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2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
当然の帰結の外へ
今週のおひつじ座は、収めどころのない想いを収めるべく、そのはずみをつけていこうとするような星回り。
それはまるで“賽の河原”を行き交う魂のよう。“賽の河原”と言うと、幼くして死んだ子どもらが河原に積んだ石の塔や、それを押し崩す地獄の鬼といった仏教的な陰鬱なイメージを思い浮かべてしまいますが、その古層にはサイの神(道祖神)に関するフォークロアが幾重にも折り重なっています。
さびれた村境の“賽の河原”には、もはや村にはいられず、さりとて理想的な他界(外部)に行くこともできずに彷徨っている未熟な魂(子ども)が集まっていて、サイの神(道祖神)とはそんな子どもを祀る神だったということなのかもしれません。
今のあなたもまた、今後今までの枠を超えたより広い範囲での活動をしていくにあたり、目に見えないところで自分がどれだけ愛されていたのかを再確認するという体験をしていきやすいはず。
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過剰であること
今週のおうし座は、普通だったらこうするだろうというのを、サッとかわしていくような星回り。
「クリスマスイブ雨アルミニウムの牛」(田島健一)は、不思議な印象を受ける一句。「雨」の言葉の置き方、「イブ雨アルミ」という語感の中毒性、「牛」で終わる唐突さ。前衛的というよりは、いっそ幼児的で無邪気な思いつきの結果、たまたま生まれてしまったかのような印象さえ受けます。
概念的・意味的なものが排除されて、言葉の音の連なりと、単語の質感のみの組み合わせが徹底的に追求されている。それは結局、概念的・意味的なものを組み合わせて持ってくると、何を言っても誰かの言葉になってしまうからなのではないでしょうか。
そして作者はおそらく、何を語るにせよ自分の言葉で語ることこそが俳人の仕事と考えている。それが俳人としての生理なのか、個人的なこだわりなのかは分かりませんが、これはなかなか普通にはできないことです。あなたも自分なりの言葉や語りを模索していくことがテーマとなっていくでしょう。
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問いとともに思い出す
今週のふたご座は、父母未生以前の記憶を思い出していくような星回り。
プラトンの対話篇『メノン』において、哲学者ソクラテスは学問などしたこともない奴隷の少年に、正方形の面積について図を描きながら問いかけていきます。その学ぶ様子を「誰も教えないで、ただ尋ねただけであるのに、この子は自分で自分のうちから知識をふたたび取り出して、それによって知識をもつようにな」ったかのようだと表現するのです。
これが、学ぶということはすでに獲得していた知識を想起する(アナムネーシス)ことであるというプラトンの想起の理論。その知識はいつ手に入れたのかという疑問に対して「魂は不死であって幾度も生まれてきており、この世のこともあの世のこともすべて見尽くしている。だから、魂が学び終えていないものは何一つないのである」と語らせています。
何かを真摯に問うことこそ、こうした想起のいちばんの発動条件なのではないでしょうか。今のあなたもまた、神殿の巫女に投げかけるようなつもりで、心から思い出したいと思ったことを問いにしてみるといいでしょう。
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何かがうしろからやって来る
今週のかに座は、いつかは向き合わなくてはならなかった因縁に手を伸ばしていくような星回り。
日が暮れると寒くなる。大寒(おおさむ)小寒(こさむ)、山から北風小僧がとんできた。うしろから、夜の小僧がとんでくる。「うしろから大寒小寒夜寒(よさむ)哉」(小林一茶)は、そんなおとぎ話やわらべ歌を連想させる一句。作者の故郷である北信濃の迫りくる山並みが目に浮かぶようです。
特に「うしろから」というのがいい。重く暗いものとしての夜や冬が、軽やかなリズムのなかでかえって存在感を増していくように感じられます。こうした土臭さというか、ぬぐいがたい百姓としての“地”のようなものは、現代人が小手先で詠もうとしてもなかなか出てきません。
そしてそうした土臭さは、どこか晩年に近づくまで苦労の連続だった作者の生き様にも繋がってくるようです。今のあなたもまた、あくまで軽やかに身のうちの「重く暗いもの」をそっとほどいていくといいでしょう。
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空白に雪が積もる
今週のしし座は、<スケッチ>という文章群を、机の引き出しに溜めていた村上春樹のごとし。
1985年に刊行された、村上春樹の短編集『回転木馬のデッド・ヒート』。そのまえがきには「本当の小説を書くべきじゃなかったのか」という葛藤を抱えつつも、小説でもノン・フィクションでもない、村上本人が実際に見聞きした数々の話を登場人物が特定されないよう細部を改変していった断片的文章=スケッチをまとめるしか、この頃は手がなかったのだという本人の弁が記載されています。
村上はそうしたスケッチ群を「身よりのない孤児たち」に喩えるのですが、もし人がそこに何か奇妙な点や不自然な点を感じるのだとしたら、それは自分たちが作り出した影のようなものだからではないでしょうか。つまり、事実や人生というのは、私たちが能動的に創り出しているものなのではなくて、あくまでそう見えるだけなのだ、と。
「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分じゃ、その発生と同時に失われてしまっているのに、我々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ。少なくとも僕はそう考えている。」あなたも、夜の雪がただ静かに降り積もっていくように空白を生きていくといいでしょう。
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芸は身を助く
今週のおとめ座は、自分を大切にするための創意工夫に時間を割いていくような星回り。
「冬旅や足あたゝむる馬の首」(誐々)は元禄の無名作家の俳句を、柴田宵曲が編纂した『古句を観る』から抜粋した一句。掲句はただ馬上旅行のつらさを訴えている訳ではなくて、足で触れた馬の首のあたたかさをなまなましく感じ、それから旅人としてのおのれの侘しさがしみじみと実感されてくるというのがこの句の味わい深いところです。
作者の意識は他者のところへ向けられているのではなく、あくまで自分自身に集中しているのです。無理をしている自分にきちんと対処してそれをゆるめ、そのありがたさの裏で、もしこうであったならもっとよかったな、とさらなる欲求の芽生えに気付く。
その意味では、自分を大切にするとは、つらさや悲しさをただなくしていくことではなくて、欲求と満足のあいだの微妙なあわいを豊かにしていくということなのかもしれません。今のあなたもまた、そうした豊かさをこれまでより一段深く切り開いていくことがテーマとなっていきそうです。
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聖なるものに目を見開く
今週のてんびん座は、怠惰と余暇との違いについて再認識していくような星回り。
「コンテンプラチオ」とは、キリスト教の精神生活の理想とされる言葉。通常は修道僧が人里離れた荒野や修道院で行っている内観としての修行などを指すのですが、カトリックの哲学者ピーパーは『余暇と祝祭』の中で、現実のなかで目を開くこととしてより平易に定義し直しているのです。
中世の天使博士トマス・アクィナスは「愛のあるところ、そこに眼がある」と言ったそうですが、この「愛」の対立概念として「怠惰」を挙げていました。中世において「怠惰」というのは日々の仕事にいそしむ「勤勉」と対立するものではなく、むしろ十戒の第三の掟「あなたがたは安息日を聖なるものにしなさい」に背くもの。つまりは「神的なものに目を見開くこと」に逆行する積極的行為と見なされたのです。
このアクィナスの指摘は、なかなか言われてみなければ思いつかないのではないでしょうか。今のあなたもまた、いかに怠惰ではなく余暇を習慣化できるかが問われていくはず。
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生き様=死に様
今週のさそり座は、腹のなかみを洗いざらいぶちまけていくような星回り。
「山碧く冷えてころりと死ぬ故郷」(飯田龍太)は、故郷・甲府について詠んだ句。といっても、どこかマイナスイメージから発想された故郷であり、みずからの終末の地というとらえ方です。しかし、そうすることがかえって故郷への愛着を強く引き出しているのでしょう。
作者の父・飯田蛇笏は24歳で文学の道を断ち、東京から戻って家を継ぐことを決心しましたが、作者自身は兄たちの相次ぐ死によって、決断をする十分な暇さえなく家を継ぐことになりました。掲句には、そのあたりの鬱屈した想いも潜んでいるはず。
ただ一方で、自分のありのままの想いを隠すことなくさらけ出しても、それを受け止めてくれるのは故郷しかない。まがりなりにも厳しい寒さに耐えながら生きて生きて、生き切ってきたんだ、という清々しさが「ころりと」という言葉によく表れているように思います。あなたも、どこかで自分の生き様/死に様に対して腹をくくっていくことがテーマとなっていきそうです。
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創造的な場所にいること
今週のいて座は、みずから熱い議論や意見交換を求めていこうとするような星回り。
カフェや喫茶店としての「コーヒーハウス」がヨーロッパ全体へと広がっていったきっかけは、1652年にロンドンでの開店を機にイギリスで起こった大ブームでした。コーヒーはなぜか潜在的に宗教や伝統的な社会制度や価値観とは折り合いが悪いようですが、実際のところコーヒーハウスが「非生産的」な場であったかと言えば、答えはノーでしょう。
ニュートンが『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』で披露したアイデアのほとんどはコーヒーハウスで芽吹いたものであったし、アダム・スミスの『国富論』の原稿もやはりコーヒーハウスで書かれました。またしばしば熱い議論が繰り広げられ、異分野の人たちが集まって意見交換をする場となっており、『ペニー・ユニバーシティ(一銭大学)』などという愛称まであったのだとか。
今のあなたもまた、そんなかつてのコーヒーハウスのように、クリエイティブな発想を生み出される場へと自主的にアクセスしていけるかが問われていくはずです。
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理屈よりも確信優先
今週のやぎ座は、客観的な尺度とは別の、魂にぴったり重なるような等身大の豊かさを再発見していくような星回り。
「窓の雪女体にて湯をあふれしむ」(桂信子)は、肉体の存在感が力強く迫ってくる一句。ふつうは裸体より着衣のほうがエロティックな雰囲気は増すものですが、窓の外の冷たい「雪」を持ち出して内側のあたたかさと対比させるなど、あざとさを感じるぎりぎりのところまで来ている掲句には、そうした一般論など寄せ付けない力があるように感じます。
少なくとも、女でなければ絶対に詠えない世界というものがあって、湯船に浸っている肉体は丸みを帯びていなければなりませんし、湯があふれた際にそこで動いているのは女の細腕でなければならないのです。
それはみずからの身体性を受け入れつつもそれを持て余しているエネルギーの充溢の光景と見ることもできるのではないでしょうか。今のあなたもまた、肉体であれ才能であれ好きなものであれ、一周まわって自分の手持ちの資産を最大限に活用していこうという機運が高まっていくはず。
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大いなる呼吸に入る
今週のみずがめ座は、これからの社会を動かしていく原理原則の可能性に思いを馳せていくような星回り。
ソクラテス以前の哲学者たちは、この世界を「神」というチート概念なしで統一的・総合的に理解するための出発点を「火」や「水」など日常経験しうるもののうちに見出そうとしましたが、紀元前6世紀に生きたアナクシメネスはそれは「空気」だと考えました。
空気は希薄さと濃密さによって、その在り方が変化するもの。空気は水に対する火のように、特定のはっきりとした対立物を持たない中間的性質を有し、私たちの周囲にあまねく無限に広がっています。
「空気である私たちの魂が、私たちをしっかりと掌握しているのと同じように、気息と空気が宇宙を包み囲んでいる」の中で言う「空気としての魂」とは、おそらく自主的な知的原理としての呼吸やそれに連動する精神活動。彼はその可能性の大きさに気が付いていたのでしょう。今のあなたも習慣的に“空気を読む”ばかりではなくて、時代の空気について考え、積極的に先取りしていきたいところです。
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ヴェールを脱いだ現在
今週のうお座は、認めざるを得ない現実を受け入れていくことで、目から鱗が落ちていくような星回り。
中村草田男は毎年亡き友を偲んで句を作っており、「冬空に聖痕もなし惟蒼し」もその一句。聖痕とは十字架のキリストの釘を打たれた手のひらの痕(あと)の聖なるしるしのことで、キリストの死後に弟子となったパウロは「この身にイエスの焼き印を帯びている」と言ったそうですが、作者はそれを自分と亡き友との関係に重ねたのでしょう。
茅舎がかつてよく句に詠んだ青空は、限りなく澄んで地上を去った彼の跡形もありませんが、それは二度と彼のような存在は出てこないであろうことを暗に示しているのかも知れません。
「唯蒼し」という結びには宇宙的な孤独の広がりがあります。あるいは現在の自己が突出して、ふいに過去と未来が永遠の輪として回帰するのを感じたのかも。今のあなたもまた、これまでどこかでヴェールで覆い隠されるようにして見えていなかった自己の在り様をめぐる解像度をどこまであげていけるかどうかが試されていきそうです。
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