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なぜ将棋の世界に女性プロ棋士はいない? 綾崎隼『盤上に君はもういない』の問いかけ

2020年10月10日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 藤井聡太二冠の歴史に残る大活躍で、最高潮に沸き立つ将棋界にあって、次の歴史的な”事件”となりそうなのが、女性プロ棋士四段の誕生だ。現在、可能性を持った女性が2人いて、これから始まる三段リーグで、男性に混じって四段昇段を目指した戦いを繰り広げる。


関連:【画像】綾崎隼の『ノーブルチルドレンの残酷』書影


 綾崎隼の小説『盤上に君はもういない』(KADOKAWA)には、そんなプロ棋士を目指す2人の女性が登場。女性が将棋の世界で戦う大変さ、ライバルとしてしのぎを削り合う素晴らしさが物語からあふれだす。


 将棋のプロ棋士に女性はいない。こう言うと、ワイドショーでよく話題にされていた林葉直子さんはプロ棋士ではなかったのか、といった声が出そうだが、林葉さんはプロではあっても女流棋士という制度の中でのプロで、羽生善治九段や藤井二冠が活躍するプロ棋士の世界とは重なっていない。


 プロ棋士とは奨励会に入り、半期ごとに行われる三段リーグで上位2人に入って、四段に昇格した者が名乗れる立場。藤井二冠が最初に話題になったのも、その四段に14歳2カ月の史上最年少で昇段した時だった。


 女性棋士誕生の重大さを語る上で、基本となるこうした知識がまず示され、長い将棋の歴史の中でプロ棋士になれた女性が、1人もいないことが強調される。どうしていなかったのか。里見香奈女流四冠は男性棋士に公式戦で何度も勝っている。それだけ強いなら、奨励会に入って三段リーグで勝ち抜き四段になってもおかしくないのではないか。そこが謎であり、同時に厳しいものなのだということが、2人の女性を軸にして語られていくのが、『盤上に君はもういない』という物語の前半だ。


 まず登場するのが、諏訪飛鳥という女子。祖父が永世飛王の称号を持つプロ棋士で、父親も元プロ棋士、母親も女流棋士という家に育った。女性棋士が誕生しない理由として言われる、男性と競い合う機会が少ないというハンディは飛鳥にはなかった。


 小学生で女流棋士になり、奨励会に入ってからも16歳で三段リーグまでたどり着いていた飛鳥の前に立ちふさがったのが、四段昇段を決めれば14歳1カ月という、史上最年少棋士の記録を打ち立てることになる竹森稜太だった。AIを相手に将棋を指し続けて強くなった現代っ子の少年と、棋士一家に生まれた少女という2人だけでも、ライバル描写や恋愛描写を絡めれば、十分に面白い物語になりそう。ところが、綾崎隼は隠れたところからもう1人、真のヒロインを送り込んできた。千桜夕妃という26歳の女性だ。


 飛鳥も夕妃の存在は知っていた。ただ、体が弱いのか過去に三段リーグを全休したことがあり、飛鳥が参戦した期も、序盤に三連敗して昇段戦線から後退した。だから眼中から外れていた。それが、以後の対局を勝ち続けて飛鳥や稜太に並んできた。


 稜太の昇段が先に決まり、残る1席を飛鳥と夕妃が争う対局は、飛鳥をヒロインのように読んできた目には、乗り越えるだけの壁に見えた。違っていた。この大どんでん返しともいえそうな構成に、読者はまず驚かされる。なおかつ、夕妃がその後に見せた生き方に、将棋だけが人生なのか、将棋よりも大切なことがあるのではないか、といったことを強く思わされる。


 大どんでん返しの先でしばらく描かれる、夕妃が将棋を指し始めた事情、そして、指さなくなってしまった事情を知ることで、プロ棋士になることだけを目標に将棋を指してきた飛鳥も、天才過ぎるが故に成り行きで棋士になってしまった稜太も、現実の奨励会でプロ棋士になろうとあがき続ける”将棋の子”たちも、自分と将棋との関わり方を、改めて問い直すことができるだろう。


 詳細については、物語を読む興をそぎ、驚きを減じてしまうから語らないが、少しだけ言うなら『盤上に君はもういない』は、女性のプロ棋士四段誕生という歴史的な事件だけを描いた物語ではない。


 飛鳥のように、最上の環境で育まれ、まっすぐに突っ走ってきた才能が、挫折を経験しようとも折れず、ライバルに勝とうという執念を燃やし前に進み続ける姿に憧れる。稜太のように、天才でありながらも尊大にならず、自分にはない情熱に惹かれ、理解されない恋情を届かせようと頑張る健気さに微笑む。そんな楽しみ方ができる。


 そして夕妃のように、病弱で入院していた時に仲良くなったアンリという子供から将棋を習い、のめり込みながらも医者になることだけを父親から求められ、家を捨てプロ棋士の内弟子となって以後、病気と戦いながら奨励会三段にまでたどりついた生き様に、自分の好きを通し抜く強さを感じたい。同時に、それから後の夕妃が見せてくれた、将棋よりも心の深いところに根ざしている、思いを貫き続ける尊さを感じ取りたい。


 2020年10月からの第68回奨励会三段リーグでは、第66回で昇段まであと一歩と迫りながら、3位の次点にとどまった西山朋佳三段に加え、中七海三段が新たに参加して、2人の女性三段が昇格を競い争うことになった。まさに亜弓と夕妃の関係だ。西山三段は、第67回で終盤に8連敗と崩れ昇段できず、作中で示された研究される怖さ、女流三冠でもあって奨励会での戦いだけに集中できない難しさといった、女性のプロ棋士誕生を阻む要因を、身を以て見せてしまった。今期、ライバルの登場で変化は起こるのか。見どころだ。


 綾崎隼には、『ノーブルチルドレンの残酷』 (メディアワークス文庫)から始まるノーブルチルドレンシリーズが著作にあって、そこでは東日本の財界に強い影響力を持つ舞原一族と、病院や医大を傘下に持って、北信越の医局を束ねる千桜一族にそれぞれ生まれた少年と少女が惹かれ合うという、現代版『ロミオとジュリエット』のような物語を紡ぎ続けている。


 『盤上に君はもういない』の夕妃が、父親から医者になるよう強く言われていたのも、この千桜一族に連なるひとりだったからだ。


 第16回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞したデビュー作『蒼空時雨』(メディアワークス文庫)から続く「花鳥風月シリーズ」や、高校サッカーがテーマとなった「レッドスワンサーガ」、『世界で一番かわいそうな私たち 第一幕』(講談社タイガ)からの「静鈴荘シリーズ」にも、舞原や千桜の人々が登場する。異なるシリーズでありながら、重なった背景が綾崎隼の作品にはあって、知っていると登場人物たちの生き様に、より深く興味を抱けるようになる。機会があれば手にとって欲しい。


(文=タニグチリウイチ)