2020年09月22日 08:11 弁護士ドットコム
アート界隈の「パワハラ」「セクハラ」に関する告発が相次いでいる。この夏には、美術集団「カオス*ラウンジ」代表で、美術家・批評家の黒瀬陽平さんが退社した件をめぐり、パワハラの被害者とされる女性がウェブ上で手記を公開する事態もあった。はたして、業界特有の問題があるのだろうか。文化・芸術分野に関する労働問題を調査してきた共立女子大学文芸学部教授で、社会学者の吉澤弥生さんに聞いた。(ニュース編集部・山下真史)
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――これまでどんな労働問題を調査をしてきたのか?
およそ10年前から、公的な文化事業、文化施設もしくはアートプロジェクトに関わる人たちにインタビュー調査をしてきました。アーティストのほか、アートマネージャーやディレクターなどです。ギャラリーで展示して作品を売って生計を立てているような人ではなく、プロジェクト型の事業に携わる人たちです。海外の事例と比較しようと、イギリスで同様のインタビューをした時期もあります。
――どういうことがわかったのか?
まず、長時間労働と低賃金、残業代の不払いなど、まさにブラックな業界だということです。たとえば、事務所や現場から家に仕事を持ち帰る人がたくさんいました。タイムカードがある職場でも、打刻時間と実態は一致していなかったり。時給計算すると、とても低くなります。週1日休めるかどうかの長時間労働なのに、月20万円いかない人も多くいました。そもそも雇用されている人は施設勤務であることがほとんどで、雇用されていたとしても有期雇用です。ほかは多くが業務委託でした。社会保障も自己負担になりがちで、国民健康保険や年金を払えない人も少なくありません。
イギリスも状況は似ていましたが、そもそもの社会保障のあり方と、非正規やフリーランスといった流動性をキャリアアップの手段として前向きにとらえている点が日本とは違うなと思いました。政権も変わった今、状況はだいぶ異なるでしょうけれど。
――セクハラやパワハラは?
もちろんありました。パワハラでいえば、不条理なくらい大量の仕事を押し付けられ、できないことがあればそれを大声で叱責されるなどして、心身を壊した人もいました。目に見えるパワハラだけではなく、"あの人からの仕事は断れない"というかたちで作用していることもあります。自分の受け取る対価が少なくても、事業費自体が少なく雇い主もたいしてもらっていないことがわかっているから申し立てない、という"思いやり合っている"ような状況もありました。
セクハラでいえば、トップの男性に気に入られた女性スタッフが酒の席で突然抱きつかれるなどの被害がありました。周囲の人に「嫌だ」「おかしい」と言ったけれど、「あの人はああいう人だから、我慢して」と言われてしまう。直接の被害だけでなく、周囲の無理解によって、二重の被害を受けるケースがありました。被害者は告発するリスクとコストと天秤にかけた結果、泣き寝入りすることが多いです。
ほかにも、ある非正規の職員が正社員の試験を受けようとしたところ、「ここは男性しか通らないよ」と言われるなど、証拠があるわけではないけれども、こうした意識が職員の間で共有されている。そして実際に男性しか正社員に受かっていないとなれば、受験をあきらめる非正規の女性職員も出てきます。こうしたジェンダートラック、また先のハラスメントを生み出す力関係は、芸術文化に限らないですが、構造的な問題です。
――構造的にブラックになるのはなぜ?
いくつかあります。ひとつは、仕事の評価や価値判断の基準がはっきりしないことです。そして、労働者としての地位が不安定であることです。さらにアート業界で付け加えるなら、「アートと労働を同列で語るのはおかしい」「好きでやっているから」「お金のためにやっているんじゃない」と、本人だけでなく社会も思っていることです。そのため、賃金や対価という発想が後手に回りがちなんです。
業界内の同調圧力もあると思いますよ。上の立場の人から「私は、あなたの立場のときに我慢してきたんだから、あなたも我慢しなさい」「修行中だから」「若いんだから」と言われてしまう。まさに"ブラックの再生産"ですね。このあたりは、アート業界にかぎらないと思いますが。
そもそも、美大の学生は女性が多く、教員は男性が圧倒的に多い。成功した男性の先生に認められないと上にあがれないような構造があります。これも搾取やハラスメント、人権侵害の温床でしょう。また、結婚・妊娠出産で女性がキャリアを中断しないといけないなど、一般社会と同じような"ガラスの天井"があります。それが嫌になってこの業界から離れた人はたくさんいると思います。
今回のコロナ禍では、文化・芸術に対して、これまでになく「自己責任」「不要不急」という冷たい言葉が露骨に向けられました。文化・芸術は趣味や余暇の延長、それらに携わる人は、好きなことをやっている人、変わっている人というイメージを持たれている。"アートは社会のインフラとして必要だ"という意識が諸外国にくらべて低い。こうしたところが、賃金や対価が低いことにもつながっていると思います。
――日本で"インフラ"という意識がないのは?
日本ではまだ、"アートは西洋からの借り物"なのではないでしょうか。明治時代に西洋にならって「官」が美術館をつくったりしましたが、それは美術を鑑賞できる教養のある人たちのためのもので、現在にいたるまで一般の人々の暮らしとは乖離している。自分たちの生活とはあまり関係ないけれど、美しく、価値があるとされているもの、というイメージでしょうか。"暮らしの中にアートがある"とか"必要だ"と感じるような機会があまりないのでは。
――そもそもアートが必要なのはなぜか?
やはり「表現の自由」だと思います。アートはどんなかたちであっても、「個人の価値観の表現」であるので、それが多様に存在している社会は民主的だと思います。日本だと「アート=美しいもの」と思われがちですが、政治課題や社会問題を問うものなど多様化しています。私自身、アートを通して今まで考えることのなかった歴史や政治、文化の問題を考えることになりましたし、そうしたテーマに対するそれぞれの感想や意見も、個々人に委ねられている。その先はひとつひとつ考えたり話し合っていくしかないんですが、そういうプロセスを含めて民主主義なのだろうと。
――最近、アート業界の労働問題の告発が目立つのか?
電通の労災事件など、インパクトのある労働問題が注目を集めて、社会全体として、多少、働き方に関する意識が変わってきたことがあると思います。直接的な労働問題ということではないですが、アート業界とジェンダーという点でいえば、2015年から「明日少女隊」というフェミニストグループが始動したり、2019年に『美術手帖』で「ジェンダーフリーは可能か?」という連載がはじまったり、2020年には「EGSA JAPAN@芸術におけるジェンダー/セクシュアリティ教育を改めて考える会議」がつくられたりと、アートの内側から声があがるようになりました。
それらが後押しになって、「私だけが我慢すればいいと思っていたけど、社会問題なんだ」と気づく人が増えたのかなと。ずっとあった問題が、ようやく表面に出てきたということです。
一方で、実際いくつかの事例をみても加害者だけでなくそれを擁護する「側近」的な人もいて、この構造的問題は根深いなと思わされます。しかしいいかげん、素晴らしい作品やプロジェクトであればどんな人権侵害があってもよい、という発想は捨てるべきでしょう。
世の中でも、労働のあり方が変化してきています。労働時間をタイムカードではかれない仕事、ウーバーイーツのような雇用関係ではないフリーランスの働き方がますます広がっています。こうした働き方は、私が調査してきたアートの現場と地続きです。
――どうやって、アート業界の労働環境を変えていけばいいか?
働いている身として、正当な対価をきちんともとめていきましょう、ということに尽きます。雇用契約を結んだ人は手にした労働者としての立場で交渉すること、業務委託の人もできるだけ契約書で取り決めて自衛することです。そのための知識やスキルが広く共有されるといいですよね。また、雇用側の意識が変わることが、一番の近道だと思います。そのためには、結果のためならあらゆる犠牲を厭わないというような考え方や、年齢や性別役割にとらわれた”昭和的”な価値観を破棄し、せっかくアートなのだから、時代を先取りするような人間らしい働き方を体現していけるといいと思います。