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【10/12~10/18の運勢】10月3週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2020年10月12日 08:01  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

今ここにある不安と向き合う

今週のおひつじ座は、不安を直視することでそこから回復していく道を探っていくような星回り。

しばしば「可能性」という言葉は良い意味でばかり用いられますが、哲学者のキルケゴールは『不安という概念』という著作において、本当の意味での「可能性」とは「一切のものが等しく可能的である」事態で感じられる困難さなのだと考えました。

それはつまり何にもすがることなく、誰にも助けを求めることもできず、私が、私だけが何かを今ここでなす、その瞬間に立ち合っている(または、立ちすくんでいる)という事態。コロナ禍において、なぜ人々が漠然と不安を覚え、自分自身をも否定したくなるのかという理由を明らかにするのに、大いに役立つのではないでしょうか。

今週のあなたもまた「それでも、否が応でも行為し、生きざるを得ない」自分との不協和を、まずはできる限り正確に認識していきたいところです。

続きはこちらから 今週のおうし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

役割の業(わざ)

今週のおうし座は、今の自分にちょうどいい「身の丈」を推して知っていくような星回り。

「栗の虫すまなささうに出て来たる」(辻田克己)という句で詠まれているのは、栗の中から虫がすまなさそうに出てきたという情景。「栗の虫」は物心つく前に栗の実の中に産みつけられ、それしかなかったから栗を食べた訳で、人間に対して罪悪感を覚えるいわれはないはずなのです。

でも作者が「すまなささうに」と感じたのだとすれば、それは「栗の虫」と自分自身とにあいだに大きな差を設けていないからでしょう。栗は縄文人にとっても貴重な食べ物。殻を人間があけるまで、どっちが多く食べられるか。それは命をかけた勝負であり、そこでは虫であれ動物であれ人間であれ、あくまで対等な立場に立っているのです。

今週のあなたもまた、自分なりの世界観がどのようなものであったのかということに立ち返りつつ、改めてポンと自分を世界の中に置き直してみることがテーマと言えるでしょう。

続きはこちらから 今週のふたご座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

ピカリピカリと

今週のふたご座は、抵抗とそれに伴う発光としての存在証明をしていくような星回り。

「合縁奇縁」という言葉があるように、出会いや人との縁というものは実に不思議なもの。しかしすべての縁が「事」を起こすわけではなく、「事」の起こり方は「心」の運動に大きく左右されていくのです。

南方熊楠という人は「心のとめよう、体のふれよう」で事は起こるのだ、と言いました。つまり人間はさまざまな縁の連鎖や分離、あるいは結合にただ翻弄されるだけではない。縁にみずから働きかけること(=抵抗すること)で、おのずから「起」をもたらすことも出来るのだと。

縁に働きかけるべき「時」を見極めるためにも、まずは絶え間なくあちらこちらをさまよいがちな心をしっかりとめて、遠く離れたところで光るフィラメントやそこにつながる回路や道筋を、よくよく確かめていきたいところです。

続きはこちらから 今週のかに座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

アリのうた

今週のかに座は、なんでもないような言葉がそのまま詩になっていくような星回り。

「秋風や酒肆に詩うたう漁者樵者」(与謝蕪村)という句は、漢文調にしてわざと全体を「絵」のように引き立てている一句。掲句に詠われた「漁者樵者」は単なる漁師や木こりではなく、それぞれ隠者の風貌をもち、また詩人の相をそなえているように見えます。

作者の生きた江戸時代当時は、漢文調が格調高いものとされていましたが、作者はそれを逆手にとって、社会のなかで一番虐げられているはずの人たちをこそ格調高いものとして表現してみせたのです。

今週のあなたもまた、自分が大切にしていきたい日常風景や記憶の光景を、自身のバックグラウンドとして改めて脳裏に刻んでいくといいでしょう。

続きはこちらから 今週のしし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

場所への頽落(たいらく)

今週のしし座は、湧き出るように現れたもう一つの時空の裂け目を前に、懐かしさを感じていくような星回り。

日本では近代から現代に時代が進むにしたがって、詩人をそれっぽい美辞麗句を重ねるだけの「ポエマー」へと貶めてきました。しかし一部の人々、例えば哲学者の池田晶子は、詩人とは「ことばと宇宙とが直結していることを本能的に察知している者を言う」と書いています。

彼女にとって「詩人」とは変わった属性の人間というよりも、何ものかが生起してくる一つの「場所」。詩作やその朗読とは、新たな宇宙をそこから展開していくことであり、そういう「場所」になりきってこそ、詩人と呼ばれるにふさわしいと考えていたのです。

今週のあなたもまた、どんな宇宙を切り開いていけるか、またどれだけ「場所」になりきれるかが問われていくことになるでしょう。

続きはこちらから 今週のおとめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

体感を味わう

今週のおとめ座は、目に見えてなかった感情が体感とともに顕在化してくるような星回り。

「病廊の不意に岐るる秋の冷え」(安松伸布代)という句では、病院の廊下で不意に「秋冷え」が訪れる様子が詠まれています。この場合、入院している患者というより、見舞客の心理として捉えた方が意図が汲みとりやすいでしょう。

入院している相手の病状や経過への不安が湧いてきたのか、あるいはもっと別の極私的な思いや記憶が起き上がってきてしまったのか。いずれにせよ、その場所に立たなければきっと味わうことはなかったであろう思いが、心臓の鼓動の高まりとともに、作者の心中にまざまざと呼び覚まされたのではないでしょうか。

今週のあなたもまた、頭でひねり出すのではない仕方で、自然と湧いてきた予感や思いをしっかりと引き受けていくことが大切になっていくはずです。

続きはこちらから 今週のてんびん座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

夢と風呂

今週のてんびん座は、新しい言葉への切り替えをみずからに促していくような星回り。

「ふわふわ」というオノマトペは心地よい解放感を感じさせると同時に、根づきもしなければ着地もしていないという根源的な不安をも感じさせます。精神科医の新宮一成は、実はこうした不安定こそが言葉の根源にあり、人が繰り返し空を飛ぶ夢を見るのも、人が言葉を話すからなのだと言います。

人は人生の新しいステージへの適合がうまくできず、焦ったり、もがいたり、塞いだりするごとに、かつて赤ん坊から人間になった時にあれほどうまくできたではないか、話せるようになったじゃないかと、夢を通じて自分に言い聞かせているという訳です。

今週のあなたもまた、そんな自分が自分以外のものになっていく様を外側から眺めているような、不安定な新しさの感覚を味わっていくことになるでしょう。

続きはこちらから 今週のさそり座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

もう一人の私が遊ぶ

今週のさそり座は、内なる狂気が身の内から脱け出して躍動していくような星回り。

「霧月夜狐があそぶ光のみ」(橋本多佳子)という句に出てくる「狐」が、どこか雌狐のように見えるのは、やはり作者が女性だからではないでしょうか。というより、霧のなかで濡れて光って動いている狐という獣の姿に、他ならぬ自分自身を見出したのではないか、と考えるのが自然なように思われます。

それは、作者にとって道徳や理知では抑えきれないものであり、かといって「母性」や「かわいらしさ」など、社会に用意された類型にも到底おさめきれないもの。時に人知れず悶えているという仕方でしか、自覚できなかった何かなのかもしれません。

そうであるからこそ、掲句はどこか単なる表現上の遊びを超えたなまなましさを感じさせるのでしょう。今週のあなたもまた、本来の自分らしい自分に戻っていくための時間と場所を確保していきたいところです。

続きはこちらから 今週のいて座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

時間旅行者

今週のいて座は、「平凡な徒歩旅行者」として今自分の目に映る風景をよく眺めていくこと。

それはまるで、シュティフターの小説『晩夏』の主人公ハインリヒのよう。物語の語り手・青年ハンリヒは、社会に出る年齢になったとき、「専門を持たない自然科学者」の道を選択して、独学で動植物や鉱物の観察・収集や、地表形成の研究を進めていきます。

ハインリヒは自身のことを「平凡な徒歩旅行者」に過ぎないと前置きしつつも、その研究の醍醐味について、物語内で言及。多くの人は個人的な体験を時間尺度として生きていますが、ハインリヒのような自然を読む訓練を続けていけば、日常生活の感覚を超えたもう一つのまったく異なる時間と空間の尺度を手に入れることができるのかもしれません。

今週のあなたもまた、やはり自分個人とはまったく異なる尺度の知識や体験の持ち主にできるだけ直接触れていけるかどうかが鍵となっていくでしょう。

続きはこちらから 今週のやぎ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

いかに負けるか

今週のやぎ座は、これまで必死に“問題”だと思っていたものがそっと解消されていくような星回り。

「此道や行人なしに秋の暮」(松尾芭蕉)という句に基づき、与謝蕪村は後に「門を出(いづ)れば我も行人秋のくれ」という句を詠みました。蕪村の句は、私たちは同じなんだ、一歩出ればみんな「行き交う人」であり、あちこちに行ったり来たりしているだけなんだ、ということを示唆していますですが、芭蕉の句ではこれがひっくり返っています。

この場合「行き交う」とは、自分という心の道の上を忙しなく起こる心配や悩みや思考のこと。ただ、そうやっていくら自分が悩んだって、心配したって、逆にまったくしなくたって、同じなんだと言っています。同じなら心配しないで放っておけばいい。それでも時は流れ、秋は暮れるんです。

今週のあなたもまた、何かこれを自分の手で解決しなければならないと思っていることをちょっと置いて、気を楽にして大きな力に委ねてしまいましょう。掲句の「行人なし」とは、そういう試みでもあったはずです。

続きはこちらから 今週のみずがめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

物語には神秘を

今週のみずがめ座は、不意の飛躍をどうにか意図的に取り入れていこうとするような星回り。

ガルシア=マルケスの『物語の作り方』は、キューバの映画学校で若手脚本家やその卵を対象に行われた、30分のテレビドラマの脚本を仕上げるためのワークショップや討論をまとめた本。決定的なディティールやシーンから、ひとつの物語がたちあがっていくということについて、マルケスは次のように述べています。

「このストーリーには気違いじみたところがない、そう言いたいんだ。君たちは真面目過ぎるんだよ。」つまり、すべてを原因と結果の連鎖でつなぐ必要はないし、むしろどこかに必ず気まぐれな、ただ、なにか神秘的な要素がなければならないのだと。

今週のあなたもまた、辻褄が合わなかったり、論理的には説明できないけれど、自分や自分の人生にはどうしても必要なものを見出していくことがテーマとなっていくでしょう。

続きはこちらから 今週のうお座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

老いては洞を見つけること

今週のうお座は、歳を取っていくことを肯定的に捉えなおしていくような星回り。

この世には特に女性への若さ信仰が深く広くはびこっていますが、いつまでも若くありたいという一見当たり前の願いも、実は近代以降に生まれていったもの。それ以前は、老人は老人らしくあることの方がよほど大切にされていたのであり、そこで若い人には見えないものを見ようとしていったのです。

「秋燕や高齢にして見ゆるもの」(宇佐美魚目)という句で詠まれている「秋燕(しゅうえん)」は、秋に南の国へ旅立っていくツバメのことですが、掲句で意味するのは日常生活における秋燕でしょう。

旅立ちを見送る立場というのは、いつだってどこか淋しいもの。しかし何かが自分から失われていくということは喪失であると同時に解放であり、そこにある豊かさというものは「高齢にして」初めて味わえるものなのかもしれません。今週はまた一つしがらみから自由になっていくべく、時間の流れを先に進めていくことがテーマとなっていくはずです。

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