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キンコン西野、ひな壇に出るのを辞めた理由の1つはテレビの変化に関係「ある時、スマホが現れた」

2020年10月18日 12:21  Techinsight Japan

Techinsight Japan

西野亮廣、同業者から「ひな壇、出ろや!」と散々言われたことも
お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が、数年前に「ひな壇に出るのを辞めた」理由についてブログで改めて言及した。2つあるという理由の1つについて説明するため、「ひな壇」とテレビの関係を西野なりの視点で分析しており興味深い。

西野亮廣は、10月17日のブログで「ひな壇に出るのを辞めた」理由の1つを「得意ではないから」と明かしている。西野はMCを務めていたバラエティ番組『ガリゲル』(読売テレビ、2019年9月終了)の2015年12月12日放送回で、ひな壇に出ないと宣言した件を「ひな壇に出てる芸人さんは素晴しく、自分はそれに勝てるいいパフォーマンスができないから白旗を上げた」と話しており、今も趣旨はブレていない。

このたびのブログでは、もう1つの理由について「これから鍛えるべき筋肉はそこじゃないと判断したから」という。

西野によると1980年代には「ひな壇」の原型があり、1985年に始まったビートたけしの冠番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(1996年10月終了)では出演者が二段に分かれて並んでいた。その頃はまだ少なかった「ひな壇」を用いた番組が、2000年代に急増する。西野はその大きな理由を「薄型テレビの普及にあるのではないか」と述べている。

地上デジタルテレビ放送(地デジ)が2003年12月から導入され、2011年7月24日の正午にアナログ放送から完全移行された。地デジ対応テレビの多くは薄型の大画面テレビであり、西野は「画面が大きくなったもんだから、登場人物が多くないと、画面のバランスが悪い。もしくは登場人物が多くても、一人一人の表情が確認できるようになった」ことにより「ひな壇」形式の番組が増えたという。

しかし「ある時、スマホというものが現れた」のである。スマホでテレビ番組やYouTube動画を楽しむ人が増えると、今度は「ひな壇」に大人数が並ぶと表情が分かりづらい。テレビ番組を巡る環境が変化するなか、さらに今年に入って新型コロナウイルスの影響でタレントがリモートで出演したり、スタジオで撮影する場合もソーシャルディスタンスを保てる人数に制限されて「ひな壇」形式はさらに少なくなった。

西野は「こうなってくると、求められるスキルは『大勢の中で前に出て行く力(瞬発力)』ではなくて、『一人で画面を持たせることができる力(持久力)』」であるという。「これから鍛えるべき筋肉はそこじゃないと判断した」とはそういうことであり、西野は「ひな壇に出るのを辞めた」もう1つの理由が間違いではなかったことを確信したのである。

「ひな壇に出ない」と宣言した頃は、「日本中からフルバッシングされ、同業者からも『ひな壇、出ろや!』と散々言われて好感度低い芸人1位になった」と明かす西野亮廣。時を経て冷静に理由を説明したうえで「違う意見」に対して「なるほど」と理解しようとする姿勢を持つことができず、「違う意見」を持つ相手さえも「嫌い」になってしまう思考はいかがなものかと持論を展開。「意見」と「人格」を切り分けて「違う意見」を持つ人の声にも耳を傾けられる状態にしておかないと、「選択肢が減って、時代に対応できなくなる」と警鐘をならした。

そんな西野亮廣はお笑い芸人の他に絵本作家やソロトークライブ、舞台の脚本を手掛けるなど幅広く活動し、まさに「持久力」を発揮して時代に対応している。絵本『えんとつ町のプペル』(2016年発売)はロングセラーを記録して2020年10月に累計50万部を突破。アニメ映画化されて12月には『映画 えんとつ町のプペル』が公開される。

画像2枚目は『NISHINO EHON 2020年10月16日付Instagram「映画『えんとつ町のプペル』のオンラインムビチケ(前売り券)の発売が開始しました。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)