2020年11月27日 10:42 弁護士ドットコム
男女平等の実現や手厚い社会福祉、高い水準の教育。北欧と聞けば、さまざまなイメージが浮かぶが、実は、刑事政策をはじめとする刑事法の先進国であることはあまり知られていない。そんな北欧諸国の刑法や被害者支援について、研究しているのが齋藤実弁護士だ。
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たとえば、日本国内でも犯罪被害者が刑事裁判に参加できるよう、2008年から制度がスタートしているが、齋藤弁護士によると、フィンランドでは、被害者も事件の当事者であるという考え方にもとづき、数百年前から被害者が裁判に参加してきたという。
ほかにも、ノルウェーやスウェーデンでは、犯罪被害者の支援を専門に担う「犯罪被害者庁」が支援の中で、大きな役割を果たしている。また、再犯率を低く抑えるための性犯罪者に対するプログラムなど、その先進的な取り組みは枚挙にいとまがない。
「日本も学べることがあります」という齋藤弁護士。北欧の刑事法は、どのような考え方に支えられ、実施されているのだろうか。(弁護士ドットコムニュース・猪谷千香)
もともと大学院で刑事法を学んでいた齋藤弁護士だが、北欧の制度に興味をもったのは、偶然だった。
「15、6年くらい前、北欧の国々を視察で訪れたことがありました。北欧の中でも、フィンランドは日本人と文化的に親しみやすい国ですが、その犯罪被害者支援制度についてうかがって、『こんな制度が世界にあるんだ』と驚きました。
非常に進んでいますし、これをぜひ日本に伝えることができたら…と思ったのが研究を始めたきっかけです」
どのような犯罪被害者支援だったのだろうか。
「刑事裁判に犯罪被害者が参加する制度です。日本では2008年から被害者参加制度が始まりましたが、私がフィンランドを訪問した当時、そうした制度はありませんでした。
一方、フィンランドでは、犯罪被害者が刑事裁判において、独立した当事者として扱われています。事件の当事者は検察官、被告人だけではなく、犯罪被害者も同じように大きな役割を果たすという考え方です」
この制度の歴史は古く、フィンランドが建国された1917年以前のスウェーデン・ロシア統治時代にすでにあったという。また、犯罪被害者に対する補償金制度も齋藤弁護士を驚かせた。
「国が補償するのは当たり前、という考え方でした。これも、日本とはまったく違います」
フィンランドでは、有罪となった犯罪者から犯罪被害者が損害賠償を取り立てることの難しさや、犯罪被害者は病気や事故と同じようにきちん保障を受けるべきだという考え方から、1974年から補償金制度が始まったという。
先進的な犯罪被害者支援は、フィンランドに限った話ではない。たとえば、ノルウェーやスウェーデンでは、犯罪被害者支援に特化した官庁が大きな役割を果たしている。「そもそもの制度設計が日本とはまったく違います」と齋藤弁護士は指摘する。
たとえば、ノルウェーの犯罪被害者庁(正式には『暴力犯罪補償庁』)では、犯罪被害者に対する国からの補償金額を決定したり、犯罪被害者に代わり加害者に対して賠償金を請求してくれる。
「日本にも犯罪被害者のための給付金制度があり、2019年度には約10億円が支払われています。しかし、日本の人口の20分の1であるノルウェーでは、犯罪被害者を手厚い社会福祉制度により支援をするとともに、それに加えて、日本の3、4倍にのぼる補償金が国から支払われています。
また、日本では、犯罪被害者が加害者に損害賠償請求をしたとしても、支払われないことが多いのですが、犯罪被害者庁が損害賠償金を肩代わりし補償金を支給したあと、『回収庁』という官庁が肩代わりした補償金を加害者から取り立てます。
犯罪被害者は、何か落ち度があるわけではなく、誰でもなる可能性があります。社会の中で苦しんでいる人たちをどうやって救い上げるのかということを、北欧ではとても考えています。
みんなが平等なのだから、誰か困っている人がいたら、みんなで助けるのが当然だろうという意識が背景にあります」
また、スウェーデンにも『犯罪被害者庁』が設置されている。ノルウェーと同様に、犯罪被害者に対して補償金の支払い手続きをおこなったり、加害者に対して補償金の取立てをしたりしている。
一方の日本では、「一元的かつ総合的に、犯罪被害者支援をおこなう官庁は存在しません」という齋藤弁護士。
「国内では、これはこの官庁の役割、これはあの官庁の役割となってしまい、犯罪被害者支援をおこなう官庁はいくつにもまたがっています。
犯罪被害者白書では、内閣府、警察庁、金融庁、総務省、文科省、厚労省、国交省、海上保安庁が関係する省庁として挙げられています。行政の縦割りによる弊害が生じていることは否めません」
支援されるのが犯罪被害者だけではないところも、北欧の大きな特徴だ。
「加害者もいつかは社会に戻ってきますから、改善更生させるにはどうしたらよいのか、という観点から考えられています。
彼らにも平等に人権はあります。また、国にとって社会にとって、彼らが早く更生して働くことにより、税収増につながるというメリットもあります。厳しい刑罰ばかり科して苦しめても意味がないと考えられています。日本とは違って、犯罪被害者に対する補償がしっかりしていることも背景にあるのかもしれません」
たとえばフィンランドでは、そうした考えのもと、受刑者の社会復帰を円滑にするため、刑務所ではさまざまなプログラムや教育が充実しているという。
「その一つが、性犯罪者に対するプログラムです。たとえばフィンランドでは、性犯罪受刑者に対して『STOP』と呼ばれる独自のプログラムがあります。このプログラムを受講した受刑者の再犯率は極めて低いです」
齋藤弁護士によると、フィンランド法務省が性犯罪の再犯率を約20%と発表している中、このプログラム修了者の再犯率はわずか3%(1999年~2007年の調査から)。世界的にみてもかなり低い。
現地の刑務所でSTOPを視察した齋藤弁護士によると、プログラムは厳しい座学ではなく、談話室でコーヒーを飲みながら、受刑者同士が自由に話せるグループワークとしておこなわれているという。
グループワークでは、受刑者たちの『性に対する認知の歪み』と、その認知の歪みを実際に行為として移すきっかけとなる『トリガー』を自覚することに力が注がれる。
「みんな、自分の悩みを打ち明けたり、自分が犯した罪について話したりしていました。だいたいの性犯罪受刑者が、自分の性犯罪の経験について他人に話す経験はありません。そこで話してみて初めて、他の受講者から『お前、それまずいよ』などと指摘されることで自分の認知のゆがみやトリガーに気が付きます。
その気づきが、彼らにとってはとても大きくて、『これはやってはいけないことだ』と認識して、刑期を終えたのちの再犯防止につながります」
このグループワークでは、刑務官やソーシャルワーカーを男女1人ずつ、リーダーに採用。男性だけでなく、女性もいることによって、その進行に客観性を持たせることにつながっている。ただし、女性リーダーへの心理的負担が大きいため、カウンセラーが常駐し、カウンセリングが必須とされている。
重要なのは、リーダーと受刑者たちとの信頼関係だという。「そのグループワークが成功するかどうかは、リーダーたちの手腕や人間性に委ねられています」と齋藤弁護士は話す。
齋藤弁護士の話からは、日本人がイメージする刑罰と北欧の刑罰とでは、かなり異なっていることに気づく。
「教育の充実した刑務所で、(一見すると)快適な様子に過ごす受刑者を日本人が見たら、『なんだこれは?』と思うかもしれません。しかし、彼らからすると自由を拘束されているし、それを苦痛と感じているので、それだけ十分な刑罰と考えています。
そして、受刑者の自由を奪っており、彼らを更生させるのが大事だとも考えています。
ですから、たとえばフィンランドの刑務所では、受刑者を閉鎖的な刑務所から開放的な刑務所へ段階的に移し、必ず仮釈放させることで、徐々に社会に近い環境に慣れさせ、社会にソフトランディングさせることを目指しています。そのほうが目的にかなっていますし、実際に再犯率も低く抑える効果があります
現在、日本の法務省も再犯率を下げるために、さまざまな取り組みをしています。たとえば、出所者の『居場所』と『出番』を作るなどの取り組みもその一つです。また、福祉との連携もおこなっています。今後の成果が期待されています。
このような中、フィンランドの出所後も必ず保護観察をおこない、もし経済的に苦しいようなら、福祉と連携してサポートしていく、という取り組みは、日本の制度を考える上で、参考になるのではないでしょうか」
なぜ、北欧の国々は犯罪者の更生を重視しているのだろうか。
「犯罪者の更生を手厚くすることで、結果的に社会が良くなると考えられているからです。
それがよく伝わるのが、アメリカのマイケル・ムーア監督の作品『世界侵略のススメ』という映画です。
これは、アメリカの課題を解決するために、世界各国の良いところを導入していこうというテーマで、たとえばアイスランドでは男女平等、フィンランドでは教育が取り上げられています。そこで登場するのが、ノルウェーの刑務所です」
カメラに映る受刑者たちの暮らしは、まるで楽しい合宿所のようだった。ある刑務所では、殺人犯であっても個室を持ち、包丁を使って料理をして、音楽やゲームを楽しんでいた。
およそ刑罰というイメージからは程遠いが、驚くべきことにノルウェーの再犯率は世界で最も低く、20%程度。一方、刑務所で差別や暴力が横行しているアメリカでは、再犯率は80%だという。
「印象的だったのは、2011年にノルウェーで起きた連続テロ事件で亡くなった少年の父親の言葉です。ムーア監督に『犯人を殺したいだろ?』と聞かれ、父親は否定します。『相手がどんなクズだろうと、復讐は望まない』と。
映画で、ノルウェーの刑務所は復讐のためではなく、社会復帰のための施設だと紹介されています。そう考えると、厳しい刑罰は本当に必要なのか、考えさせられます」
父親はムーア監督との対話をこう締めくくっていた。「お互いを大事にしよう。開かれた社会で民主主義を、言論の自由を高める。収監してもものごとは良くならない。憎しみが増すだけだ」
こうした北欧の刑事政策の背景にあるものとは?
「まず、被害者も加害者も平等に人権が守られていること。それから、国民の国への信頼性が厚いことです。
たとえば、北欧には国が犯罪被害者に賠償金を立て替えて支払い、加害者に請求して取り立ててくれる制度があると話しましたが、これがなぜ可能かといえば、社会保障番号制度が行き渡っているためです。
社会保障番号と給与やその他の財産が紐づけられているので、加害者がどれだけ支払いできるかがわかります。現地で、『日本には、マイナンバー制度があるけど、なかなか普及していませんというと、『なぜ?』と不思議がられました。『国は私たちの情報を把握していますが、国民は積極的に情報提供しています。私たちは、国を全面的に信頼しています』と言われました」
北欧の刑事法の研究を続ける齋藤弁護士。数年前、ノルウェーを訪れたときのことを振り返る。
「ノルウェーの犯罪被害者庁は、ヴァルドという最北東の街にあります。飛行機を2回も乗り継いで行くような遠いところです。
そのヴァルドには暗い歴史があり、17世紀に激しい魔女狩りがおこなわれました。その主な対象となったのが、北欧の先住民族のサーミ人たちです。魔女狩りでは、疑われた人の手足を縛って海に落としました。沈んだら人間とされますが、溺死します。浮かんだら魔女とされて火あぶりです。どちらにしても死ぬしかありません」
過酷な環境から「地獄の門」とも呼ばれたヴァルドでおこなわれた魔女狩りは、サーミ人に対する差別であり虐殺だった。その被害者91人を忘れないため、ヴァルド市は2013年、記念館を設置した。スイスの建築家、ピーター・ズントーとアメリカの現代美術家、ルイーズ・ブルジョワ(故人)による共作だ。
「ヴァルドには、魔女狩りで亡くなった人たちの名前や生年月日などが記録として残っていましたから、それを一人一人、タペストリーに刻んで展示しています。また、椅子を設置してその上で常に火を燃やしています。
ノルウェーは、ノーベル平和賞を授与するような国です。その国が、自分たちの負の歴史をきちんと明らかにして、それを未来につなげていこうという姿勢を持っています。だからこそ、みんな国やお互いを信頼できるのだと思います」
【齋藤実弁護士略歴】 聖光学院高校卒業、慶應義塾大学法学部法律学科卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科前期博士課程修了(法学修士)。2009年、弁護士登録(東京弁護士会)、渋谷パブリック法律事務所を経て、2018年から新虎通り法律事務所パートナー。このほか、法務省矯正研修所外部教官や、獨協大学法学部特任教授を務める。一般社団法人日本フィンランド協会理事。北欧の刑事法を中心に論文多数。