2020年11月14日 09:41 弁護士ドットコム
「ブランドのデザインをパクられてしまった」「モデルをやっているが報酬を払ってもらえない」。そんなトラブルや問題が起きたとき、どうすればよいのか。慣習が根強いファッション業界では、長らく法的な問題は後回しにされてきた。
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そこで最近、注目を集めているのが「ファッションロー」という言葉だ。著作権法、商標法など知的財産に関する法律や、業務に関連する契約法、労働法などの領域を総称してこう呼ぶ。「ファッション産業に関わるすべての法律問題です」と説明するのは、ファッションローを専門分野とする海老澤美幸弁護士だ。
海老澤弁護士は大学卒業後、総務省(当時は自治省)のキャリア官僚として働いていたが、ファッションが好きだったことから、ファッション誌のエディターになった。
『ELLE JAPON』や『GINZA』など第一線の女性ファッション誌で活躍する中、業界のさまざまなトラブルを見聞きした。徐々に業界への問題意識が高まり、法科大学院に入学、法曹界へと転身した。
2017年から弁護士として活動をスタート、現在は、相談窓口「ファッションロー・トウキョウ」を立ち上げ、この問題に取り組んでいる。今、なぜファッションローが必要とされているのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
ファッションローは、どのような背景から誕生したのだろうか。海老澤弁護士はこう話す。
「まず、ICT(情報通信技術)を含むテクノロジーの進歩があげられます。昔だったらパリやミラノの現地に行って見ていたコレクションが、SNSなどで全世界にリアルタイムで配信されるようになりました。そうすると、デザインはそのままパクられ、次の日には同じような服が売られる。こうして台頭してきたのが、ファストファッションです」
さらに、巨大なファッション・コングロマリット(合併などで巨大化した複合企業のこと)が生まれたことも大きな要素だという。世界の三大勢力『LVMH』『ケリング』『リシュモン』と言われるものだ。
彼らがいくつものブランドを吸収して、非常に大きなコングロマリットとなったとき、コピー商品、海賊版があふれる状況を撲滅しようという要請が高まったのだという。
この情勢の変化から、ファッションローが求められたという。米ニューヨーク州の名門フォーダム大学のスーザン・スキャフィディ教授が2010年、NPO「ファッション・ロー・インスティテュート」を設立。2015年にはフォーダム大学のロースクールに、ファッションローのコースが開設された。
「パリやドイツなど海外ではファッションに関する法律問題は以前からありましたが、ファッションローという形で、体系的に構築されたのは、おそらくフォーダム大学でのムーブメントが最初ではないかなと思います」
また、「これは私の個人的な意見かもしれなのですが」と海老澤弁護士。
「もともと法律は、民法とか刑法とか縦割りに構成されています。でも、たとえばエンタメ法だったり、スポーツ法だったり、徐々に分野を横断して産業ごとに法律を見ていこうという動きがここ数年、強いと感じています。
そうすることで、より実質的な助言ができるというのも、この動きが高まっている理由のひとつかもしれません」
海老澤弁護士がファッションローに取り組もうとしたきっかけは、これまでのキャリアにある。
高校のころからファッションやおしゃれが大好きだった。当時は雑誌『Olive』や『CUTiE』を愛読していたという。慶應義塾大学法学部に進学し、卒業後は自治省にキャリアとして入省。岐阜県庁に赴任した。
岐阜は戦後、アパレル繊維産業で栄えたが、近年では問屋街が軒並みシャッター商店街となっていた。そうした現状を目の当たりにして、海老澤弁護士は「ファッションに携わりたい」という思いを強くして、ファッション業界へと飛び込んだ。
宝島社に入社し、雑誌『SPRiNG』編集部でエディターとして働き始めた。2003年には渡英、スタイリスト/デザイナーのマルコ・マティシック氏に師事。帰国後は独立し、フリーランスのファッションエディターとして第一線で活躍する。
忙しく働く日々は充実していたが、一方で業界の問題も目についた。たとえば、二次使用の問題だ。
「自分がディレクションしたページがある日突然、広告やポスターに転用されていたことなどがありました。
写真の著作権者としてフォトグラファーには二次使用料金が支払われています。しかし、その写真にはエディター、スタイリスト、ヘアメイクなど多くのスタッフが関わっているにもかかわらず、著作権者しては認められません。二次使用するかどうか事前にスタッフに知らされないまま使用されることもありました。『それってどうなの?』という思いが強かったです」
ファッション業界は古くからの慣習が根強い。口約束で正式な文書は交わさない、契約しても内容を曖昧にされるケースが少なくない。さまざまな法的な問題を抱えていた。
「もともとファッションも出版もブラックな業界ではあるのですが、相談しようとしても、ファッションに詳しい弁護士の先生が見つかませんでした。そのとき、よく考えたら、自分は大学で法律学科出身だったなと(笑)」
次のやるべきことが決まった。
折しも、ロースクール制度が導入され、社会人にも広く門戸が開かれていた。2011年3月まで『ELLE JAPON』のコントリビューティング・エディター(企画提案から編集ディレクション、スタイリングまで担当する編集者)をつとめたのちは、きっぱりと仕事を辞めた。
受験勉強を経て、翌年4月から一橋大学法科大学院に入学。2度目の司法試験で合格した。弁護士としての振り出しは、いわゆるインハウスロイヤー(企業内弁護士)だった。女の子向けの着せ替えアプリ「ポケコロ」を運営しているココネ株式会社で、編集経験を買われて広報も任された。
「仕事自体はすごく面白かったです。ツイッターの中の人をやったり(笑)。ただ、やはり弁護士としてのキャリアを積むためには、どこかの事務所に入ろうと思いました」
その後、企業法務や知的財産を得意とする都内の法律事務所を経て、現在の事務所へと移り、本格的にファションローの仕事に取り組んでいる。
弁護士として、現在のファッション業界をどう見えているのだろうか。
「いまだ、非常に古い体質で徒弟制度も残っています。本当は意識改革から必要なんですよね。だから、おこがましいですけど、啓蒙活動とか、そういったものが必要かなと思っています。
ファッション業界は、実はかなり広範囲です。商流(商的流通)がバラバラなんですね。たとえば、生産で言うと、上流から下流までと言われるように、工場からお客様に商品が届くという一連の流通がありながら、それとは別に雑誌では広告関連の流れがあったり。
同じ業界の中で、商流が複雑化しているという特徴があります。デジタル化が遅れるなど、なかなか変わらないのも、そうした背景が一因になっているように思います。
ですから、弁護士に相談したほうがよい問題があっても、そもそも弁護士に相談するという発想がないことが多い。やっと最近は、企業でインハウスロイヤーが増えてきていますし、弁護士に対するイメージも少しずつ身近になってきたとは思います。
しかし、それでも困っている人たちが、なかなか弁護士まで行き着いてくれない。労働環境がブラックなうえ、セクハラやパワハラも多いです。『ファッションが好きなら我慢できるだろう』と言われて、やりがい搾取されている人もいます。業界的に中小企業や個人事業主が圧倒的に多いことも影響しているのかもしれません」
少しでも相談しやすい環境を整えるため、海老澤弁護士は2018年1月、相談窓口「ファッションロー・トウキョウ」を立ち上げた。いわば、ファッション業界の「駆け込み寺」だ。どのような相談が多いのだろうか。
「いろいろあるのですが、『デザインをパクられた』という話、それから報酬未払い案件が比較的多いです。しかも、さほど金額が大きくなかったりするので、弁護士に依頼すると赤字になってしまうという悩ましいケースが目立ちます」
今年に入ってからは新型コロナウイルスの感染拡大が影を落とし、アパレル企業の倒産やブランド撤退などのニュースが相次いだ。
「最近は、コロナの影響もあり、労働案件が増えていますね。『アパレル会社を辞めさせられそうだけど、どうしたらいいか』とか、経営者からは『臨時休業していたときにスタッフを自宅待機させたけど、その分の賃金を支払うべきか』とか。
基本的には休業補償になると6割は払わないといけないのですが、実際には払っていないところも少なくないのではないでしょうか」
また、最近、気になっているのは相次ぐ企業やブランドの炎上だ。
「特に現在はSNSが発達しており、何かのきっかけですぐに炎上します。アパレル企業にとって、ブランドイメージを損ねるネットでの炎上は懸案事項で、『どうしたら炎上を避けられるか』という相談が非常に増えています。
『コピー商品』は炎上しやすいテーマの1つですが、最近は『ジェンダー』や『文化の盗用』で炎上するケースが目立っていますね。
最近では、性差別的なプリントTシャツを販売したセレクトショップや、イラストレーターとコラボしたタイツメーカーが炎上しました。炎上した理由はさまざまですが、企業が昨今の多様性やジェンダー、差別といった問題を十分に認識していなかったことが原因の一つなのではないかと思っています」
「文化の盗用」とは、たとえばある文化特有のモチーフなどを他文化のブランドやデザイナーが自分たちのデザインに取り入れた際に指摘される問題だ。
たとえば、2019年にアメリカのインフルエンサー、キム・カーダシアンさんが、自身が立ち上げた補正下着のブランドを「kimono」と名付け、日本の伝統的な着物とはかけ離れているとしてSNSで炎上したのも記憶に新しい。
「炎上したケースの多くは、企業やクリエイターがジェンダーや差別、文化の盗用の問題を十分に理解しておらず、社内のコミュニケーションも不足していることがほとんどです。
そのため、こうしたご相談や社内研修などでは、過去にどんな案件が炎上しているかを具体的に知ること、その上で、デザインでも広告でも、社内の多くの人のフィルターを通し、多くの人の意見を聞くことが大事であるとお伝えしています。
また、そのデザインや広告にした理由を説明できることがとても重要。炎上したとき適切に対応できるようにするためにも、どうして今そのデザインや広告なのかをきちんと説明できるよう準備しておくことを強くおすすめしています」
権利を侵害する危険だけでなく、正しい知識を得ることが、クリエイティブな世界を広げることにもつながるという。
「クリエイターの方たちには、『枠を知ってほしい』とお伝えしています。武道でいうところの『型』ですよね。先日、歌舞伎役者の市川猿之助さんがテレビで『型破りと形無し』の話をされていましたが、『おっしゃる通り!』と思って…。
つまり、『型』がわかっていないと、『型』を越えられない。クリエイティビティにおいては、『型』を知って越えること、知らずに漠然と越えることには、雲泥の差があると思います。
たとえば、あるアイデアが浮かんで、本当は問題ないかもしれないのに、法的な知識がないまま権利的に難しいかも…と思い込んで諦めてしまったら、非常にもったいない話です。今、炎上を避けるためもあって、そうした萎縮効果がとても大きいです。
ですから、ぜひクリエイターやファッション、出版業界で研修をしてほしいし、学校から教育してほしいと思います」
今、海老澤弁護士の問題意識はどこに向かっているのか。
「裁判例が蓄積されつつあるコピー商品は、ファッションローらしい面白さがあると思います。
また、私が弁護士になったきっかけであるファッション写真の著作権についても、インスタグラムをはじめとするSNSが発達してだれでもカメラマンになれる今、再考する必要があると考えています。
先ほどお話しした、ジェンダーや差別と炎上、それから『文化の盗用』も、個人的にぜひ深めたいと思っているテーマですね。
どこで線引きをすればよいのか、何を基準に考えるべきなのか。何らかの形で示していかなければならないだろうと思っています」
クリエイティブな世界を目指す若い世代に向け、海老澤弁護士はこんなことを考えている。
「法律って結局、何かをスムーズに動かすためのものだと思っています。規制するものではなく、たとえば、クリエイターの方であれば、さっきもお話しした通り、クリエイティビティを発揮するためのものだと。
そういう意識をぜひ持ってもらえたらいいなと思います。私も含めて、クリエイターって『法律って、なんか足止めされたり、規制されたりするイメージで面倒臭い』と考えがちです。実際、私もそんなイメージを持っていたんですが、本当は逆。クリエイティビティを高めて、かつ自分たちが仕事の中で最大限、実力を発揮できるためのツールです。
ぜひ、積極的に法律に関心を持ってもらえるといいなと思っています」
【海老澤美幸弁護士略歴】
1998年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、自治省(現・総務省)に入省。岐阜県庁に赴任する。1999年、宝島社に入社し、雑誌『CUTiE』や『SPRING』の編集を担当する。2003年、ロンドンにてスタイリストアシスタントになり、2004年に帰国、フリーランスファッションエディター・スタイリストとして活躍する。雑誌『ELLE JAPON』『GINZA』『Casa Brutus』などで活動後、2011年3月に仕事を辞め、弁護士を目指す。2014年、一橋大学法科大学院修了、2017年に弁護士登録(第二東京弁護士会)。ココネ株式会社でインハウスロイヤーを経て、2017年に林総合法律事務所に入所。2019年からは現在の三村小松法律事務所に所属。ファッション関係者のための法律相談窓口 「ファッションロー・トウキョウ」を立ち上げている。文化服装学院非常勤講師も務める。