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新宿の「エアポケット」を死守して30年、名物カフェ「ベルク」店長の経営哲学

2020年12月02日 10:21  弁護士ドットコム

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巨大で複雑な構造から「ダンジョン」とも呼ばれるJR新宿駅。ビア&カフェ「BERG」(ベルク)はその地下一階、かつて東口改札があった場所近くにある。店長の井野朋也さんは1990年に父親が経営していた喫茶店を引き継ぎ、セルフサービス形式の飲食店へと変貌させた。


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それから30年。変わらずベルクはそこにある。駅ビルからの立ち退き問題、消費税の増税、東京都受動喫煙禁止条例、そして新型コロナウイルス。ベルクはどのように向き合ってきたのか。自身のツイッターでは、社会問題について積極的に発信している井野さんに聞いた。(ライター・土井大輔)



●新宿の街から匂いが消えた。簡単に言うと無臭になった。

――この30年で、どのような変化があったと感じていますか?



自分たちは「毎日やるべきことをやる」という、その繰り返しで30年きちゃったんで、すぐには出てこないんですけども。毎日鏡で自分の顔を見ていると変化がわからないように、ふだんは「変わった」とか考えずに過ごしてるんです。



ただ、久々に新宿に来たお客さんから「すごく変わったね」とか「暗くなった」と言われることがあったんです。言われてみると、たしかに昔のほうがもっといろんな人がいたし、街に活気があった。ずいぶん変わったんだろうなと思いますね。



――「昔はもっといろんな人がいた」というのは?



とにかく得体の知れない人がいました。ふだん何しているんだろうという感じの人たち。その中に僕もいたんです。今じゃ考えられないですけれども、ヤク(薬物)の売人も当たり前のように店の近くに立っていましたからね。大声を上げて歩く人ももっといっぱいました。



先日もツイッターで「お母さんがベルクの前でカラスを手なずけたおじさんに占ってもらった」という投稿があったんですけど、たしかにいたんですよ。カラスを肩に乗せたおじさんが。いつも店の近くに立っていて、ベルクに来ると挨拶がわりに「コーヒーまけろ」と言う。もう10年くらい見てないんで、生きているかどうかわからないですけれども。







カラスおじさんも決していいお客さんでないときがあったし、こっちも快く受け入れているわけではないんだけれども、追い出すほどでもない。そういう人がいっぱいいたのが新宿でしたね。ホームレスも駅の構内でふつうに寝ていましたし。



――それが変わっていったのは、いつごろなんでしょうか?



たぶん再開発が進んだ90年代です。いろんなものが変わりました。たとえば新南口のあたりは、一般の人たちからすると、近寄りがたい雰囲気があったんです。けれど、そういう危険な匂いがするところもキレイになった。街から匂いが消えたみたいですね。簡単に言うと、無臭になった。ベルク副店長の迫川(尚子さん)はそういうのに敏感なんで「今度は消臭剤の化学的な匂いで充満している」と言いますけれど。



●すごく飽きっぽい性格だけどベルクだけは飽きない

――この30年、店長としてくじけそうになることはなかったんですか?



何度もありました。(2007年の)立ち退き問題のときは、大家(JR東日本)から「出ていけ」と言われた。こちらに法的な正当性があっても、大家から「もういてほしくない」と言われている状態で居座り続けるのは、かなりしんどいです。「これまでかな」と思いましたね。「もう無理だな」って。



――どんな原動力で乗り切ってきたのでしょうか。



ダメだなと思いながらも、店を続けたいという気持ちはいつも強くあります。すごく飽きっぽい性格なんですけれども、ベルクだけは飽きないんです。全然飽きていない。



立ち退きのときは、さすがにダメだと思ったんですけれども、お客さんに呼びかけたら、状況が変わりました。



ふつうは「立ち退き」という言葉を出すだけでも商売上すごくマイナスなんです。立ち退きの話が出ていると知られただけで、店が潰れることがある。縁起が悪いものにはお客さんが寄り付かないんです。だから、こちらからは言えない。見栄もあるし、店のイメージもあるから。僕らも最初はそうでした。マイナスなことを言うと本当にどんどんマイナスな方向になっていっちゃう。



だけど、そのまま黙っていたら、本当に出て行くことになる。お客さんと一緒にやってきたという気持ちがすごくあったので、そのまま去るのは良くないと。最初は、店内の壁に「駅ビルから立ち退くよう言われています」と書いたんです。すると、ものすごい数の問い合わせがあったので、これはちゃんと言わなきゃダメだなと思って、次に『ベルク通信』(店内配布のフリーペーパー)で詳しく書きました。



そうしたら、お客さんがすごく怒ってくれたんです。「お客さん、全然引かないな」と思って、じゃあガンガンやってみるかと。営業継続の署名用紙を作って、店に箱と一緒に置いたんです。1カ月後ぐらいで5000筆くらい集まりました。新聞も記事にしてくれて、あとからJR東日本の本部が大騒ぎになったと聞きました。



最初からガンガン発言しているように見えるかもしれないんですけれども、商売をやっているとイメージというのは大事なんです。良いことは言いたいけれども、良くないことは言いたくないんで、3カ月ぐらいに真剣に悩みましたよ。





●新宿という街に引きこもってきた

――井野さんのツイッターを拝見していると、いつも「戦っている」イメージがあります。



自分では、あまりそういう意識はないです。「よくJRを相手に」とか言われましたけれども、向こうには担当者がいて、(配転などで)担当者もどんどん変わっていった。事務的なんですよね。だからこそ、強いんですけれど。



それで、こっちも事務的にやることにしました。考え出すと心がやられるんで、あくまでも仕事の一環だというふうに。「1日のうちの何分かは立ち退きについて考える」と決めて、淡々とやりました。仕事の一つとしてやったから、続けられたのかも知れないですね。



結局5年で、立ち退き問題は解決したんですけれども、永遠に続くと思っていたので、ちょっと肩透かしみたいになってしまいましたね。



――井野さんはツイッターで社会問題について発信していますが、店のイメージの話でいうと「怖い店だな」となりそうな気がしますけども。



「怖い店だ」と思っている人、本当にいるのかな。そんなに変なこと言っちゃってますか?(笑)。子どものときから、おかしいものに対しては「これはおかしいんじゃないの?」と言ってきたんです。「いや世の中そういうもんだ」と言われても、それじゃ納得できないんですよね。



たしかに立ち退き問題のときに署名用紙を置いたら、「署名用紙が怖い」と言う人もいましたね。でも署名用紙をやめていたら、結局、店は続かなかったわけだから、「怖い」と言われても、それはしょうがないかなって。いつかその怖さが消えて戻って来てくれればうれしいです。





――井野さんの考えに合わない人でもベルクに来ていいんですよね?



そもそもお客さんの考えなんかわからないですよ(笑)。1分間に何人も接客するわけですから。ツイッターが炎上したときに「こんな考えのお客さんを入れるんですか?」とか苦情が来たんですけれども、わからないですよ。おでこにでも書いておいてくれないと。



僕は店主ですけれども、ベルクにとってはそれほど重要な位置にいないというか。立ち退きのときから目立つようになっちゃったんですけど、「ベルクは誰が店長かわからない」と言われたこともあって、そういう店だったんですよね。もともと業態もファストフードですし、店長が誰かわからないという良さがあったんですね。



今もほとんどのお客さんにとっては、誰が店長かわかってないと思うんです。そういう店なんです。だから僕がちょっと何か言ったくらいではビクともしないと思います。



――ベルクをやっていて「飽きない」と思うのは、どういうところですか?



それがなんだろうっていうのは、自分でもわからない。やっぱり新宿という街が好きなんですよね。生まれも育ちも新宿っていうのもありますし。もともと引きこもりっぽい感じだった僕は、家に引きこもらないで、新宿という街に引きこもっていたんです。



新宿って、いろんな人がいて街もごちゃごちゃしているから、どこかに居場所がある。だからすごく居心地がよかったんです。親の店を継ぐっていう気持ちはまったくなかったんですけど、新宿をうろうろする中で、新宿駅に店があるのはすごいなと思った。



――新宿にはどこかに自分が当てはまる場所がある。



どこか逃げ場所があるというか、今はだいぶ整理されてきたんでしょうけれど、90年代まではそういう「エアポケット」みたいな場所が新宿にいっぱいありました。この店もエアポケットみたいな場所です。そのエアポケットを死守しているような感じですよね。



●飲食店がつぶれると街の雰囲気は戻らない

――新型コロナの影響はやはり大きいですか?



最大級に大きいです。こういう薄利多売の店なので、客数が落ちることが最大の恐怖です。立ち退き問題のときも、ツイッターで炎上したときも、むしろお客さんは増えていました。ただ今回は、さすがに応援したくても来られないじゃないですか。だから半減しましたね。コロナ前から半減したままです。



ただ、通販をはじめたところ、買ってくださるお客さんがいて、客単価が上がっているんですよ。1人でいくつもテイクアウトしてくださったり。それでなんとかなっています。スタッフも30人くらいいますし、厳しい状況は続いていますね。



――2020年4月からは受動喫煙防止条例で、店内が禁煙になりましたね。



タバコを吸う方で30年間通っていたお客さんもいるんですけれど、だいぶ離れました。その前の消費税増税(2019年10月)も、うちはなんとか乗り切ったんですけれども、あれでとどめを刺された店は多いと思います。そこに全面禁煙とコロナが来たんで、飲食店にとってこの3つは大きいですね。



――ベルクのような個人店は、コロナ禍をどう乗り切っていくべきだと思いますか?



これはもう何も言えないですよ。飲食店を代表しているわけでもないので。どうやったら店を続けられるかという工夫については、自分たちなりにネットで発信していますけど、店ごとに事情も違うでしょうし、業態が違えば全然違ってきますから。年末の宴会をあてにしていた店もあるでしょうし、それが見込めないのは厳しいだろうし。



――飲食店がなくなったら「居場所」がなくなる人もいると思います。



そうなんですよね。飲食店って、つぶれてもコロナがおさまれば、また新しい店ができると思うかもしれないし、実際にできるかもしれないけれど、そう簡単にはいかないと思うんですよ。



飲食店は簡単に始められて、簡単にやめられると思うかもしれないけれど、そうじゃない。やっぱりこういう雰囲気をつくっていくには、何年、何十年という時間が必要です。だから1度つぶれちゃうと雰囲気は戻らないんですよ。



そういう意味では、立ち退き問題では(駅ビルの)「ルミネ」と散々やりあったんですけれど、今はすごく理解してもらえています。外出自粛のときに「食品売り場」として営業を認めてくれたんですけど、生産者さんの中には、ほぼベルクのためだけに作ってくれている職人もいるので、「その人たちを残らせるためにも」とルミネ側から言ってくれたんです。



だから、立ち退きでたたかったことも、今では悪くはなかったなと思います。僕が「発信する」というのは、主張するというよりも、お客さんと考えを共有したいからです。お客さんと一緒に店を作っている思いがある。自分の考えていることを知ってもらって、お客さんはどう考えているか知りたい。



ルミネも今、ベルクがこういう店だってわかってくれた。だから簡単に閉めさせるわけにいかないなと言うようになってくれた。言葉を共有するのは大事で、発信するというのはそういうことなのかなと思います。