2020年10月18日 09:52 弁護士ドットコム
「コロナ禍でも毎日のように『ピンポン』と呼び鈴を鳴らされる」「勝手に家に入ってきたり、ものを壊されたりする」。
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傍若無人に振舞う近所の子どもに悩まされている人たちがネット上で不満を綴っている。このような子どもたちはネット上で「放置子(ほうちご)」とよばれ、その対応に悩む声がしばしば上がる。
中には、助けになりたい気持ちで手を差し伸べたところ、子どもが毎日家に来たり、自分の子どもと敵対するようになったりしてしまい、頭を抱えている人もいる。子どもの保護者に話をしても改善されないケースも少なくないようだ。
トラブルを避けるために「気の毒だが、放置子には関わらない方がよい」という声もある。しかし、子ども支援に詳しい深谷野亜准教授(松蔭大学)は、「放置子も虐待の一種であるという認識が必要」と指摘し、子どものためにも児童相談所全国共通ダイヤル「189(いちはやく)」に連絡することを推奨する。
放置子とどのように向き合うべきか。詳しく話を聞いた。
ーーそもそも、「放置子」とはどのような子どものことをいうのでしょうか。
「放置子」に関する明確な定義はないようです。
ただ、ひとりではまだ色々なことがうまくできず、本来であれば、親などの大人と一緒にいて、大人の庇護(ひご)下にあるべき年齢であるにも関わらず、ほったらかしにされている子ども(幼児から小学校中学年ぐらい)のことを指すことが多いように思います。
「放置子」という言葉が近年になって語られるようになった背景には、SNSを通じて語れる場が一般に向けて開かれたことが大きいでしょう。ただ、それだけではなく、家族や社会のあり方の変化によって、放置子が作り出される側面もあると思います。
「放置子」という言葉はありませんでしたが、ひと昔前もいわゆる養育放棄といえるケースは一定数ありました。
ただ、そのころは近年と違い、いわゆる「おせっかい」なおじさん、おばさんや、近所に住む(あるいは同居する)祖父母が手を差し伸べ、声をかけていました。近年と比べて、「社会全体で子どもを育てよう」という意識があったように思います。
ーー放置子に悩む人は少なくありません。しかし、都心部に住む人からは「放置子をあまり見ない」という声もあります。
放置子については、数が少なすぎること、対象を把握できないことなどから調査はされていません。そのため、あくまで私の体感なのですが、放置子は都市部の方が目立つかもしれません。
都市部かそうでないか問わず、親としての責任感が薄い層は一定数います。さらに、都市部では地域縁も弱いといえます。そのため、経済的に豊かであっても、結果的に放置子は都市部でみられやすいかと思います。
また、これも推論の域を出ませんが、放置子は地域性というよりは、社会階層と関係があるように思います。経済的に余裕があれば、子どもをベビーシッターに預けるという選択もあります。中には、育児のほとんどをベビーシッターに任せている人もいると思います。
このような場合は、たとえ親に「親性」(自己を尊重しながら、他者である子どもに対しても慈しみやいたわりをもつこと)が育っていなかったとしても、子どもは「放置子」にはならないでしょう。
もちろん、お金があればよいということではありません。お金では「愛情」を子どもに与えられないためです。
ーー中には、放置子の親に直接話をしに行ったという人もいます。しかし、ほとんどの場合は改善されないようです。「虐待しているわけではないし、誰かが見てくれるから別にいいでしょ」と言われた人もいます。
子どもの親に話をしても、なかなか難しいかもしれません。もし、話をして改善される相手であれば、実家や学童などに預けるなど、そもそも最初から子どもをほったらかしにすることはないように思います。
私が見聞きしてきた限りでは、放置子の親には大きく3つのケースがあるように感じています。
第1に、社会が親性を育むことに失敗していることに起因しているケースです。
近年の学校教育では「自分のための教育」に重きを置きがちであり、多少自分を犠牲にしても他者のために、という意識を社会が形成するのが弱い傾向にあります。
自分のための教育を受けた人が、自分の時間やお金などを犠牲にしても「子どものために」と他者のための人生にシフトするのが難しい時代だといえるのではないでしょうか。
このようなケースの場合、親は自分のことしか見えておらず、子どもよりも自分が大事になってしまいます。そのため、自分がしたいことをする時間などが奪われることにストレスを感じ、子どもをほったらかしにしてしまいます。
第2に、誰にも相談できず、社会のサポートを十分に得られていないケースです。特に、突然の配偶者との離別(あるいは死別)により、女の子を1人で育てているシングルファザーの中にみられることがあります。周囲に弱音を言えず、どうしてよいか分からずに追い詰められ、結果的に子どもと向き合うことから逃避してしまいます。
第3に、もともと他者とのコミュニケーションや意思疎通が苦手な人が親となったケースです。
たとえば、「自分ができることは当然子どももできる」と考えてしまい、ひとりでは何もできない子どもをほったらかしにしてしまうこともあります。また、親自身が発達障がいがあることに気づいていないというケースもあります。
文部科学省によれば、特別な支援を必要とする児童生徒は6%以上いると試算されています。また、発達障がいはまだまだ調査・研究が必要な領域といわれています。早期に適切な対応をすれば、かなりの成長が見込まれるとされていますが、現代の親世代は早期発見をされないまま成長した世代といえます。
ーー「放置子には関わらない方がよい」という声もある一方で、「なんとかしたいが、どうすればよいのか分からない」と悩む人もいます。実際にこのような子どもたちと接した場合、どのような対応をするべきでしょうか。
「放置子」といわれる子どもの中には、親から得られない愛情を他の大人に求めてベッタリ甘えてしまったり、手を差し伸べてくれた人の愛情がほしいためにその人の子どもと敵対関係になったりしてしまうケースもあります。
そうなると、とても個人の力だけでは、子どもを支えきれなくなります。
私は、やはり今できる対応策としては、児童相談所(児童相談所全国共通ダイヤル「189」)に連絡することだと考えています。
アメリカでは、子どもは「社会の子ども」であり、社会全体で育てるという意識があります。他方、日本ではその意識は薄く、「○○さん家の子ども」という意識の方が強いように思われます。そのため、なかなか他人の子どもに口出ししにくいという現状もあります。
また、中には「こんなことで通報してよいのだろうか」「悪いことではないか」などと、通報を躊躇する人もいます。しかし、最終的にどうするかという判断は児童相談所がおこなうことです。判断はプロに任せて、まずは早期に情報提供をと思います。手遅れになり、子どもが亡くなってしまう可能性も考えられるためです。
ーー放置子の場合は「これは虐待なのだろうか」という気持ちから、通報をためらう人もいるかもしれません。
たしかに、そのような面もあるように思います。しかし、放置子も虐待の一種であるという認識が必要だと私は思います。子どもの心や体が傷つくことは虐待である、という認識のもと、虐待の範囲自体も変化しています。
虐待によって、子どもは身体的発育や知的発達、心理面においてさまざまな影響を受けることとなります。子どもは「本来愛してくれるはずの親にさえ受け入れてもらえず、自分は要らない子どもだ」と受け止めてしまうため、自己肯定感が育ちません。
その結果として、青少年・大人となっても対人関係が苦手であったり、犯罪や非行に手を染めたり、自殺を考えたりするなど、その後長期にわたっての影響が続くことになります。早期発見・早期通報が重要です。
ーー今後、放置子を減らすためにできることはどのようなことでしょうか。
何かをおこなうことで、今すぐに状況を変えることは難しいかもしれません。親たちの意識を変えることもなかなか容易ではないでしょう。
しかし、子どもの幸せをその親に任せるのではなく、大人世代の意識を変えることで、いま目の前にいる放置子を救うことはできると思います。
まずは大人世代が放置子も虐待の一種であるという認識をもち、子どものためを思って通報することが重要です。そして、子どもは「社会全体で育む」という意識が必要ではないかと思っています。
また、将来、親になるかもしれない子どもたちに働きかけることで、10年、あるいは20年先に「放置子」を減らすことはできると思います。
先ほど、放置子の親には大きく3つのケースがあると述べました。(1)親性は、学校での教育で育むこともできるでしょう。ボランティア活動などを通して「人のために」という発想を身につけるなど、学校教育の場でできることはあります。
また、(2)どうしてよいか分からずに追い詰められてしまう、(3)意思疎通が苦手、というパターンについては、社会のサポートが不可欠です。(3)については、子ども時代から適切な支援やトリートメントを受ければ、改善が期待できるとされています。
ほかにも、児童相談所のスタッフを増員したり、通報意識を高めるための啓蒙活動などをおこなったりすることも大切なことだと考えます。
【深谷野亜准教授プロフィール】 松蔭大学コミュニケーション文化学部准教授・松蔭大学学生相談室長。明治学院大学非常勤講師。子ども支援士。 1967年、宮城県生まれ。明治学院大学社会学部卒、上智大学大学院教育学専攻博士後期課程満期退学。共著に「こども文化・ビジネスを学ぶ」(八千代出版)「日本の教育を捉える」「育児不安の国際比較」(学文社)ほか。