昔と今でオタクを取り巻く環境は違ってきたが、オタク当人たちの気持ちの面でも変化は生じているものだ。その変化を、女性のオタクに焦点を当てて考えてみたいのである。
ガールズちゃんねるに先日「昔と変わったな~と思うオタクの文化」というトピックが立った。トピ主は「最近のオタクは現場に痛バを持ち込む人が減った」と綴っている。(文:松本ミゾレ)
「大っぴらに腐女子を名乗る人が増えた」
痛バってのは“痛いバッグ”,現場は推しが出る舞台やライブのことを指す。トピック内には、他にも女オタク目線での今と昔の違いについての書き込みが多い。
「コスプレの質は凄い。私の時代はカラコンも専用のウィッグもなかったから、みんな頑張って髪型作ったりしてた」
「おおっぴらに腐女子を名乗る人が増えた。これはぶっちゃけあんまり良くないことだと思ってる」
「オタクすごいとツイッターでアピールする謎の選民思想」
たしかに、80年代後半から90年代半ばぐらいまでは、コスプレするにも技術が普及していないし、素材も乏しかったのでクオリティはお察しだった。それが今はすごい。素材がいいので見栄えがいいし、美人もコスプレするようになった。
これは男オタクにも似たようなことが言えるんだろうけど、日陰者だったオタクが、今はSNSの普及なんかで同族同士で絡むようになってきた。自分たちが市民権を得た、と認識していることにも通じている節はある。
ただ、なんだかんだ言ってオタクってそこまで多いわけじゃないし、ただ声が大きいオタクが昔より増えているだけって感じ。だから。あんまり偉そうにしているオタクは、男女ともに好きじゃないかな。まあ、そういう人は数年以内に同族から反感を買って消えるけど。
オタクの絶対数は増えたが、濃度は薄くなった?
僕もオタクだし、周りにも古いオタク、新しいオタクの知り合いが何人もいる。彼らを俯瞰して見てみると、オタク全体の濃度というか、特有の雰囲気はだいぶ希釈されるようになった感じはする。
ライトオタクが増えたために、昔ながらの底なし沼に住むような化け物みたいなオタクまでもが浄化されたというか。若いオタクとツイッターなんかで交流することで、偏屈な古いオタクが若干社交的にまでなったように感じる。それってすごいことだ。
オタクって昔から今に至るまで、あくまで個人的には陰キャが多い世界だと思っているし、閉鎖的な奴も多い。だけど、そういう人たちが若いにわかのオタクたちの力に引っ張られて、ちょっとだけ社交的になるなんて、それこそ昔じゃ考えられなかったことだ。
全体で見るとガチのオタクが減ってにわかが増えたことで、オタクの濃度が薄まってるんだけども、それは別に悪いことじゃないと僕は考えている。にわかが増えないジャンルは滅亡するだけだし。
腐女子が増えるのも、オタクを誇りに思うオタクが増えるのも良いことなのだろう。