トップへ

『裸一貫!つづ井さん』に学ぶ、腐女子の幸せな生き方 “自虐をしない”作風に込められた決意

2020年12月23日 09:31  リアルサウンド

リアルサウンド

『裸一貫! つづ井さん 1』(文藝春秋)

 「生きていて楽しいですか?」と聞かれたら、あなたはなんて答えるだろうか。「いやいや人生楽しいことばかりじゃないよ」「仕事も忙しくて休みもないし」「給与が安くて安定しないし」「恋人がいなくて孤独死するかもしれないし」「世間体やルールに縛られて何かと生きづらいし」……そんな声がワーッと溢れてきそうだ。


参考:『逃げ恥』海野つなみ先生が語る、“ざっくり”な愛情論 「もっとゆるい感じで繋がっていていい」


 だが、同じ時代、同じ日本に住んでいて「不思議なくらい生きるの楽しい~! 」と言ってのける女性もいる。それが、漫画家の“つづ井さん”だ。彼女は、BL(ボーイズラブ作品)を愛好する「腐女子」で、二次元作品の登場人物に恋愛感情を抱く「夢女子」でもあるオタクだ。


 好きな作品に出てくるキャラクターたちの身長を壁にマスキングテープで貼って「推し」カップルの身長差に悶えたり(賃貸物件の壁紙もはがれるアクシデントあり)。オタク友だちとキャラクターについて延々と恋バナしたり(「推し」カップルのそれぞれに片想いしている体なので気持ちが錯綜して号泣あり)。


 挙句の果てには、母性やらクリエイティブ力やらを持て余した結果、仲間との相撲や創作ラップバトル、恋人がいる風クリスマス選手権などを繰り広げていく。そんな不器用で、ピュアで、くだらなくて、最高。そんなつづ井さんの送る「生きるのが楽しい」日常を、彼女はコミックエッセイに綴っている。


 個人的なことを言うと、筆者は「オタク」の人がもともと大好きだ。好きなもののためなら、お金も労力もいとわないその熱量に、生きるエネルギー値の高さに、シンプルに尊敬の念を抱いてやまない。


 アイドルオタク、アニメオタク、漫画オタク、ゲームオタク、動画オタク、文芸オタク、歴史オタク、鉄道オタク……世の中の「好き」の数だけ「オタク」がいる。その論理でいえば筆者は「オタクを愛でるオタク」かもしれない。


 そんな「オタクヲタ」な筆者にとって、「オタクな人たちのこういう行動が愛しい」が詰まっているつづ井さんの作品は、まさによだれもの。つづ井さんのことを、いわゆる「推し」と呼べばいいのだろうか。


 つづ井さんと、その仲間たちが幸せならば、「よかったよかった」と、こちらまで心が満たされる。『腐女子のつづ井さん』シリーズが30万部を突破する人気ぶりだと聞いたときには、こんなにもつづ井さんの日常に心をほっこりさせている同志がいるのか、と、また幸せな気分になった。


 さらに、『CREA WEB』(文藝春秋)で最新作『裸一貫!つづ井さん』を連載がスタートし、この9月11日には待望の1巻も発売され、ますます人気を集めている。「『推し』が成長していく姿を見届ける幸せとはこのことか。これがオタク冥利というやつか? このタイミングで担降りするのが例のマッドサイエンティストの価値観?」なんてニヤけてしまった。


 だが、読み進めるうちに彼女の作品がこれほど支持されるのは、単に「オタク」心理をおもしろおかしく紹介しているからだけではないのだ。愛する対象は“違う”けれど、愛するものがあるという点で“同じ”だということ。つづ井さんの作品で感じたのは、“違う”に寛容になるという適度な距離感だ。


 つづ井さんのオタク仲間も、ジャニーズが好きだったり、ヒーローものが好きだったり、女児アニメが好きだったり、女の子アイドルが好きだったりと、愛する対象は厳密にはバラバラ。また、1人ひとりの性格も陰と陽のキャラで違うし、その愛し方も人それぞれ異なる。それでもいい関係性を保っているところに、不寛容な時代を生きる私たちは憧れを抱くのではないだろうか。


 最新刊をリリースするにあたり、つづ井さんはnoteに『「裸一貫!つづ井さん」についてちょっと真面目に話させてくんちぇ~』というタイトルで記事をアップした。「私が『裸一貫!つづ井さん』の連載を始めるときに、決めたことがあります。それは「自虐をしない」ということです」という言葉に、Twitterを中心に大きな反響があった。それだけ、同じような心境の人がこの世の中には多いのかもしれない。


 「“彼氏のいない女性”が毎日ただ幸せである、ということを言葉のまま受け止めてくれる人は(体感として)あまりいませんでした」そして、恋愛経験の少なさ、容姿、インドアな趣味など、一般的な女性と比較して“違う”部分を中心に、楽しくない形で話題にあげられたことも少なくなかったという。


 その苦痛を回避しようと、つづ井さんが導いた策が先回りして自虐するということ。しかし、それはじわじわと彼女にストレスを与え、結果的に円形脱毛症になってしまったこと。「そういう扱いをしていい人」に自ら収まってしまっていたと語る。


 「他人の気分をよくするために勝手に削られて、私がああいう言動を選んでいたことで嫌な思いをした人もいたかもしれない」「いじってもいいという土壌を作ってしまったかもしれない」「一緒に過ごした大切な友人や私の絵日記を読んでくださる読者の方に申し訳ない、恥ずかしい、情けない……大反省しました」とも。


 だから、新シリーズのモノローグでは、職場などで囁かれる「いつまでそんな感じなの?」「ちゃんと将来考えなよ~」という声に「特にな~んとも思ってませ~ん ピッピロピ~」と、実にあっけらかんと答えている。自虐の時代は終わった。自分の「好き」や「楽しい」に正直に生きていいのだ。もしバカにされたり、突かれたりしたら「ピッピロピ~」と心の中でつぶやけばいいのだ、と。


 もちろん、“違う”部分を受け入れられない人からの、心ない言葉に深く傷つくこともまだまだある。悔しくて涙が出たり、息がしにくいと思うこともあるだろう。だが、そんな冷たい言葉が溢れる世の中よりも、「ピッピロピ~」「毎日楽し~!」「HAPPY LIFE☆」という声があちこちから聞こえてくる未来のほうがいいではないか。


 だから、つづ井さんは「不思議なくらい生きるの楽しい~! 」と言い続ける。その叫びに共鳴するように、多くの人が笑顔で彼女の本を手に取る。つづ井さんの革命は、まだまだ始まったばかりだ。


 はぁー、つづ井さん。生まれてきてくれてありがとうとかのレベルじゃない。お年玉とか渡したい。つづ井さんが生まれ、育ち、生きている。こんなすばらしいことってない。宇宙の神秘を感じずにはいられない……ありがとう人類……ありがとう宇宙……宇宙!(佐藤結衣)