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戦後の大阪を舞台にする警察小説『インビジブル』 注目の新人・坂上泉の骨太かつ軽妙な筆致に脱帽

2020年09月11日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 渋谷センター街の入り口にある大盛堂書店で書店員を務める山本亮が、今注目の新人作家の作品をおすすめする連載。第8回である今回は、デビュー作の『へぼ侍』で第26回松本清張賞と日本歴史時代作家協会賞新人賞の二冠を達成した坂上泉、待望の第2作目となる骨太警察小説『インビジブル』を取り上げる。(編集部)


連載第1回:『熊本くんの本棚』『結婚の奴』
連載第2回:『犬のかたちをしているもの』『タイガー理髪店心中』『箱とキツネと、パイナップル』
連載第3回:『金木犀とメテオラ』
連載第4回:『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』
連載第5回:『クロス』『ただしくないひと、桜井さん』
連載第6回:『またね家族』『処女のまま死ぬやつなんていない、みんな世の中にやられちまうからな』
連載第7回:『明け方の若者たち』


 刑事、警官同士のバディ物は、ご存知の通り小説だけでなくコミック、映画、テレビドラマなど数多くの作品が世に出され、組織や遭遇する事件の特殊性やその関係性によって、バラエティ豊かなストーリー展開で耳目を集めるものも多い。


『へぼ侍』

 昨年のデビュー作『へぼ侍』(文藝春秋)で注目された坂上泉の2作目となる『インビジブル』は、戦後すぐの大阪の警察を舞台にした濃厚な長編小説であり、ブラザーフッド的作品だ。


 敗戦後、GHQの指導からそれまでの警察機構から国直属の「国家地方警察」、各自治体直属の「自治体警察」に再構築された。戦前は絶大な権力を誇った組織が突如解体されたことによって、混乱する世相や民意に忖度し揺らぎながらも、所属する警官たちは職務を続けていく。



〈戦災で孤児や浮浪者になった者は、戦後九年が経った今も十分な助けを得られず、世の中への果てしない怨嗟が積もり重なって犯罪に走る。そういう者たちを自分ら官憲が見せしめとばかりに懲らしめる。それを「善良」な市民は求めるからだ。(中略)皆が皆、一歩間違えればあの浮浪者のようになったかもしれないと薄々気づきながら、今いる場所を守るために平然と罵り蹴飛ばし、己のうしろめたさを解消する。その手先になっているのが警察の実態だ。〉



 主人公・新城洋は二十歳の大阪市警視庁所属する警官だ。空襲で母を失い、船乗りだった父も落ちぶれるが、中華料理店で必死に働き支える姉がいる。義務教育が延長され新設された新制中学を卒業後、警察に入官した。そこでは、いわゆる叩き上げとして現場で揉まれていく。


 彼の先輩や上司も時代を反映した面々が揃う。軍隊帰り、特攻崩れ、憲兵上がりなど、上司の面子にも翻弄される。新たな世界に戸惑いながらも、自分の意地で職務をまっとうする言動と行動が、この物語の大きな推進力となっている。


 また、戦争によって痛手を被りながらもしたたかに日常を過ごす市民の描写も生々しく、まるで文字から時代の匂いが色濃く漂ってくるようだ。丹念に資料などを当たり文章へ落とし込まれているので、世相史としても読み応えがあり、著者の腕の確かさが分かる。


 そんな中、「中央卸売市場」と刻印された麻袋を頭から被せられた他殺体が相次いで発見された。大阪選出の代議士などの関与も疑われ捜査本部が設置されるが、そこに30代の国家地方警察の旧帝大(東大)出のエリート・守屋が派遣される。警察としての確固たる信念を持ち杓子定規な切れ者として周囲から疎まれるが、捜査の相棒として選ばれたのが新城。境遇やキャリア、性格も全く違う2人が聞き込みなどで繰り広げる関係が人間ドラマとしてとても読ませる。


 戦後に成人した新城に時代への疑問を代弁させ、兵役にも就き他人には言いたくない過去を持つ守屋の考えや死生観が遠慮なくぶつかり合いあうことによって、2人の関係が順を追いながらより密になっていく。それを感じさせる大きな要素の一つに、まず会話のリズムが良いことが挙げられる。軽妙ではあるが時に微妙にタイミングを外す新城の大阪弁や、標準語の守屋の会話が物語における素晴らしいアクセントとなっている。著者の「耳」が良いのではないだろうか。



〈……「守屋さんって、三十でしたっけ?」
「そうだが」
「なんで結婚してないんでっか」
「職務が忙しくてな」
「見合い話なんて、それ守屋さんくらいやったら引く手あまたでしょうに。自分から行かんだけでは」
「知らん」
「女が苦手なんでっか?」
「知らん」
普段の堂々たる態度はどこへやら、拗ねたように目も合わせない。実に分かりやすい。
「へえ」
「何だねその顔は」
「いや別に」
「不愉快だ」
「まあまあ」
そんなやり取りをしていたとき、帳場がにわかに騒がしくなる。〉



 また実在の人物がモデルとなり筋に影響を与えているのも読みどころだ。右翼の大物、後に国民的作家と呼ばれた小説家、大手新聞社の社会部のエースとしてスクープを連発した名物記者の若き日々の存在が、本書にコクを与えていて面白い。また農村から満州に開拓民として渡り辛酸を舐めたある男の存在がサイドストーリーとして描かれている。


 登場人物達の正義を語りながらも隠しきれないほの暗いうしろめたさが描かれる。そんな登場人物達の存在に溺れずに物語を進めていった著者の筆致は見事の一言に尽きる。本書を読み終えて坂上泉は、骨太でありながら軽妙さを併せ持ち、スケールの大きな物語を描くことができる作家だと感じた。これからの活躍が本当に楽しみになった。


■山本亮
埼玉県出身。渋谷区大盛堂書店に勤務し、文芸書などを担当している。書店員歴は20年越え。1ヶ月に約20冊の書籍を読んでいる。会ってみたい人は、毒蝮三太夫とクリント・イーストウッド。


■書籍情報
『インビジブル』
著者:坂上泉
出版社:文藝春秋
価格:本体1,800円+税
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912455