を車から降ろした。
順に一人ずつ、子ども達を車に招き入れ、包丁で首を刺して次々と殺害。最後に美奈子さんを車に呼び、首を刺して殺害した。「刺された方が一番楽だと思った」と、苦しみの少ない方法を考えた結果、選択した方法だったと、緑川は言う。
突然「明日一緒に死のう」と言われた子どもたちは、どんな気持ちで車に乗り込んで行ったのか。
美奈子さんには成人している子どももいた。3人の子ども達に緑川が意思確認を行なった際、母親が死んだ後、その子どものところにいく選択肢も提示していたという。だが「嫌だと言っていました」と、子どもたちが“死ぬことを選択した”と緑川は語った。
果たして本当に子どもたちは死にたかったのか? 緑川の発言に、検察官だけでなく、裁判官らも大きな疑問を呈した。
右陪席裁判官「子どもたちは積極的に死なないといけない理由がないですよね。巻き込んだようにも見えるんですが、子ども達の将来に思い至れなかった理由はなんですか?」
緑川「将来とか何か、考えた……そこだけは美奈に、心配して『どうする?』とは聞きました。生き残ることになれば上のきょうだいと一緒に生きても構わないと伝えました」
だが、美奈子さんは、成人しているきょうだいに、3人の子どもを託して死ぬことを嫌がっていたとも、緑川は語っている。
「上のきょうだいは結婚してたんで、3人の子どもらを預けると、上のきょうだいが、やりたいことできなくなる。それは避けたいと美奈は言っていました」(同)
「子どもたちは、母親のことが大好きだった」とも緑川は語った。美奈子さんが自分たちを上のきょうだいに預けたくないという考えを持つ中、一緒に死にたいと聞かされ、母親の気持ちを尊重した可能性も捨てきれない。
「あのとき皆で一生懸命考えて、決めてやったこと。後悔ってのはないです」
「今まで本当に、耐えながら頑張って生きてきた、美奈と、優しい子ども達が、あの世で幸せにしていることを願います」
公判ではこのようにも語り、子ども達も巻き込んだことを後悔している様子は見られなかった。
8月に開かれた判決公判で裁判長は緑川に懲役8年を言い渡した(求刑懲役10年)。裁判所が重く見たのは子どもたちに対する承諾殺人だ。
「当時中学生だった子どもらは、被告人らに生活を頼らざるを得ず、心中以外の選択を取ることが著しく困難な状況にあった。被告人は美奈子の親族や公的機関に相談するなどの他の選択を探ることをせず、美奈子に同調して、積極的に死を望んでいたと思えない子らを巻き込んだ。
被告人は自らの判断で子どもらに意思確認を行ったが、生活環境や年齢を鑑みるとこれを拒むことはできない。有利に斟酌する事情とはいえない。ことに中学生だった子らは、父のように慕っていた被告人に突如心中を持ちかけられた。その無念さや絶望感は無視できない」
いまでも緑川は子ども達が「本当に納得して死を選んだ」と考えているのだろうか。検察官は求刑の際に「美奈子の意思に同調するのでなく、どうすれば家族や中学生の子どもたち3人の未来を奪わずに済むか、探求するべきだった」と述べたが、まさにその通りだったのではないか。
【プロフィール】高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(徳間書店)「つけびの村 噂が5人を殺したのか?」(晶文社)など。好きな食べ物は氷。