2020年09月11日 10:02 弁護士ドットコム
インターネット上の掲示板「闇の職業安定所」で知り合った3人の男が、金ほしさに1人の女性の命を無惨に奪った「名古屋闇サイト殺人事件」。
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ドキュメンタリーとドラマで事件の真相に迫る映画『おかえり ただいま』(制作:東海テレビ)が9月19日から東京・ポレポレ東中野のほか、全国で順次公開される。
監督・脚本を手がけた齊藤潤一監督(東海テレビ)に話を聞いた。(編集部・吉田緑)
事件が起きたのは、2007年8月24日。帰宅途中の磯谷利恵さん(当時31歳)が愛知県名古屋市の路上を歩いていたところ、3人の男に車で拉致され、金品を奪われたうえにハンマーで殴られるなどして殺害された。遺体は山中に遺棄された。
加害者3人はインターネット上の掲示板「闇の職業安定所」で知り合い、強盗の計画を立て、ターゲットは「若くて貯金をしていそうな地味なOL」にしようと話していた。利恵さんからは現金約6万円とキャッシュカードなどを奪い、暗証番号を聞き出した後に殺害したが、口座から預金を引き出すことはできなかった。
利恵さんは加害者3人に嘘の暗証番号「2960(ニクムワ=憎むわ)」を教えていた。「母に家を建てる」という夢を持っていた利恵さんは800万円以上の貯金をしており、最後まで預金を守り抜いたのだ。
事件後、加害者の1人である川岸健治受刑者が自首したことで事件が発覚。残る2人も逮捕された。
事件は大きく報道され、犯行の凶悪さや「闇サイト」の存在が話題となった。また、加害者3人の量刑をめぐって議論も巻き起こった。
2009年4月13日、加害者の1人である神田司元死刑囚の死刑が確定。2015年6月25日に刑が執行された。
そして、2011年4月25日に川岸受刑者、2012年7月11日に堀慶末死刑囚の無期懲役がそれぞれ確定した(堀死刑囚は後に別の強盗殺人の余罪が発覚し、2019年7月19日に死刑が確定)。
東海テレビは事件発生直後から利恵さんの母・磯谷富美子さんの取材を続け、2009年4月に3人の犯罪被害者遺族を追ったドキュメンタリー『罪と罰~娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父~』を放送した。
番組では「娘を奪われた母」である富美子さんが加害者3人に死刑を求め、30万人の署名を集めた様子などがうつし出された。
ほかにも、名古屋保険金殺人事件で「弟を失った兄」として死刑制度に疑問を抱く原田正治さんや、集団リンチ殺人で「息子を殺された父」として死刑を求めながらも葛藤する江崎恭平さんにもスポットライトを当てた。
しかし、齊藤監督は番組制作後に「胸のつかえを感じていた」と話す。
「さまざまな犯罪被害者遺族がいることを伝え、死刑について考えてほしいという思いでこの番組を制作しました。
ただ、富美子さんが望む番組ではなかったのではと感じていたんです。実際にそのように言われたわけではありませんが、私はいつか富美子さんに寄り添った作品を作りたいと思っていました」
こうして制作されたのが今回の映画『ただいま おかえり』だ。番組では描けなかった事件に至るまでの利恵さんと母・富美子さんの日常や事件そのものをドラマで表現した。母・富美子役を斉藤由貴さん、利恵役を佐津川愛美さんが演じている。
映画では被害者だけではなく、加害者の1人であり、2015年に死刑が執行された神田元死刑囚の生い立ちも描かれている。
神田元死刑囚は幼いころに両親が離婚。家では父親に暴力を振るわれることもあり、学校ではいじめを受けていた。成人してからも持病の群発性頭痛のため、職は長続きしなかった。
齊藤監督は裁判記録や父親へのインタビューなどを参考に、事件前の神田元死刑囚の日常を浮かび上がらせたという。
なぜ、加害者の生い立ちを描こうと思ったのか。齊藤監督は次のように語る。
「これまで私は報道記者として、事件報道をおこなってきました。その際に加害者に対して感じたのは、出自などによる差別やいじめを受けていたり、家族や社会の支えがなかったりする人が多いということです。
もし誰かが気にかけていたり、手を差し伸べていたりすれば犯罪は起きなかったのではないかと思うことが少なくありませんでした。
加害者の生い立ちはなかなか報道されませんが、とても大切なことだと思います。だからこそ、知ってほしい」
映画を観た富美子さんは、神田元死刑囚の生い立ちについて「刑が執行されたからと言って許すことはできないが、子どもの頃の境遇については感じるところがあった」と齊藤監督に話したという。
富美子さんは、利恵さんが遺したお金で建てた家で静かに暮らしている。「家」はこの映画のテーマでもある。
「富美子さんの家には、利恵さんが亡くなった今でも『おかえり』『ただいま』という会話があるような空気感があります。富美子さん自身が『こころの中に利恵がいる』という気持ちで生きているからだと思います。
一方、神田元死刑囚には、温かい家庭はなかった。もし彼の家に『おかえり』『ただいま』という会話があれば、このような事件は起きなかったのではないかと感じています」(齊藤監督)
事件を風化させないため、犯罪被害者遺族として講演活動を続けている富美子さん。苦しみの中でも活動を続けるのは「より良い社会をつくる」という思いがあるためだ。
映画では、学校でいじめられて帰ってきた少年時代の神田元死刑囚に大家がチョコレートを渡すシーンがある。齊藤監督によると、実際に神田元死刑囚を気にかける大人がいたのかは定かではなく、この部分はフィクションだという。このシーンは「社会がいかに手を差し伸べていくべきか」を問いかける一場面となっている。
「映画を通して、被害者(遺族)と加害者がそれぞれ置かれている現状や事実をみてほしい」と齊藤監督は語る。
【『おかえり ただいま』作品情報】
WEBサイト: https://www.okaeri-tadaima.jp
9月19日(土)より東京・ポレポレ東中野にて公開ほか全国順次