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【11/9~11/15の運勢】11月2週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2020年11月09日 08:01  isuta

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2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

絆のもつれと深まりと

今週のおひつじ座は、安直な言葉ではなく、新たな問いを誘発するような言葉を日常に置いていくような星回り。

日本を代表する精神科医であった中井久夫は、本業の臨床のかたわら、その語学力をいかした詩の翻訳で有名な文学賞をとるほどの人物でした。そのいずれにの営みおいても、漠然とした疑問や仮説によって発生してくるらしい「曖昧な雲」のようなものがあることが大切なのだと記しています。

どうもあまりにすっきりと見通しが立ち過ぎていたり、すべてが割り切れてしまうような状態というのは、創造的な仕事にはあまり向いておらず、むしろ中井が言うような「雲」が視界のうちに広がっていることが必要なのではないでしょうか。

あなたもまた、特定の役割に割りきれなかったり、そもそもこういう関係なのだと割り切れない相手をこそ、改めて大切にしていきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

未知におのれを浸す

今週のおうし座は、自らの向き合うべき運命をその目に映していくような星回り。

現代では蟷螂(かまきり)には緑のカマキリと褐色のカマキリ、2種類いることを知っている人も多いはず。しかし昔の人は「蟷螂のまなこ大きく枯れにけり」(本宮哲郎)という句のように、緑のカマキリが冬にかけて枯れて茶色くなるのだと考えて、それを大層おもしろがっていたのだと言います。

虫も枯れるものという前提で見たならば、掲句の「蟷螂」の姿には、確かに簡単には見過ごせない何かがあります。何かがみずからを決定的に変えてしまう時、人はそこに運命の介在を見出しますが、我が身を染め上げたのと同じ力を枯れ野に映しているこの蟷螂は、それとはまったく異なる捉え方をしているのかもしれません。

そしてそう思う時、読者はこの句を通してやはりみずからに訪れつつある運命を見つめざるを得ないのではないでしょうか。あなたもまた、さながら掲句の「蟷螂」のごとく、らんらんとその目の内を燃えあがらせていくことになるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

日常のデザイン

今週のふたご座は、ごく普通の生活の中に創造性の種を撒いて、それを見守っていくような星回り。

現代アメリカの作曲家ジョン・アダムズはインタビューの中で「僕の経験からいうと、本当に創造的な人々の仕事の習慣はきわめて平凡で、とくにおもしろいところはない」と話しており、「基本的に、なんでも規則正しくやれば、創作上の壁にぶちあたったり、ひどいスランプに陥ったりすることはないと思っている」とも断言しています。

とはいえ、毎日何かを「規則正しく」やり続けるということほど難しいことはないはず。そして難しいことをこなせるようになるためには(しかもごく平凡に見えるように!)後天的な訓練が必要ですが、多くの場合、人は病気や事故などに直面するまで、日常生活を送るのに特別に訓練が必要であるとは考えません。

日常生活を規則正しくこなしていく訓練とは、多様な経験の実る土地に分け入っていくこと。そこで少しずつ土地をならして耕し、種を撒いて収穫することで、さまざまな豊かさや創造性の現れを人は経験していくことができるのです。あなたも一見地味に感じる日々の習慣やちょっとしたひと手間を積み重ねていくことを、改めて大切にしていくといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

空気と光を通していく

今週のかに座は、キラキラとした光を自分のなかに浸透させていくような星回り。

「子らの踏む音に光や霜柱」(日下節子)は、読むだけで脳裏に映像が浮かぶかのような一句。あなたが最初に感じたのはザクザクという音でしょうか、それとも子どもたちが道ばたの霜柱を踏みつけにしている光景でしょうか。

もちろん、人間の脳は複雑ですから、聴覚と視覚がはっきり分かれている訳ではありません。占星術的には聴覚はかに座と、視覚はおとめ座と対応しており、この2つの星座はもっとも連動しやすい2つ離れた関係性(セクスタイル)にあります。共感覚体験者のエピソードなどでも特定の音が特定の色と対応して見えるなど、その結びつきは頻繁に報告されているのです。

掲句の場合は言語感覚(ふたご座と対応)とも結びついていますから、3つの感覚が互いに結びついていくなかで、子どもたちの歓声だったり、雲間からのぞく日の光や霜柱などの情景などが、透明な萌芽のように心のなかに育ってくるのが感じられてくるはず。あなたも複数の感覚を丁寧に結びつけていくことを通して、自分なりに感受性を生き返らせていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

自分の世界を作りなおす

今週のしし座は、改めて大いなる息吹をからだに取り入れていこうとするような星回り。

宗教における経典では、しばしば同じ内容のことを別の言葉で繰り返し、その意味を強調する手法が用いられます。旧約聖書の『ヨブ記』の一節「神のルアーハ(息)がわたしを造り 全能者のネシャマー(霊)がわたしに命を与えたのだ」(ヨブ記・33・1)でもその手法が用いられ、“神からくるその生命原理が創造した人間に命を与えるということ”を2行にわけて述べられています。

しかし、同じヨブ記の「神のネシャマーがまだわたしの鼻にあり、わたしのルーアハがまだ残っているかぎり」(27・3)といった表現などを見ると、厳密にはネシャマーの方は呼気(吐く息)であるのに対して、ルーアハはその息が身体の中に入った後の状態を指しているように思えますし、ルーアハがしばしば「霊」とも訳されるのはそうした理由からなのでしょう。

しかし人間が生き生きとした存在であるためには、からだの内部にみずからを超えた大いなる存在の息吹からなる霊を内包して初めてそれが可能になるのであって、いくら健康的な食事と睡眠をとってポジティブシンキングを心がけたとしても、それだけでは決定的な何かが足りないのです。あなたもまた改めて日常的な尺度をこえた大きなスケール感を体感に落とし込んでいくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

オナラ行進曲

今週のおとめ座は、しょうもない現実に伴う哀感を受け入れていくような星回り。

「土佐脱藩後いくつめの焼芋ぞ」(高山れおな)という句は、坂本竜馬のことを詠んでいるのでしょう。彼が脱藩したのは28歳のことで、そこから近江屋で暗殺されるまでの活躍は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の影響もあり、幕末維新を先導した偉大な革命家として国民的な人気を誇っています。

しかし、掲句のキモはそんな竜馬にのんきに焼芋を食わせていること。おそらく、作者の意図は安直に彼を神話化しがちなファンへの皮肉にあるのではないでしょうか。

どんな英雄にだって光もあれば影もあり、8日にわたる決死の脱藩行もすれば、その間もそれ以後も、焼芋をほおばってオナラだってする訳で、お腹を壊せば下痢もするし、あわよくば便秘で悩んだことだってあったかもしれない。むしろ、そういう哀感があってこその人間ではないか、と。あなたもまた、ちょうどいい哀感を放てるくらいに、建て前や完璧主義をガス抜きしていくといいでしょう。焼芋だけに。

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illustration by ニシイズミユカ

でくのぼうごっこ

今週のてんびん座は、不完全さを真摯に志向していこうとするような星回り。

人間だと思って話しかけたら、郵便ポストだった。そんな話をどこかで実際に聞いたことあったように思いますが、何らかの無機物を、生命をもつ有機体、さらに意識をもつ人間と見間違える話としては、宮沢賢治の『月夜の電信柱』といった話もありました。

改めて読んでいると、そうした見間違えを可能にしている条件は単に「大きさ」というより、「たたずみ方」なのではないでしょうか。びっこを引いていたり、ふらふら頭をふったり、よろよろ倒れそうになったり、口をまげていたり…。予定調和的すぎる光景や、それを構成しているのが予測可能な動きばかりであると、私たちは逆に不自然さを感じてしまうように出来ているのだと思います。

つまり、たたずみ方に何らかの歪みのようなものがあって、かつそこに意図やわざとらしさが持ち込まれないとき、それが無機物であったとしても、この世でただひとつ、本当に予測できないものになって、見間違えが起きるのかもしれません。あなたもまた、どうしたって出てしまう癖や偏りをならそうとするのではなく、むしろそれを受け入れて活かしていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

うごめき始めた私かな

今週のさそり座は、新しい無常を見出していくような星回り。

冬のはじめに一時的に降ったりやんだりする雨のことを指す「時雨」は、芭蕉が深く愛したことで知られ、無常を感じさせる中世的な季語。「しぐるるや駅に西口東口」(安住敦)では、そこに現代的な都会の駅の光景を取り合わせている点で斬新な訳ですが、東奔西走しているのは作者本人というより、作者の目に映っているまるで生き物のようにたえずうごめき続けている人の流れでしょう。

人混みというのは、どうしても息苦しく、殺伐とした光景として連想されやすいものですが、掲句ではそこに柔らかに降る「しぐれ」を重ねることで、どこか連綿と続いてきた人の世のあたたかみをかすかに見出そうとしているようにも感じられます。

考えてみれば、思わずホっとするような安心感というのも、じっと固まって動かないでいるものよりも、いつも動いていて、ひとつ所におらず、たえざる移ろいの中にある無常にこそ見出されるもの。それこそが生命の根源的性質、ないし文化というのもの生命線なのかもしれません。あなたもまた自身のなかに、いつまでも生命力を失わず、うずうずとしている流れやゆらぎを見出していくことができるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

後ろ向きに跳躍せよ

今週のいて座は、ふっとおさなごころに立ち返っていくような星回り。

それはまるで「跳ぶために退く」というフランスの格言のよう。人間の社会は長いあいだ、男と女と子どもという3つのグループに分けられてきた訳ですが、そこではしばしば何にも割り振ることのできない衝動や心理が、子どものカテゴリーへと無言で押しつけられてきたという現実があるのではないでしょうか。

そこには慈悲と残酷、無邪気と悪意といった両義性がゆらぎつつも両立しており、葛藤している情報ネットワークの総体としての、赤裸々な人間本性が海の如くたゆたっては、時おり大人としてのみ存在していることに困難を感じた者を誘うのです。その意味で、われわれの存在ははじめからネオテニー(幼形成熟)を伴っており、「幼熟者」こそが人間の代名詞なのだとも言えるでしょう。

今週は、そうした幼形回帰の衝動がひときわ強くあなたの中でわいてくるはず。無理にジェンダーや社会的立場に自分をくくりつけるのではなく、いっそすべてを忘れていったんそうした衝動に身を任せてみるといいかもしれません。

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illustration by ニシイズミユカ

背景へのまなざし

今週のやぎ座は、固定観念のうちに閉じていくことを、みずからに戒めていくような星回り。

「死にたれば人来て大根煮(た)きはじむ」(下村槐太)の作者は、明治生まれの人。むかしは誰かが死ぬと自宅で葬儀が行われ、当然のように近所の女たちが集まって、訪問客のために大根などを炊き、食事をこしらえたのだとか。現代よりも、死というものがずっと身近にあった訳で、掲句もまたあくまでそれを日常の一コマとして描き出したのでしょう。

生きている知り合いの数だけ繰り返されるそうした光景は、当然ながら自分が死んだ後にも同じように行われ、それを見つめていくことで作者は現世のしがらみや、そこで生じる困難を乗り越えようとしているのかもしれません。

この世はしょせん仮の宿、行くも帰るもひとりなのだということを痛感していく時、それはただ寂しい現実としてそうなのではなく、永遠なるものを受けとったり、それに応えていくための貴重な契機でもあるのだということに改めて思い至っていくはず。あなたも現代ではなかなか感じにくくなってしまったこうした昔の庶民感覚のなかに、現状を打開するヒントを求めていくといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

ハートの倫理

今週のみずがめ座は、個人的な損得を超えた物差しを改めて自身の職業倫理にあてていくような星回り。

医学の祖として知られる、古代ギリシャのヒポクラテス。『ヒポクラテスの誓い』が有名ですが、「この医術(テクネー)を私に授けた人を親と同じように敬愛し、持てるものを分かち、必要あるときには助ける」など、プロとしての誇りや同業者や仲間などとの相互扶助の精神が強く打ち出され、それゆえにこそ時代遅れな理想論として忘れ去られているものでもあります。

しかし、彼が病気を特定の原因によって生じる独立した実体ではなく、季節や天候、食事の不摂生など生活全体に関わるものとして考え、医者のつとめを人体に備わった自然治癒力を引き出すことの中に見出していた点などは、現代のホリスティック医療の原型ないし先駆けとも言えるのではないでしょうか。

医術を何より「魂の癒し」として捉え、人への愛を基本としたヒポクラテスの姿勢は、冒頭の箴言と結びつくことで新薬をとっかえひっかえ処方したり、効率化や合理化の波が押し寄せている現代医療への批判にも繋がっていくはず。あなたも引き継いでいくべき伝統と失くしていくべき伝統とをよく見極めていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

天に問うということ

今週のうお座は、重要な計画であるほど、打算や比較によってではなく純粋な敬意や情熱から始めていくこと

天空は生きている人間に触れることも、ましてや思い通りにすることも叶わない、あくまで遥かな場所。「天空は生者に深し青鷹(もろがえり)」(宇多喜代子)において作者は、そうした線引きを「天空は生者に深し」というあざやかな言い方で表現しています。そこには言外に天空からこちらを見つめている、死者の臨在への強い思いがあったのではないでしょうか。

取り合せで詠まれた「青鷹」とは、生後3年を経ている若い鷹のことで、何十年も生きると言われている鷹の中ではまだまだ若造もいいところ。それだけに、生者と死者という垣根を超えて互いに励まし合う関係にあった身近な誰かのことを、そこに重ねていたのかもしれません。

その意味で掲句は、垣根を超えるという行為やその可能性が、蛮勇によってではなく、友愛や敬愛によって想像されている稀有な句なのだと捉えることもできるはず。あなたもまた、自身が命運をかけるべき試みの動機付けについて、改めて深めていきたいところです。

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