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泥酔して暴走する彼女の姿は、自分の姿かもしれないーー『アル中ワンダーランド』が鳴らす警鐘

2020年10月13日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

まんきつ『アル中ワンダーランド』

 “酒飲みは便秘をしない”ーーというようなことをいったのは、小説家のチャールズ・ブコウスキー。もちろん、「酒=アルコール飲料」から得られる効能は便秘解消など以外にも数多くあるが、その反面、さまざまな問題もある。そんな「酒」との日々を、漫画家・まんしゅうきつこ(現:まんきつ)がエッセイ漫画として綴った『アル中ワンダーランド』(扶桑社)が発刊から5年ぶりに文庫化。本作は、アルコール依存症ゆえの大暴走の日々が描かれた作品だ。


参考:まんきつ、アルコールを手放して見つけた新たな生き方 「気功を習ったら、ちゃんと手から何かが出るようになりました(笑)」


 ここを訪れた方のほとんどが、酒での失敗のある方なのだろう。しかし、アルコールに対する耐性の強弱にかかわらず、酒による大した失敗をしたことがない人もいると聞く(例えば、「何があっても記憶を飛ばさない」だとか)。そんな人々や、あるいは、そこまで“イッていない人々”からすれば、本作に綴られていることは「まさか!」のミステリーであり、よりマンガ的な虚構性とスペクタキュラーな性質を感じられることだろう。笑いながら面白おかしく読むのが正解かもしれない。しかし、他人事ではないのである。


 かくいう筆者も大酒飲みであるが、それについて、「ほかの人よりも、ちょっと多く飲んでしまうだけ」という認識でいた。だが私は本作のページをめくりながら、「まさか!」と声を上げることなどひとつもなかった。あまりにも自分事として受け止めてしまい、涙を流したほどである。


 例えば主人公の女性(かつてのまんきつ本人)は、「ちょっと一杯だけ……」のつもりがいつの間にかトリップしては、酩酊状態のまま料理したことを忘れ、催しごとで問題行動を起こし、飛行機が発する言葉を耳にし、近しい間柄にある人々からは問題児扱いされ、気がつけば知らない駅のベンチに……。挙げ句のはて弟からは、「酒の力にたよって人とコミュニケーションとるなんて全然面白くないからな」とまで言われている。


 ここまでくると、晩酌のお供として気軽に手に取った本作のページをめくる手が止まる。涙で主人公の女性の姿が歪んで見えてきて、「このままではイカン!」という思いが芽生えてくるのだ。私も外で飲めば生傷は絶えないし、横浜方面から埼玉へとワープしたり……人には言えない大失敗も多い。友人から「ヒヤリ・ハットのピラミッドの頂点にいつ達してもおかしくない」との忠告を何度も受けていることを思い出す。しかし、そんなときでも片手にはウイスキーの水割りである。ことはそう簡単にはいかない。


 本作のなかで、“朝目覚めるとワケのわからないメモ書きがあった”というエピソードがある。私は曲がりなりにも物書きであり、生来メモ魔であることもあって、このエピソードと似たようなことは頻繁に起こる。これをポジティブなものと捉えると、“酩酊時の自分”から“シラフの自分”へのメッセージにも思えるのだが、酒飲みの戯言だろうか。いや、そんなことはない。


 作家・梅崎春生の短編『百円紙幣』では、酔っ払ったときに自ら紙幣を隠し、それをシラフのときに発見しては喜ぶという、妙な酒癖を持つ男の姿が描かれている。どういうわけかカバンの底から小銭が出てきて、思いがけず愉快な気分になったことは誰しも経験があるだろう。それをこの男は無意識のうち、積極的に実践しているのである。“酩酊時の自分”から“シラフの自分”へのプレゼント。メモ書きだって、たまには紙幣並みに役立つことがあるのを身をもって私は知っているつもりだ。


 とはいえ、どうにか「酒」との付き合い方を考えたいもの。軽い体のケガ程度ならまだしも、ときに社会的な信用というものも失いかねない。そんな恐怖とスレスレの日常が本作にはユーモラスに描かれており、それを“他人事”だと捉えれば笑えるかもしれないが、“自分事”として受け止めたとき、笑ってしまう人は少ないだろう。飲酒する/してしまう理由は人それぞれだ。本作のカバーになっている一コマのように「私はお酒を飲まないと人と明るくしゃべれないの」という人もいるだろうし、「そこに酒があるから」という人もいる。いずれも“依存”していることに違いはない。


 現在のコロナ禍において、精神のバランスを崩してしまう人も多い。本作では「酒=アルコール」を扱っているが、依存するものや、その度合いは人それぞれだ。アルコール中毒者ほど、「私はアル中じゃない」と言うらしい。自分では気がつきにくいのが“依存症”というものなのだ。この依存の対象を別のものに置き換えてみれば、誰もが他人事ではなくなるはずである。


 帯に記されている、「お酒に逃げたらこうなった。」との言葉が印象深い。しかし、“逃げ道”が必要な人が数多くいるのが現状だ。本作の巻末には作者と小説家・吉本ばななの特別対談が収録されており、断酒している作者が「私は今、サウナと犬の散歩と整体気功がある」と、そこで述べている。逃げ道は多くあった方がいい。それが何かひとつのものに依存しないための術だとも思う。笑いや涙とともに、本作をアルコールにかぎらず、幅広い“依存”に対する「警鐘」として受け止めたいものである。(折田侑駿)