isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
目を逸らさずに
今週のおひつじ座は、「蔭」の側に立って日常を見返していくような星回り。
「もの置けばそこに生れぬ秋の蔭」(高浜虚子)という句で詠まれているのは、ふと物を置いたときに濃い影が生じたという、秋の暮れの光景。作者の意識の中心にあるのは「もの」を置いたことによってぽっかりと空いた心の穴であり、その穴を満たしている秋の澄んだ空気や不気味なほどの静けさに浸っているのだと言えます。
それは「もの」を持っているのが当たり前だった時には気付くことのできなかった代物。だからこそ人はなかなか意図した仕方では「もの」を置くことはできないのでしょう。けれど掲句ではそれを強い意志をもってなのか、ものの弾みかは分かりませんが、とにかく置いてしまったのであり、そうしてできた「蔭」から、もはや目を離せずにいるのではないでしょうか。
今週のあなたもまた、今このタイミングでけじめを付けるべきことがあるとするなら、それは何なのか。そして、それを手放すことで何が得られるのか。改めて、確かめていくことになりそうです。
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私が話すように物事が創造する
今週のおうし座は、たまたま読んでたまたま書いた言葉に自身で納得していくような星回り。
18世紀中国の詩人・袁枚(えんばい)には、「偶然作」すなわち「たまたまできた詩」という、漢詩にはお約束のタイトルの詩がありました。賭け事以外の遊びにことごとく手を染めてきた自分が、ある日を境に変わってしまったことを次のように歌っています。
「忽忽四十年 味尽返吾素 惟茲文字業 兀兀尚朝暮」すなわち「ところが四十になると、遊び尽してやっと本来の自分に返ったかのように、本を読むことが急に面白くなり、毎日ひたすら読書にばかり明け暮れるようになった」と。
今週のあなたもまた、そんな一節を書いてその通りに生きてしまった袁枚のように、自分が今それを生きつつある変化に思い当っていくことになるでしょう。
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私のユリイカ
今週のふたご座は、心の奥の声となまの実感との一致を、ふとした瞬間に感じていくような星回り。
「秋の暮尿瓶泉のこゑをなす」(石田波郷)という句で詠まれているのは、ベッド下に置かれている尿瓶(しびん)について。かつては尿瓶と言えば透明なガラス製で、そこに透く尿をすこしも汚いものとは思わなくなる。また仕方によってはかすかないい音がして、作者はそれを「泉のこゑ(声)」という美しい言い方で捉えてみせた訳です。
考えてみれば、用を足す音をこうして詩化したというのは、小手先だけでは決してできない、容易ならざる覚悟によって初めて為しえたことであり、しかもしれを俳句の中に込めてみせるのは真の詩人にしかできない至難の業(わざ)と言えるでしょう。
今週のあなたもまた、「きれい」と「きたない」が交錯していく自分なりの裸足の地点にそっと降り立っていく感覚を実感していくことができるはず。
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シンプルにいきましょう
今週のかに座は、人間としてのあつかましさを均(なら)していくような星回り。
自分の“真価”だとか、はたまた“他の人にはまね出来ないオリジナリティー”などを証明しようなどと意気込むと、大抵ろくなことはおきない。あるいは、斬新なアイデアや華麗なテクニックなど、そうと意識して盛り込もうとすれば、あつかましい「味」しかしてこないものです。
もっとあっさりとして、余計なものを入れないようにした方が、かえって「味」というものに囚われず、体に入れたいものを入れて、入れたくないものは入れないというシンプルだけれど奥深い基本に向き合っていけるのではないか。
今週のあなたもまた、「作為的な知恵」や「力まかせ」というところからいったん離れて、ふだん自分がしている営みに改めてまなざしを向けてみるといいでしょう。
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今ここへ向けて
今週のしし座は、過去のしこりを「とき」ほぐしていくような星回り。
「負まじき角力(すもう)を寝ものがたり哉(かな)」(与謝蕪村)のポイントは、「角力を寝もの」の「を」のところで、時間が折れ曲がっている点にあります。「角力」に負けたのは過去ですが、「寝ものがたり」をしているのは現在で、二つの時間を複合させているのです。
負けるはずがなかったのになあ、という過去に囚われている思いがまだ残っていて、それを引きずっている。しかしそれを現在のおそらく妻との「寝ものがたり」で溶きほぐそう、今できることに目を向け直そうとしているのでしょう。
そして、本人もそういう「今ここ」に戻ってこようとしているのだと思います。今週のあなたもまた、もうそこにとどまり続ける必要のない思いや感情から解放されていくための「ときほぐし」がテーマとなっていきそうです。
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役割をこなす勇気
今週のおとめ座は、自分が出会う最も奇妙なもの、奇異なものに対処する勇気をふるっていくような星回り。
現代人は表情が貧しくなったという記述を読んだことがありますが、「顔」については昔から様々なことが言われてきました。その中でも、詩人のリルケが遺した唯一の長編小説『マルテの手記』のはじめの部分では、「人はみな幾つもの顔を持っている」と述べられています。
中には不気味なほど早く、顔をつけかえたり、外したりする人もいる。自分ではいつまでも顔のストックがあると思っているが、四十歳になるかならぬかで最後の一つになってしまう人もいる。これは悲劇である。そういう人は、顔を大事にすることを知らなかったからボロボロになったのだ、と。
今週のあなたもまた、これまで見ないようにしていた真実の光景に改めて目を向け直していくことになっていくでしょう。
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おのれはどこに立っているか
今週のてんびん座は、動かしたくても動かすことのできない現実を受け入れていくような星回り。
「秋かぜのうごかしてゆく案山子哉」(与謝蕪村)という句は、作者が45歳の秋に作られた一句。ふらりと訪ねてきた友人に九州旅行へと誘われるも、先立って還俗し、妻をむかえた身であるから今すぐに京を離れる訳にはいかないと誘いを断り、代わりにこの句を詠んだのだそうです。
つまり「秋かぜ」とは友人のことであり、一歩も動けないでいる「案山子」が作者自身のこと。その後その友人は連れもなく、独りで九州への旅を終えたのち、ほどなくこの世を去ったとされています。
作者はその後も生き続け、多くの仕事を為しましたから、この句を詠んだ時の判断は仕方がなかったのでしょう。今週のあなたもまた、投げ出す訳にはいかない自分の果たすべき務めということについて改めて判断や認識を迫られていくことになりそうです。
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芸術と人間
今週のさそり座は、いま自分のなかで花開きつつある真実を開花させていこうとするような星回り。
「旅は風雅の花、風雅は過客の魂」という言葉は、俳聖・松尾芭蕉の弟子・許六による『韻塞(いんふたぎ)』という書物に収められた「風狂人が旅の賦(ふ)」という文章の冒頭の一文。弟子の言葉ではありますが、芭蕉の説くところに従ったのでしょう。
一定のルーティンや安定した居場所に自分を置くのではなく、それらを捨て去った漂泊において様々なものを眼にし、交わることで結露する真実を感じること。そして、感じたままにしておくのではなく、それを何らかの仕方で表現し、言いとどめられてはじめて、真実はその人のものとして定着するのだ、というのです。
今週のあなたもまた、逃避でも休暇でもない、これまでの固定された文脈からの逸脱を遂げることで、心を揺り動かしていくことがテーマとなっていくでしょう。
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愛し願うもの
今週のいて座は、失われていくものの甘美な思い出に浸っていくような星回り。
「手を出せばすぐに引かれて秋の蝶」(高浜虚子)は、作者67歳の秋に、幼くして死んだ孫娘を思い出して詠んだ一句。こちらが手を出してやれば、黙ってその手に引かれて歩いていく。そんな様子だったのが、風に吹かれる秋の蝶のように、どこか遠いところへ引かれて行ってしまった。
あるいは、道すがら蝶を見かけたのかもれません。そして美しくはかない蝶に、在りし日の孫娘の魂を見出した気がしたのでしょう。どこまでも淡い句ですが、一度は失われたものも自然の中を経めぐり、また違うかたちで眼前に現れるはずという、どこか力強い思想の影が差しているようにも思えます。
逆に言えば、思想や哲学というものは、そうした喪失や痛みを通すことで初めて切実さを持って追求されていくものなのかもしれません。今週のあなたもまた、いったんは浸った感傷や自己憐憫の沼底から這い出していこうとする抑えがたい衝動に気が付いていくこともあるはずです。
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難しさと楽しさのせめぎあい
今週のやぎ座は、何かを人に伝えていくことの難しさと個人的課題とを、認識していこうとするような星回り。
あまりに直接的な事実だったり、余りにでたらめなウソばかりでは、人の胸には真実らしさとして迫ってこない、リアリティもない。虚と実との微妙な“あわい”にあって、起伏をつくり、その境界をあいまいにすることによって初めて、一抹の真実を含んだ芸術となり得るのだと、江戸時代最大の劇作家・近松門左衛門は『難波土産』の中で説いています。
それを体現している装置が、例えば人形浄瑠璃における「黒子(くろこ)」。慣れない最初こそ人形を操る黒子の存在は目障りで気になりますが、やがて黒子によって人形に命が吹き込まれ、その演技がこちらの想像力を増幅させることに気が付いていくはずです。
今週のあなたもまた、今の自分に足りないのが虚なのか実なのか、はたまたそのバランスにあるのかということについて、改めて考えてみるといいでしょう。
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立ち直りの想像
今週のみずがめ座は、なにか心温かいものがそっと入り込んでくるかのような星回り。
「御手討ちの夫婦なりしを更衣」(与謝蕪村)という句で詠まれている、「御手討ちの」に注目してみたい。これは不倫なのか、奉公している主人の娘さんを好きになって駆け落ちしたのか、普通だったら罰を受けたり、とても許されない関係であることを暗示しています。
しかし、そうはならずに、ひっそり隠れて住んでいる若夫婦が更衣をしている。気持ちを改めながら、世間並みの暮らしができているということなんです。自暴自棄になってしまってもおかしくない状況下で、誰かと手を取り合って生活や関係を立て直していく。
「心温かい」とは、そうしたときに最も切実に感じられてくるものなのかもしれません。今週のあなたもまた、不足していた気力や活力を呼び込んでいくための所作や習慣を取り戻していくことが大切になっていきそうです。
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おのれを丸で囲う
今週のうお座は、自分が何か大切で尊い存在であるという実感を得るために、必要なものを見定めていくような星回り。
書家・書道史家の石川九楊は、衣類のはじめは腰にまわした一本の紐だったという観点から、「腰紐や帯、ベルトを結ぶことによって、自己の輪郭を定め、自己をここまでと規定するに至ったところに、紐衣=腰紐の起源はたどれる。その名残りが、日本の神社に残る注連をまわした巨木である。それは樹木に衣類を着せているのだ」(『失われた書を求めて』)と述べています。
相撲の土俵などもそうですが、注連縄などの紐で囲まれたところには自然と神聖感が生じます。こうした象徴的行為が古代において頻繁に行われていたことは、祭祀に使った祭器などが人の目に触れないよう地中に埋められたことなどと同じ発想であり、ある程度納得がいくことでしょう。
逆に言えば、これが自分でございと、そのまま包み隠さずでんと置かれた自己というのは、自己未満の何かなのです。今週のあなたもまた、漏らしてはいけない秘密や恐ろしい中心としての自分を改めて何で包み、どんな紐で囲んでいくべきか、考えてみるといいでしょう。
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