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ナチスに恐れられた義足の女スパイ 歴史の影に隠れた女性の活躍

2020年10月11日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 明晰な頭脳と使命感、美貌と人を惹きつけるカリスマ性を持ち、強烈なリーダーシップを持つ「聖母マリア」と呼ばれた義足の女スパイ。父親から虐待されて育ち、数千人のレジスタンスを拷問、殺害して「リヨンの虐殺者」と恐れられゲシュタポのナチス親衛隊長。私欲のために祖国を売り、同胞を裏切る二重スパイ。娼館でドイツ人客から情報を得るレジスタンスの女主人。キャップを取ると爆発する牛乳瓶や車にふまれると爆発する馬糞など奇妙キテレツな武器を発明するイギリスの科学者。


 これらの人物たちが登場するのは映画でも漫画でもなく小説でもない。ノンフィクション『ナチスが恐れた義足の女スパイ』に登場する実在の人物たちだ。


関連:【画像】『ナチスに恐れられた義足の女スパイ』書影はこちら


 第二次世界大戦。破竹の勢いでヨーロッパを蹂躙したナチスドイツはイギリス軍とフランス軍をダンケルクに押しやり、フランスのパリに入城。ナチスはフランス北部を支配下に置く。フランス政府は和平派のペタン元帥のもと中部ヴィシーに首都を変え主権国家として存続するもののナチスドイツによる反ナチス活動家への苛烈な支配と弾圧が続いた。


 そのような情勢のなか、イギリスの特殊作戦執行部SOEのF(フランス)セクションでは将来へのヨーロッパ反攻作戦の足がかりとして、フランス国内でナチスへの散発的な抵抗運動を大規模に組織化し、来たる反攻作戦発動時にはフランス国内外からナチスへの攻撃を仕掛ける計画を練っていた。そのためにはフランスに潜入し、ナチスドイツやヴィシー政権に気づかれずに協力者やレジスタンス戦士を勧誘し訓練しなければならなかったがSOE内で敵国支配下の外国でレジスタンス網を一から作り上げ、テロを行う「紳士らしからぬ戦争」は誰一人したことがなかった。


 そこで白羽の矢が立ったのがアメリカ人女性のヴァージニア・ホールだった。のちにフランス全土の情報網を作り上げ連合国の目と耳になり、レジスタンスを組織し偉大なるゲリラ指導者として「聖母マリア」と呼ばれた伝説の女スパイの物語。それが本書である。


 ヴァージニアはアメリカのジャーナリストに偽装してフランスに入国すると、ヴィシー政権情報省外国報道首席検閲官の信用を得て検閲されないようにして堂々とナチス占領下のフランスの実情を記事としてアメリカに送信した。また検閲官はフランス全土にコンタクト網を設立し彼女に毎週情報を提供した。それだけではなく弾薬庫や燃料貯蔵庫、ドイツ軍部隊の動向、工業生産高、果てはドイツ軍の潜水艦基地の場所まで提供をしていたという。そしてヴァージニアはレジスタンスたちに武器を供与し物資を提供、訓練を施し、果たしてフランス全域においてレジスタンスの組織を築き上げていく。しかしゲシュタポやアプヴェアといったナチスドイツの官憲により多くの有能なエージェントやレジスタンスの戦士が捉えられ殺されていくなか、ヴァージニア自身にも身の危険が迫っていた。


 繰り返すがこれは娯楽映画でも小説でもなく、実際に起こった話なのだ。


 しかしヴァージニアの驚くべきスパイ活動や歴史に残る作戦の数々、その活躍と半生は本書でたっぷりと堪能していただくとして、ここでは本書で心に重くのしかかる生々しく描かれる占領下のフランスの惨状を記したい。


 占領下のフランスではユダヤ人狩りで悪名高いナチスの秘密警察ゲシュタポだけでなく、アプヴェアと呼ばれるドイツ軍情報部も競うように反ナチス派やレジスタンス活動家を追い、密告だけで逮捕し即刻処刑や収容所送り、捕らえたレジスタンスには仲間や襲撃情報を吐かせるために苛烈な拷問を行なっていた。


 しかしフランスでもっとも不幸だったのは同胞であるフランス人が自発的にナチスドイツに協力をしたことだ。民兵団(ミリス)と呼ばれるフランス版ゲシュタポを組織して同胞を弾圧、拷問し、あろうことか副大統領のピエール・ラヴァルはナチスの「ユダヤ人問題の最終的解決」における16歳以下の子供は除外するというドイツの方針を覆し子供も送るように主張した。


 1942年にはヴィシー政権が警察を動かし1万人を超えるユダヤ人を検挙し、ドイツ本国の絶滅収容所へ移送する中間施設としてヴェロドローム・ディヴェールと呼ばれる自転車競技場に食料も水も与えないまま5日間も閉じ込めた。この大量検挙は“ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件”と呼ばれ、この事件を題材にしたタチアナ・ド・ロネの小説『サラの鍵』は映画化もされている。


 本書では、敵国の占領がどれほど冷酷になれるのか、そして自国民までがその冷酷さによって分断され残酷と愚かさに容易に支配されてしまうことが細部にわたり描かれている。


 もう一つはヴァージニア・ホールという傑出した女性を中心に浮かび上がる社会の中での女性の活躍の難しさである。


 同僚男性とは比べものにならないほど実績を上げ、信頼を築き、仲間から忠誠を尽くされるまでになったヴァージニアであったが、指揮権やリーダーとしての権限はいつまでたっても得られることがなく無能な男性が意思決定の立場に居座り続けた。それは戦争が終わり平時に戻る事でさらに顕著に現れてしまう。


 そんなヴァージニアがレジスタンスを組織し武器や物資を手配しフランスで初めて自国民によってドイツ軍から村を解放する。


 男性社会への歯がゆさの中、フランスという異国の地でアメリカ人女性がレジスタンスから“崇拝”され、ナチスドイツの圧政から解放するという歴史の事実としてもあまりにヒロイックな話であるが、読書中、「聖母マリア」と呼ばれたヴァージニア・ホールが義足で力強く立つ姿を何度も頭に思い浮かべてしまった。


(文=すずきたけし)