2020年09月11日 10:11 弁護士ドットコム
「男子ってバカだよね」「男の子の意地悪は好意の裏返し」。子どもを育てていると、よく聞く言葉がある。しかし、これに疑問を呈するのが、セクハラや性被害、女性差別などの問題に取り組んできた太田啓子弁護士だ。
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プライベートでは小学生の息子2人の母親でもある太田弁護士は、男の子を育てるにあたり、「女の子の子育てとは違う」と感じてきたという。男の子は知らず知らずのうちに、「こういう遊びが好き」といった「男の子らしさ」を周囲から押し付けられているのではないか。そんな疑問から、『これからの男の子たちへ』(大月出版)を上梓した。
この本には、次世代の男の子たちを性犯罪やセクハラ、DVの加害につながりかねない「有害な男らしさ」から守り、性差別のない社会を生きるために知っておいてほしいことが詰まっている。太田弁護士にこれからの男の子を育てる方法について聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
「やはり、私自身が男の子2人の母親になったことがとても大きいです。男の子の子育て経験のある当事者でなければ、ここまで考えなかったし、書こうと思わなかったと思います」という太田弁護士。この本を書いたきっかけをこう語る。
たとえば、たまにしか会わない親族が、泣いている長男に対して「ほらほら、男の子でしょ!」とあやす姿に、太田弁護士は「うわあ……」と思ったという。女の子だったら言われないさまざまな言葉に、ジェンダーバイアス(男女の役割について固定観念を持つこと)が入り込んでいることに気づいた。
「息子たちが生まれるまでは、性差別や女性としての生きづらさ、性暴力をなくしたいという、女性の側からの発想は持っていたのですが、男性側から性差別をどうみるべきかということを考えたことがありませんでした。
でも、性別もよくわからない新生児のころから息子たちと付き合っていく中で、私がこれまで生きてぶつかってきたものと、息子たちがこれから経験していくことは別なものだなということが、リアルにわかってきました。
もちろん、性別だけが人間の属性ではないのですが、社会が性別に与えている意味や、制度が結びついていることは否定できません。性差別という問題について、女性と男性では考えるところ、見えるものが違うのだなと思いました」
本の中では、親自身すら子どもにジェンダーバイアスをかけてしまう問題が指摘される。
太田弁護士は、子どもが保育園に通っていたころに聞いた、同世代のママ友の言葉に背筋が凍った。そのママ友には男女3人の子どもがいたが、教育費の高さについて嘆いていた際、こう言ったのだ。「ほんとに子どもってお金がかかるよねー。うちはもうお兄ちゃんに集中するわ。妹までまわしきれない」
仕事で相続などの親族間紛争を扱うとき、太田弁護士はよく「長男である自分は特別だ」という特権意識を持つ男性を見てきた。ママ友の発言が、そういう意識の萌芽にならないよう願わずにいれられなかったという。
この本の中でたびたび、触れられるのが「有害な男らしさ」という言葉だ。もともとは、1980年代のアメリカで提唱された言葉で、社会の中で当たり前と思われてきた「男らしさ」が、暴力や性差別的な言動、自分自身も大切にできないことにつながっていることを示す。
太田弁護士は男の子の育児においても、この大人の男性が持つ「有害な男らしさ」のインストールにつながりかねないことがあると問題視している。
たとえば、「男子ってバカだよね」。同じようにやんちゃな行動をとっても、女の子は「女子がそんなことをするなんて」と言われるのに対して、男の子は「男子にはよくあること」で済ませてしまっていることが少なくない。
本来正面から注意され、諭されるべき乱暴な行動をしていても、「男子あるある」として流されてしまうことの積み重ねが、大人になってからの男性たちが「他人や自分自身の痛みに気づけない鈍感さ」の遠因になっているのでは、と太田弁護士は指摘する。
また、「カンチョー」や「スカートめくり」「男の子の意地悪は好意の裏返し」といった「悪ふざけ」も、相手にとって有害であり、「やってはいけないこと」だときちんと大人が教えることが大切だとする。
「弁護士の仕事の中で、DVや性暴力、セクハラなどの加害男性の言い分を聞くことが多いのですが、その認知の歪みは、容易に矯正し難いものを感じます。たとえ裁判で負けても、彼らは『好きだからこそやってるんだ。理解してくれない女性が悪い』という認識を改めません。理解する筋肉自体がないみたいな…」
もちろん、子どもを加害者にしたいと考える親はいない。しかし、男の子を育てる女性たちにはこんな不安があるという。
「犯罪傾向が強いわけではなく、問題なく社会生活を送っていて、むしろ社会的には成功しているような人が、こと性暴力については無理解でひどい性暴力をふるうという現象がとても気になります。たとえば2016年、東大や慶應大、千葉大といった偏差値エリートの大学生による集団性犯罪が相次いで報道されました。財務省の次官による女性記者へのセクハラもひどいものでしたし、『人権活動家』のような人がひどいセクハラをしていたと明らかになる事件もいろいろあります。
彼らは、たとえば何度も窃盗をしていた人がついに強盗に発展したというタイプではなく、ある面では優秀、有能だったり『人権感覚が高い』人なのに、同時に性暴力の加害者になるわけです。このアンバランスさが『善良な市民』の中に同居しているという気持ち悪さがあります。
こういうことを見て、ただ勉強ができるように育てるだけではだめだし、世の中の『普通の道徳意識』をもっているだけでも足りなくて、性差別や性暴力については、あえてそれをテーマとしてとりあげて、きちんと教えないとだめなんじゃないかと考えるようになりました。特に男の子に、『こういうことは性暴力にあたることで、人をとても傷つけるからやってはダメ』と教えるべきなのではないかと。
特に『男の子に』という理由は、法務省の犯罪白書をみると、重大な性犯罪の加害者は99%以上が男性ですが、一方の被害者は96%以上が女性であるなど、男性から女性への性加害が圧倒的に多いという実態があるからです。
もちろん、男性の大多数はセクハラ・性暴力加害者ではありません。ですが、女性の多くが受けているセクハラ・性暴力被害について女性たちと同じくらい強い問題意識をもって、なくそうと動いている男性はまだまだ少数だと思います。
実際の性暴力の加害者の圧倒的多数を男性が占めているというのは事実であり、それには『男性性』の問題が背景にあるとしかいえないでしょう。やはり、子どものころから刷り込まれるジェンダーバイアスや、『有害な男らしさ』も関係があるのではないかと思います。それだけに、子ども時代の男の子に関わる大人の責任は重いのではないでしょうか」
一方で、家庭内で「有害な男らしさ」を懸命に排除したとしても限界があると太田弁護士は話す。
「家庭内で親だけが頑張っても、限界がある、と考えるようになりました。子どもの年齢があがるほど親の手をどんどん離れていくし、家庭だけでなく社会からの影響が大きくなっていきます。家庭だけでなく、社会全体で子育てをするものである以上、家庭だけでなく社会の大人の誰もが、性差別的価値観をもたせないように子育てをするために何をできるかを考えるべきだと思います」
その社会が子どもに及ぼす大きな「影響」の一つに、メディアの表現があると太田弁護士は本の中で指摘する。そうした表現で、特権的扱いを受けているのが「異性愛男性の性欲」なのだという。
「電車の中吊り広告やコンビニ、駅の売店に置いてある雑誌の表紙に、水着の若い女性のセクシーなグラビアやイラストが載っているのはなぜでしょう。異性愛の男性に向けて性的興奮を誘うような写真やサービスばかりが公共空間にあふれているのは、決して『自然』なことではありません」
1980年代ごろまでは、テレビ番組では「お色気シーン」などといって、女性の裸の乳房が普通に放送されていた。しかし、今はもうそうした露出はもう見られない。メディアも改善しているのではという問いに、太田弁護士はこう答える。
「あからさまな裸の露出がなくなったという意味では、前進していると思います。ただ、あからさまな露出でなくても、性差別的だったり、性暴力やセクハラを無頓着に肯定的に描くような表現はまだまだあると思います」
たとえば、国民的アニメである『ドラえもん』にもそうした表現はあるという。
「『からだねん土』というひみつ道具が登場したことがありました。ねん土を体にくっつけると、肉体化するというもので、のび太がマッチョになったり、スネ夫が足を長くして喜んだりしているところに、しずかちゃんが来て、『前から一度、鼻を高くしたいと思っていたの』というのです。
そうしたら、のび太が『今のままで十分かわいいよ』と言ったあとに、『それよりもっとグラマーに…』みたいなことを言うんですよ。セクハラでしょ?」
しずかちゃんといえば、これまでもたびたび、お風呂に入っているところをのび太にのぞかれるシーンが問題視されてきた。
「でも、しずかちゃんがだいたい軽く受け流して終わるわけです。セクハラに対して、『もう、エッチ!』とふくれて終わるという様式ができてしまっている。これはセクハラを『その程度の、冗談として受け流してもらえること』と矮小化して認識させる描き方だと思います。すでにセクハラや性暴力についてよくわかっている人が見るわけではなく、子どもに見せるものとして作られているものですから、こういう描き方は気になります」
太田弁護士が特に気になるのは、子どもが読者の少年誌に掲載されるものの一部にみられる女性の描き方だという。何が問題なのだろうか。
「単に肌を多く露出した描写だというだけで問題だと感じるわけではありません。特に気になるのは、女性のキャラクターが怒っていたり、涙ぐんでいたり、嫌がっている様子を『エロい』ものとして描いているものです。女性が意に反して肌を露出する状況になっているというのは性被害の描写ですが、それを『エロネタ』として扱っているわけです。
エロティックなシーンを描きたいなら、相手の同意があるエロティックな行為を描けばいいのだと思います。
俗に言う『ラッキースケベ』は、偶然のアクシデントにより、女性の裸や下着姿が見えてしまい見た男性がそれを『ラッキー』と感じる、ということですが、仮にアクシデントであっても、女性が意に反して裸や下着を見られてしまうというのは、性被害です。
性被害を『エロいシーン』として描くというのは、性被害の認識を矮小化させる描き方です。大人は責任をもって『性被害は被害であってエロじゃない』、ということを子どもに伝えなくてはいけないのに、むしろ誤った認識を抱かせかねない描き方を子ども向け媒体の製作者がしていることにずっと問題意識があります。
日本では性教育が不十分です。そのために子どもには性に関するきちんとした知識がないという状況で、その子どもたちが読む媒体で『相手が性的接触を嫌がっていること』を性的に興奮する対象として描くという大人の姿勢、社会的責任意識の低さを問題視しています。子どもがそうしたコンテンツを消費することの影響は少なくないでしょう。それが暴力であるという感覚が鈍くなってしまうことを懸念します。
もちろん、表現の自由は大事ですが、表現者の社会的責任や意識の低さを批判することは、なんら表現の自由と抵触することではありません。こういう批判も表現の自由の行使でもありますし。子どもが接するメディアの倫理が問われるべきテーマで、表現者の社会への責任としても考えてほしい問題です」
では、これからの男の子たちはどう生きていけば良いのか。この本では、「有害な男らしさ」から男の子を解放してあげることが、男性が「男らしさの呪いから自由に生きていくこと」につながるとする。
太田弁護士は「読者として一番念頭においていたのは、男の子を育てている現役の親御さん、教師、まわりにいる大人たちでした。それから、男の子当事者にも是非読んでほしいです。高校生ぐらいであればこの本を読めると思います」と話す。
「それから、もちろん何歳の男性でも、自分の内面を見つめることのできるきっかけになれば子育てをしていない読者からも、興味深く読んだ、という感想をいただいていて嬉しく思います。
この本を読んで思うことがあったというような男性の感想はSNSでもたくさん見ています。たとえばですが、男性だけの読書会でそういう話をするような場をつくるとか、つながることで、問題意識が広がっていくと思います」
自分自身も、幼いころから「男らしさ」や「女らしさ」といった押し付けに対して反発を抱いてきたという太田弁護士。
「小学生のときはなぜ、下着と同じ面積しか隠れないブルマーを女子だけ履かなければならないのか、すごく嫌でした。水着への着替えが男女同室だったり、6年生になっているのに身体測定のときにパンツ1枚で並ばされている場に男性教師がいるとか、性的尊厳をガサツに扱うことは本質的に人間に対して無礼だという思いが、誰に教えられたわけでもなくありました」
そうした思いが、性暴力やセクハラなど、女性差別に関わる仕事としての弁護士への道につながったという。
「実務として多いのは、離婚事件です。でも、DV事件などを手がける中で、離婚は社会のマクロレベルでの性差別構造が、ミクロなレベルで噴出する事件だと思うようになりました。女性に対する差別や暴力、ハラスメントの縮図です。離婚事件をやろうと思って弁護士になったというわけではないのですが、今は誇りをもって、この仕事にあたっています」
【太田啓子弁護士略歴】
2002年弁護士登録。神奈川県弁護士会所属。離婚や相続などの家事事件や、セクハラ、性被害の損害賠償請求事件などを手がける。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)のメンバーとして各地で憲法カフェを開いている。2019年には『DAYS JAPAN』元編集長のセクハラ・パワハラ事件に関する検証委員会委員を務めた。共著に『憲法カフェへようこそ』(かもがわ出版)、『これでわかった! 超訳特定機密保護法』(岩波書店)。コラム執筆『日本のフェミニズム』(河出書房新社)。プライベートでは2人の男児を育てている。