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遊川和彦はなぜ“無表情ヒロイン”を描き続ける? 『女王の教室』から『35歳の少女』までの系譜

2020年12月12日 09:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『35歳の少女』(c)日本テレビ

 日本テレビ系で土曜22時から放送されているドラマ『35歳の少女』が最終回を迎える。1995年に事故で昏睡状態となった10歳の少女・時岡望美(鎌田英怜奈)は2020年に目を覚ます。身体は35歳の大人だが、心は10歳のままの望美(柴咲コウ)は25年の歳月を埋めるために様々なことを急激に吸収し、すぐに思春期を向かえ、幼なじみの広瀬裕人(坂口健太郎)に恋心を抱き、やがて家を出て二人で暮らすようになる。


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 脚本は遊川和彦。『家政婦のミタ』(日本テレビ系)、『同期のサクラ』(日本テレビ系)などのドラマで知られる遊川は、80年代後半から活躍するベテラン脚本家だが、大きな転機となったのは2005年の『女王の教室』(日本テレビ系)だろう。


 本作は全身黒尽くめで無機質な喋り方をするロボットのような女性教師・阿久津真矢(天海祐希)が、小学生の生徒たちに残酷な現実を容赦なく突きつけていく異色の学園ドラマ。そんな真矢に立ち向かうことで生徒たちは成長していくのだが、露悪的なストーリーで視聴者をひきつけながらも、最終的に大団円を向かえる物語が、大きな話題となった。


 真矢のような機械のように振る舞うダークヒロインを、遊川はその後も描き続ける。『家政婦のミタ』では、スーパー家政婦の三田灯(松嶋菜々子)、『〇〇妻』(日本テレビ系)ではアナウンサーの夫に尽くす謎の妻・井納ひかり(柴咲コウ)、彼女たちは一人だけ違う現実を生きているかのような人間離れした存在で、例えば阿久津真矢は、生徒たちの前に突然姿を現したりする。


 筆者の著書『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)に収録されたインタビューで、こういった超越的な人物を「スーパーキャラ」という言葉で遊川は表現しており、藤沢とおるの学園漫画をドラマ化した『GTO』(フジテレビ系)の脚本を書いたことで思いついたものだと語っている。


 『GTO』の主人公・鬼塚英吉(反町隆史)は元不良の破天荒な教師で、文字通り漫画の中から飛び出してきたようなキャラクターだ。そんな鬼塚に感化されることで周囲の人々は変わっていく。漫画原作のドラマを手掛けたことで、遊川は普通の人間たちの中に漫画の登場人物のような「スーパーキャラ」を紛れ込ませるという(漫画の手法を実写ドラマに持ち込む)キャラクタードラマを生み出す。


 ロボットのようなヒロインが、周囲を翻弄する物語は、中園ミホ脚本の『ハケンの品格』(日本テレビ系)や、大石静脚本の『家売るオンナ』(日本テレビ系)といった他の脚本家のドラマにも影響を与えている。今では一つの手法として定着しており、もはや遊川の手を離れたと言えるだろう。しかし、『35歳の少女』を観ていると、やはり本家は違うと感心する。


 阿久津真矢のようなダークヒロインを描く一方、純粋で正義感が強い故に周囲と衝突してしまうピュア系ロボットヒロインの物語も、遊川は多数描いている。


 近作では、高畑充希が主演を務めた『過保護のカホコ』(日本テレビ系)と『同期のサクラ』の2作がそうだ。『35歳の少女』の望美も、10歳の内面を抱えた35歳の大人として現れたピュア系ロボットヒロインだった。対して、阿久津真矢のような現実を突きつけるダークヒロインの役割は鈴木保奈美が演じる母親の時岡多恵が担っている。


 その意味で本作は、光と闇の遊川ヒロインが対決する物語になるかと当初は思われたのだが、望美に精神が肉体に追いつき、やがて身も心も35歳の大人の女性となる。そして、自分を取り巻く過酷な現実を理解するようになると、当初あった無垢な心も次第に失われていき、機械的な喋り方をするダークヒロイン化してしまう。


 『同期のサクラ』の最終話でも、北野サクラ(高畑充希)が副社長となった元上司の考え方に感化されて仕事をする中でダークヒロイン化する姿が描かれていたが、ピュア系ヒロインだったサクラや望美がダークヒロインに変わってしまう転倒は、AI(人工知能)がSNSのやりとりをディープラーニングした結果、差別的な思考を身に着けてしまうという事例を思わせるものがあり、どんなに優れた器でも取り込む知識や関わる人間によって、こうも変わってしまうのかと、哀しい気持ちにさせられる。


 同時に、最終話予告の望美を見て、第1話の望美が、短期間でここまで大人に変わったのかと驚かされた。これは遊川ヒロインでないと描けない成長と喪失の物語である。


 元々、遊川作品にはクラシカルな舞台劇のようなところがあり、各登場人物が記号的に設定されている。この徹底した記号性は、成長を描く上では足枷となりかねないものだが『35歳の少女』は望美の身体が大人のまま内面が変化していく物語にすることで、記号的なキャラクターだからこそ可能な成長ドラマとなっていた。


 使い古されたロボットヒロインによる作劇手法を、ここまで洗練させたのは、さすが本家と言うべきか。遊川の作家性もまた、時代に合わせてアップデートしている。


(成馬零一)