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池袋暴走事故、刑事弁護人は「無罪主張と反省は両立する」 被告人へのバッシングは何が問題?

2020年10月14日 15:41  弁護士ドットコム

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東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し12人が死傷した事故で、自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死傷)の罪で起訴された男性被告人(89)が、10月8日にあった初公判で起訴内容を否認したことが話題となっている。


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被告人は「アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶しており、車に何らかの異常が生じて暴走した」と起訴内容を否認。ネットでは「全く反省していない」「無罪を主張する神経を疑う」といった怒りの声が上がっている。



果たして、無罪主張することは「反省していない」ということなのだろうか。神尾尊礼弁護士に聞いた。



●被告人は裁判で自分の言い分を述べる権利がある

——被告人の無罪主張に怒りの声が上がっています



大前提として、痛ましい事故が起こったこと、ご遺族がお辛いお気持ちであろうこと、もう二度とこのようなことがあってはいけないことは忘れてはいけないと思います。その上で、被告人に対する批判が誤解によって生じているものもあると思われますので、少しご説明します。



まず、「無罪を主張する神経を疑う」というものです。



犯罪がおこなわれそれが許されないことと、被告人が刑事裁判で自分の言い分を述べる権利があることは、冷静に分けて考える必要があろうと思います。



重大な事件や事故が起きたとき、誰かを罰したい気持ちは理解できます。ただ、刑罰は、正当な手続に則って、正当な法律の適用があってはじめて正当化されます。



どのような極悪人であっても、裁判で自己の言い分を述べることは許されなければなりません。「無罪を主張する神経を疑う」という発言は、弁明の機会を剥奪するものにほかならず、ひいては法治国家そのものの否定ともいえます。



●無罪主張と反省は両立する

——「無罪主張をするのは反省していない」という声もあります



無罪主張と反省は両立する場合もあります。特に今回の事件は、「自動車運転過失致死傷罪」という「過失犯」です。「故意犯」であれば、やったかどうかは本人が一番知っているわけですが、過失犯はそうではありません。



例えば殺人罪という故意犯であれば、殺害行為があったかどうかは、本人が一番よく分かっています。



他方、キャッチボールの球がたまたま視界外の人に当たった場合のように、過失があったかなかったか本人にも判断できないことがあります。例えば強風でボールが流されて当たったのかもしれません。



過失というもの自体はっきりと形の決まっていない法的概念ですから、過失の有無が裁判の争点になることはしばしばあります。



自分の投げた球で人が死んだら、後悔するでしょう。反省もするでしょう。ただ、刑事裁判になって、原因として「強風が影響した」と主張したら、反省していないことになるのでしょうか。



無罪主張と反省は両立します。特に過失犯の場合には、はっきりとどの行為が問題になるか事件のときは分からないのですから(分かっていたら「故意」犯になります)、反省とより両立し得るのです。



実際、これからの法廷では被告人が「反省している、後悔している」と述べる場面があるかもしれません。だからといって、過失犯において無罪主張が封じられるわけではありません。



●判決は被告人の意思とは無関係

——被告人が起訴事実を認めるかどうかで、判決は変わってくるのでしょうか



意識しておいてほしいのは、有罪・無罪というもの自体が、実は被告人の意思とは無関係に決まり得るということです。



例えば、被告人が「自分は間違いなく殺すつもりだった」と述べたとしましょう。ただ、柔らかいものを軽く投げただけのような行為の危険性が全くないような場合、法律的な意味での「殺意」はなかったと弁護人は主張することになります。



このように、被告人がある意味での「有罪」を主張したとしても、法的解釈として「無罪」主張を弁護人がすることもあります。



逆に、明らかに包丁で心臓を突き刺しているのに、被告人が「殺すつもりがなかった」と主張しているとします。



ただ、法律的な意味での「殺意」は、客観的な危険性で決まるものですから、弁護人としては、被告人の主張は通りにくいと説明することがあります。もっとも、被告人が無罪を争うのであれば、弁護人が有罪だということは許されません。



●被告人が無罪を主張することは被告人の自由

——今回の事件の場合は、どう考えられますか



今回の事件の証拠関係は分かりません。証拠をみて「過失がなかった」という主張が厳しいと判断すれば、その旨被告人に説明しているかもしれません。



いずれにせよ、上記のとおりどんな人にも無罪を主張する権利がありますので、裁判所が証拠をみて、法律を適用して粛々と有罪無罪を決めればよいのです。被告人がどのように言っているかではなく、それが法的にどう評価されるかを問題にすべきであり、その判断は裁判所が決めることです。



以上のとおり、被告人が無罪を主張することは被告人の自由ですから、そのことを批判するのは間違っていると思います。



適切に主張させ、法律に則って判断し、その結果有罪と判断されれば罪を償ってもらうと共に、社会としても再発防止を考えるのがこの裁判報道に対するあり方なのではないかと考えます。




【取材協力弁護士】
神尾 尊礼(かみお・たかひろ)弁護士
東京大学法学部・法科大学院卒。2007年弁護士登録。埼玉弁護士会。刑事事件から家事事件、一般民事事件や企業法務まで幅広く担当し、「何かあったら何でもとりあえず相談できる」弁護士を目指している。
事務所名:弁護士法人ルミナス法律事務所
事務所URL:https://www.sainomachi-lo.com