isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
忘れてはならないこと
今週のおひつじ座は、忘れてはならないことを思い出していくような星回り。
「山国の長き停車の初景色」(木内彰志)の中に登場する「初景色」とは、元日に眺める景色のこと。ローカル線、各駅停車、鈍行…いずれにせよ、停まる時間も長くなり、見つめる景色も自然と広がっていく。いつの間にか景色をこんなにもゆっくりと見つめることもなくなっていたことに気が付きます。
日本は島国であると同時に、国土の7割以上を山地が占める山国。しかし都市圏は平地にあるため、ついついそんな事実さえも私たちは忘れがちです。年の暮れの忘年会は色々なことを忘れるためにある訳ですが、初夢や初景色というのは、忘れてはならないことを思い出すためにあるのかもしれません。
今週のあなたにもまた、そんな背筋がスッと伸びていく瞬間が訪れることでしょう。
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現実を肯定するための技法
今週のおうし座は、リアリティの浮き彫り作業に粛々と励んでいくような星回り。
生を現にそれとして生きているとき、そのあまりの間近さのため、また騒々しさと慣れのために、現実を現実として感じとることができず、さながら氷が張って凍結しその本来の豊穣が縮減された寂しい光景としてしか映りません。
プルーストというとどうしても懐かしい追憶の日々を想う甘ったるいノスタルジー文学のイメージが先行しますが、死後に出版された未完成のエッセイ「コントレサントブーブ」では、芸術という営みについて語られています。そこでは徹底して「現実」こそが問題になっており、それはよく知っているはずだと思っていたのに実際にはよく知らずに来てしまった「原初の生」のこと。
彼にとって文学とは生否定、世界否定のニヒリズム(氷)の向こうに広がるありうべき現実の肯定のための技法だったのではないでしょうか。あなたもまた、プルーストにとっての文学に代わる技法としての何かを自分なりに再認識していくことができるかもしれません。
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やがて不可解
今週のふたご座は、きれいはきたない、きたないはきれいを地でいくような星回り。
「手毬唄かなしきことをうつくしく」(高浜虚子)は、昭和14年の作。歌にあわせて毬をつく。はじめは覚えたての歌が口にのぼりますが、次第に毬に追いつかなくなる。そんなとき口をついて出るのは、身体に染みついた声や音、それから普段は誰にも言えない秘密のことば。
ぽん、ぽん、ぽん。何度もついているうちに、うれしいことはかなしげに、かなしいことはうつくしく、すさまじいことをそれとなく、猫が背を丸めるように変えていけるのも、手毬唄の魔術と言えるかもしれません。
遊ぶ子どもの無邪気さは、いわばひとつの宇宙であり、ゆえに不可解な神秘を軸に回っているのです。今週のあなたもまた、どこか死の側から生を愛でていくような感覚を改めて思い出していくことができるはず。
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夢は夜開く
今週のかに座は、ひとつの夢が夜開いていくような星回り。
スペインの画家ゴヤは、1799年に出版された版画連作『ロス・カプリチョス』のなかで、魔女たちの姿を描きました。ゴヤはこの連作を通して当時のスペイン社会を風刺していたと言われていますが、「飛行する魔女」という版画には「理性が眠るとき、妖怪がめざめる」というエピグラフがつけられました。
より正確に言えば、理性が眠りこむまでもなく妖怪はたえずめざめており、むしろ妖怪の威光の前では理性など手もなく眠りこけてしまうでしょう。ただし民衆というのは、もっとも恐れているはずのものを、実はひそかに願っているもので、ゴヤによって描かれた魔女の空飛ぶ姿も、小さな町の小さな住居にすくすくと育った変身と解放の願望が見せた小さな夢の一つだったのではないでしょうか。
あなたのこころにいつの間にか育っていた夢が、ひとつの明確な形をとるまでに成長していたのだということを、改めて実感していくことができるはず。
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笑いと囁き
今週のしし座は、怖いくらいに俗世を超越してしまうような星回り。
「初笑ひして反り返る僧仏師」の作者・山口燕青は、昭和の時代に仏像を彫って生活していた仏師であり、詠む句も仏師専門の俳句。どうしても死のイメージがついてまわる僧や仏師と「初笑い」の組み合わせには、どこか豪快な感じがあって、単なる滑稽味のみに堕していません。
思わず反り返るほどの大笑いが、すぐ死の傍らに転がっている。数多の出会いや別れ、酸いも甘いもかみ分けた末の、こうした凄味というのは普通の人間からはまず生まれこないはずで、あの反骨の禅僧のような、鍛え抜かれた人間の風格があります。
中世の10人の男女による恋愛話や失敗談など、艶笑にみちた退屈しのぎ話集である『デカメロン』にも通じる世界観でもありますが、デカメロンの舞台も大流行しているペストから逃れるため郊外に引きこもったという設定でした。あなたも自分の人間としての底がスーッと抜けていくのが実感していけるはず。
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音楽にのって共に踊る
今週のおとめ座は、近場ではなく、彼方からの働きかけとこそ強く共振していこうとするような星回り。
解剖学者の三木成夫は、講演録『内臓のはたらきと子どものこころ』の中で、口は内臓の前端露出部といえるものであり、「最も古い、最も根づよい、そして最も鋭敏な内臓感覚」がここに現われており、一方で内臓は胃も腸も子宮も膀胱も、ぐねぐねとうねり、たえず蠕動(ぜんどう)しているが、この臓腑の波動こそが「大脳皮質にこだま」して、音として分節されたのが言葉である、と述べています。
その意味で、声というのはいわば「露出した腸管の蠕動運動」を超えた、「もはや“響き”と化した内蔵表情」であり、そこには心拍のような明確で規則的なリズムとは異なる、言語的に分節しがたい言い難さ、言葉にならなさがあるのだとも言えます。
それはなぜか。内臓は不思議なことに、体内にあって「アンテナの届かぬ遠い宇宙空間の天体運行に同調」しており、いわば<彼方>と共振しようとするからではないでしょうか。あなたも遠くから受け取った波動を言葉にならないうめきとしての声に換えて、自身の口から発していこうとするはず。
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速度とリアリティ
今週のてんびん座は、まっさらになって新年を迎えていくような星回り。
それはまるで「スクリューを船より外し年用意」(棚山波郎)のよう。漁師にとって、漁船はいのちの次に大事な仕事道具であり、体の一部と言っても過言ではないでしょう。一年間よく働いてくれたことに感謝して、休ませてやる。スクリューは船の推進力の源であり、取ってしまえば船はもはや船ではなくなります。
それはつまり、漁師が猟師でなくなり、ただの人間に戻るということ、そしてそれを海神に分かるように示すという古い信仰の名残なのかもしれません。
農業においても、翌年に種を撒くことができるように耕作しないままにしておく休耕期間があるように、漁師にも人間にも、特別な余暇や安息日が必要なのでしょう。あなたも肩書きや役割から離れたところで、ひとりの人間としての自分自身を取り戻していく時間を大切にしていきたいところです。
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一吹きの巨大な風として生きる
今週のさそり座は、これまでの自分とは全く異なる価値観に触れていこうとするような星回り。
風は決まった行き先を持たず、あてどなく吹いていく。さらに言えば、風はどこに向かって吹こうかと思い悩むこともない。人生がもし風だとしたら、そこには予測可能性をいうものがなくなる。風に舞う雪や枯葉を受け止めようとして追いかけても、つかまえることはできないように。
風を知り、風を読むとは、風の方向を知ることですが、方向は感覚によって決まるものであって、事実や形式によってではない。ひとつひとつの事実にこだわっていれば、いたずらに風に飛ばされ続けるだけでしょう。
風を知るとは、風を感じるということであり、風とひとつになって、重力から自由になり、おのずから運ばれていくということ。あなたもまた、翼のはえた蠍のごとく、いつもだったら行かない場所や、まず自分ではしない選択を取り込んでみるといいかもしれません。
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聖なる光景をひらく
今週のいて座は、心の秘めた部分が開かれていくような星回り。
「山川にひとり髪洗ふ神ぞ知る」(高浜虚子)を、作者の内面世界を詠んだものとして受け止めてみましょう。「神ぞ知る」とは、誰も見ていないという意味を含んでいる一方で、神だけはそれを知っているという意味でもあり、うがった見方かも知れないが、これは作者が心に秘めている理想の女性像であり、みずからを補ってくれる存在なのではないか。
そう考えてみると、どこか鄙びた野性味のある女性が、ひとり髪を洗っている構図を通して句になることで、洗練された一幅の宗教画のような気品が出てくるのも、さもありなんという感じがしてきます。
ここには作者が求めた理想の結びつきの姿があり、それは作者が想定していた読者との理想的な関係にも投影されていたはず。あなたもまた、自分という存在を根本から補ってくれるものの像を明確にしていくことがテーマとなっていきそうです。
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死んだ先にあるもの
今週のやぎ座は、みずからを投げ出していく先を見出していくような星回り。
『風の谷のナウシカ』という作品において、主人公ナウシカの特異性がもっともむき出しになるのは、やはり反文明の象徴とも言える王蟲(オーム)との交信の場面でしょう。ナウシカがはじめて聞いた王蟲の声は、人間の言葉ではない、心にじかに聞こえてくる哀しみと怒りの叫びでした。
5巻の終わり、王蟲が生きたまま腐海の苗床となり、木々の根に食い破られ、森になろうとしている姿を目の当たりにしたとき、ナウシカもまた王蟲とともに森になることを願います。そしてそのとき、王蟲の触手がのびて、ナウシカの身体をみずからの口の中に呑み込んだのです。
民俗学者の赤坂憲雄は、「王蟲と粘菌とが合体して腐海の森をあらたに創造する場面には、さらに壮大なスケールをもって、この喰う/喰われる関係をめぐるドラマが繰り広げられているはずだ」(『ナウシカ考―風の谷の黙示録』)と述べています。あなたもまた、自分の名誉や業績をこえたところで実現していきたいこととは何か?という問いを少なからず突きつけられていくはず。
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立体マンダラとしての現実
今週のみずがめ座は、これまでの経験をビジョンにまるっと変換していくような星回り。
「記号的名前の雪が降りつづく」(岡田一実)を一読して、映画『マトリックス』のオープニングで無数の文字が流れ落ちてくる緑色のコーディング画面を思い浮かべた人も少なくないのではないでしょうか。
実はあのカタカナの羅列は本当に日本語と関係していたそうですが、「降りつづく雪」という何気ない光景も、もしかしたら「雪」のひとつひとつがコンピューター言語であり、それが全体として組み上げられた際に、まったく予想だにしなかったリアリティーが像を結んで浮かび上がってくるかもしれません。
ここには目の前の出来事を超えたより大きな世界の縁取りがあり、どちらがリアルでどちらがヴァーチャルかを判断保留とするような、半ば変性意識状態に近い在り様が暗示されているように思います。今週のあなたもまた、虚実が交錯していくような不思議な感覚を通過していくことでしょう。
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転回へ
今週のうお座は、精神的歩みの必然として何らかの<転回>に行き着いていくような星回り。
文化は求心的に大都市や大学に集まると思われがちですが、キリスト教が古代ローマから見て辺境の地・パレスチナで生じたり、カントがケーニヒスベルクというドイツの端っこで最先端の哲学を構築したように、歴史的にも物事の新しい観点というのはむしろ辺境から現れてくることの方が多いように思います。
辺境に現われた新しさが時代を画することがあるのは、おそらく思想の伝播における終着点のように見えて、そこが同時に、別の思想卷からの思想の終着点であり、つまり思想の合流や混淆を経た結果、決定的な<転回>が生じることで新たな中心点となっていくからでしょう。
つまり、辺境とは一つの層から成り立つわけではなく、いくつもの越境や、外部と内部の交流が積み重なっていくことで出来上がる、臨界領域なのだと言えます。今週のあなたもまた、自分自身がそうしたひとつの転回となっていくはず。
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