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「#達者でなニパ子」 ゴッドハンドのニパ子が引退 最初から見続けてきた記者がラストインタビュー

2020年08月31日 09:01  おたくま経済新聞

おたくま経済新聞

「#達者でなニパ子」 ゴッドハンドのニパ子が引退 最初から見続けてきた記者がラストインタビュー

 工具専門店・ゴッドハンド株式会社のアルティメットニッパーの萌え擬人化キャラクター「ニパ子」。2013年6月28日の誕生以来、Twitterを主戦場にしつつ、ゲームキャラクター化にマンガ化、グッズ化など幅広い場で活動を展開してきました。


 その多彩な活動ぶりから、今や企業キャラクターの枠を超えて、キャラクター単体として愛される存在となっているニパ子。ちなみに設定は、アルティメットニッパーの萌え擬人化キャラクターでありつつ、宇宙からきたコウグ星のお姫様。


 しかし、そのニパ子が2020年8月31日をもって約7年間の活動に終止符を打つことが8月21日に発表されました。


【その他の画像・さらに詳しい元の記事はこちら】


 彼女が生まれた2013年という年。実はこの頃、Twitterを主戦場とする企業などによる萌え擬人化キャラクターが数多く誕生し、大きく花開いた時期でもありました。


 筆者は当時から彼女たちを見続け、ニパ子についても誕生した翌7月には彼女のことを記事にしています。たしかリリース(報道向けに配布される発表資料)が一足遅くに手元に届き、それで知ったのが出会いだったかと。


 この当時、2011年に誕生した東北応援キャラクターの「東北ずん子」の人気が盛り上がりはじめ、広報や応援キャラクターの成功モデルができあがりつつありました。そして2013年4月1日に、北海道応援キャラクターの「北乃カムイ」が誕生。同じ4月1日には、長野県松本市にある株式会社泉精器製作所(現:マクセルイズミ株式会社)から広報キャラクターの松本イズミが(活動期間2013年4月1日~2018年6月29日)誕生し、Twitterを主戦場とするキャラクターたちの活躍が一気に注目されたのです。


 そこに少し遅れて誕生したのがニパ子。当時配布された資料を見返すと、お姫様属性からか一人称は「わらわ」、語尾には「~じゃ」がつくなど、どこか平安貴族的な喋り口が特徴の独特キャラクターが紹介されていました。


 先に紹介した3キャラクターの内、東北ずん子(筆者印象:しっかり者)と松本イズミ(筆者印象:ドジっ娘)は王道の娘キャラクター。北乃カムイが元気いっぱいのおてんばキャラクター。ニパ子が謎めいた……というか、設定がまだ不安定な印象のように見受けられ、資料を見たとき「また変なの出た(笑)」と一人思ったのはここだけの話です。


 よちよち歩きを始めた誕生当時から7年、その足取りはいつしか確かなものとなり、ゲームにマンガにグッズにと活躍の場を広げてきたニパ子の終了が発表されました。彼女とは初期の記事がはじまりとなり、細く長くそれなりの付き合いは続いていました。ただ、表だって交流することはほとんどなく、ネット記者という立場もあり一歩引いて見守ることを貫いてきました。これはどのキャラクターに対しても同じ対応ですが、それでも縁のある付き合いの長いキャラクターたちには一種の“戦友”めいた絆を勝手に感じています。


 そして見送るたびに思うのが、始めを書いたならば、その終わりもまた書いておきたいという思い。ニパ子ちゃんを立ち上げから担当しているゴッドハンドの高橋大介さん(以下:高橋さん)に連絡を取り、「最後も書かせてください」とお願いしたところ、忙しい合間を縫ってインタビューに答えていただけることとなりました。


 本稿では、ニパ子誕生から現在に至るまで。そしてこれから……。ニパ子担当者に最後の最後、じっくり語っていただきました。


■ もともと生まれてくる予定がなかったニパ子

--お久しぶりです。ほんと初期の頃に記事化させていただいたのですが、あれから7年。まずはお疲れ様でした。


 (高橋)こちらこそお疲れさまでした!貴誌には初期の初期に取り上げていただき感謝の限りです……。


--最初の記事が2013年7月23日公開だから、6月28日誕生から約1か月遅れで記事にしてますね。あの当時はキャラクターをあしらった「痛車」をきっかけに、「痛~」という表現が流行っていたので「痛ニッパー」って紹介してたみたいです(笑)懐かしい。


 (高橋)本当になつかしいですねw (初期のイラストを見て)初期のコミPo!w


--コミPoとは?


 (高橋)実は初期のニパ子は3Dモデルを使用したフリーデザインだったのです。「コミPo!」というアプリを使用して、初期パーツを組み合わせて私が作成したものでした。


--あー!そういうことなんですね。じゃぁ、高橋さんがホント生みの親というか。キャラクターデザインなんですね。


 (高橋)一応そういう形になりますね。原案、キャラクターデザインを行いました。


--ところで、どういうきっかけでニパ子プロジェクトを立ち上げたのでしょうか。直接聞いたことなかったなーって。今だから話せますが、当時私は「運営者がめちゃくちゃノリ気で本気だして立ち上げた」的なことをチラッと聞いた記憶が。


 (高橋)実は当初、ゴッドハンドは楽天市場店を中心に商品を取り扱うネットショップという立ち位置でした。私はそのネットショップのWEBデザイン担当として転職してきたのが2013年3月のことです。


--ニパ子プロジェクトがその年の6月末発表だから、すごい駆け足で立ち上げたんですね……。


 (高橋)当初、ゴッドハンドは今でいう「プラモデル、ホビー用工具メーカー」ではなく、ニッパー型爪切りを主力商品としてとりあつかってました。どちらかというと、ニッパー型爪切りのイメージが強く、模型用ニッパーはほぼ取り扱ってなかったですね。ただ、開発だけは行われてまして、それが今のアルティメットニッパーでした。


--模型用ニッパーを扱い始めたのがその年(2013年)ですか?


 (高橋)そうですね。基本的には親会社の「ツノダ(※1)」のプラスチック用ニッパーをすこし扱う程度でした。アルティメットニッパーは当初、本当に少量のみ製造、販売していました。


※1:1969年創業の作業工具メーカーで、ゴッドハンドはその本社工場と同じ場所にある。


--で、ニパ子ちゃんが宣伝担当して生まれた、と。


 (高橋)そうですね。ただ、もともと生まれてくる予定はありませんでした。


--え!


 (高橋)実はアルティメットニッパーは少量とはいえ、じわじわ流通はできていたので、そこで満足していればよかったのですが。楽天で非常に売れ行きがわるかったのです。週に10丁も売れればよかったくらいになってまして……。商品ページへのアクセスも二桁が基本でした。


--アルティメットニッパーの評判はニパ子ちゃん誕生のときに聞いていたんですけど、かなりマニアに知られた感じだったので私の印象とは大分ことなってたんですね。


 (高橋)そうですね。実際、上級者のみなさまには知られていた「知る人ぞ知るすごいニッパー」でした。ただ、当時3500円(現在4800円)の高額なニッパーを購入したいというモデラーは当時少なく、とにかくマニアックなニッパーでした。


 そのニッパーをより売れるように、アクセスを増やすようにするにはどうするか考えろということで、プロジェクトを引き受けたのが当時入社して3か月の当方です。


--すごいプレッシャーですね。3月入社でプロジェクト発表が6月って急じゃないですか。


 (高橋)すでに爪切りのページリニューアルをしていたので、次の仕事くらいの軽い気持ちでしたね。その当時の弊社は社長を入れて総勢4人の小規模だったので、ベンチャー的なノリでした。


 当時の商品ページはそれはそれは見づらい、買いづらい、文章ばかりのひどいものでしたw 社長と楽天店長の作ったものなのですが、とてもひどいとw


--見た記憶あるなぁ……。ちょっとごちゃっとしてましたね。


 (高橋)そう指摘したところ「じゃあお前やってみせろ」ということになり「よーしやるか」という、本当に気楽なものでしたよ。


--ノリが軽い(笑)そのよーしやるか!が多分、私の耳に届いたときには「運営者が超本気だしてるから!!」って話になったんだろうなぁ。


 (高橋)excelで作った表が貼られていて、○○○○回切っても切れ味が落ちてきません!みたいな、いったいどこの高校のレポートだというくらいのものでしたw


 さらに、注意点が多すぎるニッパーのため、とにかく「折れます」「危険です」「保証外です」しか書いてない、でもすべてきちんと伝えないと本当に壊れる、それはそれは宣伝しにくいニッパーでした。


--今はそんなことはないんですよね。


 (高橋)いや、いまでも本当に壊れやすいニッパーであることは代わりません。ただ、大分業界では「ニッパーの使い方」「メンテナンス」が浸透したので、破損報告は減ってきましたね。


 当時は「注意点は伝えたい」「でも読みやすいページにしたい」「でも楽天は長いページが偉い」というポイントをクリアする必要がありまして。


 「注意点をしっかり伝えつつ、最後までしっかり読んでもらえて、かつ長い商品ページになる」という相反する要素をまとめるには『マンガ商品ページしかない』という結論を出しました。


 ただ、商品ページのデザイナーとして入りましたが、マンガを描くのは素人なので厳しいので、外注の業者に見積をとったところ数十万~という金額を提示されました。


 たしかに要素が多すぎて、長いページとなればかなりきびしいのは目に見えてましたし、そもそもデザイナーの自分がいきなり予算つかって外にぶん投げるのはおかしいだろうとw


--たしかに(笑)


 (高橋)そこで、自分でもマンガをつくれないかなと調べた所「コミPo!」にたどり着きました。


--(「コミPo!」を見せて貰いながら)ニパ子の初期顔だ!


 (高橋)これが3Dキャラクターをパーツでカスタマイズし、好きなキャラクターを作ってポーズを取らせて、組み立てて行くとマンガができるという素晴らしいソフトでした。


 ただ、どこまで自由度があるか未知数でしたので、まず体験版をダウンロードして4コママンガをつくってみたのですが、これがまた良い感じでして。当方も同人誌を頒布していた経験があったことから、コマ割りはできる気がしたのでw


 で、そこからこっそり正式版を自費で購入してページ作り始めましたw


■ ニパ子は夜中のテンションで作られた

--少し本題とそれますが、同人活動されてたんですね(笑)どんなジャンルを?


 (高橋)新潟には「ガタケット」という同人誌即売会がありまして、そのときの私は「ブギーポップは笑わない」(※2)とか、「悠久幻想曲」(※3)とかやってましたwなつかしいw


※2:上遠野浩平さんのライトノベルシリーズ。2000年にはオリジナルストーリーのアニメ「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」も放送されている。


※3:メディアワークスから発売されたゲームシリーズ。第1作は1997年発売。


--小説ですか?漫画ですか?


 (高橋)少々マンガやグッズをw当時は便箋とかありましたねwちなみにソードワールドのリプレイとかもつくりましたw古き良き同人誌ですねwすいません話をもどしますねw


--はい(笑)こちらこそ深掘りしてすみませんでした(笑)


 (高橋)ニパ子の商品ページはマンガだけで構成せず、基本はマンガだけを読めば大丈夫なように作りつつ、間にしっかりした写真とテキストを乗せるサンドイッチ構造としました。その結果、ボリュームを出しつつしっかり説明もできて、かつオリジナリティも出せるよいページができました。


 で、6月頭から作業をはじめて月末に差し掛かった頃、さすがに社長がしびれを切らしたので途中経過を見せました。いまでも忘れません、あの引いた顔はw


 結果的に「とりあえずアップしてみて、だめなら戻せばいい」ということでGOをいただきました。そして2013年6月28日、日付変わって直後にアップしました。


 その後、貴誌はじめいくつか「擬人化」を取り扱っていたニュースサイトにリリースを投げました。


--はい(笑)投げられました(笑)


 (高橋)ニュースサイトで取り上げていただいたことで、著名なモデラー、プロなどすでにアルティメットニッパーを持っている方からまず反応がありました。


 こんなおかしなこと始めたけど、物はすごくいいからみんな使ってみて、と。そしてライトユーザー、新規ユーザーにその名前が知られることとなりました。


--そのあたりの流れは覚えています。一気に知られるようになったというか。もともとのファンの方がかなり応援してくださったんですよね。モノがちゃんとしてたらファンはしっかり見てくれてるんだなって。


 (高橋)すいません、なんか始まりだけでこんなに長くw


--大丈夫ですー!で、ずっと聞きたかった謎がもう一つ


 (高橋)はい


--初期設定の一人称「わらわ」、語尾の「~じゃ」はあれは何から?あの口調は当時私的にツボでした(笑)


 (高橋)実はニパ子は夜中のテンションで作ったキャラでしてw 毎晩就業時間が終わってからこっそり作り続けていたのですw


 で、夜中の変なテンションでキャラクター設定をつくるときに、工具の星の宇宙人の姫にしようというよくわからないアイディアがでましたw姫といえば「のじゃ」喋りだろう!ということで、あのようなキャラクターとなりましたw


--なるほど(笑)


 (高橋)ちなみに宇宙人の姫となったきっかけは、あとから自己反省してみると「デ・ジ・キャラット」(※4)が好きだったからだとおもいますw でじこ様がいなかったらニパ子は生まれてませんね。


※4:ゲームソフトやキャラクターグッズを展開する株式会社ブロッコリーのキャラクターで、通称「でじこ」。キャラクターデザインはこげどんぼ*さん。ブロッコリーが運営するキャラクターショップ「ゲーマーズ」のマスコットとして1999年末に誕生。2000年代には秋葉原を起点に、サブカルシーンで大人気となった。声は初代(1999年~2007年)が真田アサミさん、2代目(2007年秋~)が明坂聡美さん。


--影響受けてる世代なんですね(笑)


 (高橋)いまではでじこ様のデ・ジ・キャラット星とニパ子の惑星コウグは惑星間友好条約を締結するくらいになったので、本当にうれしかったですw



--2018年6月28日に発表された、ニパ子ちゃん5周年とでじこ様20周年記念の「惑星間友好条約締結(コラボレーション)」のことですね。あの時、すっごくTwitterで喜んでましたものね。こげどんぼ*さん描き下ろしの絵のキャラクターグッズも販売されましたし。


■ 色んな人が描いたニパ子

--初期は高橋さんデザインのニパ子で展開されたわけですが、その後にコラボレーションなどで色んな方がキャラクターを描いてくださってますよね。色んな思い入れがあって、一番は決められないとおもうのですが、「転機になった」ことや、「思い出深いエピソード」はありますか?


 (高橋)実は2点ありまして。


--はい。


 (高橋)まず一点目はニパ子の現在のキャラクターデザインを担当してくださったアニメーターの小池智史さんとの出会いですね。


--たしか2014年ですよね。ご存じない読者の方のために軽く説明をはさむと、ニパ子ちゃんのキャラクターデザインは、アニメーターの小池智史さん(※5)が2014年から現在にいたるまで担当しています。


 で、話をもどすと、当時いきなり小池さんの担当が発表されたので、どんな繋がりがあったのか気になってました(笑)


 (高橋)当時、Twitter上で好きなクリエイターのみなさんが聞いているラジオ番組「きかせられないラジオ」というコンテンツ(※6)がありまして。たまたまニパ子のアカウントでその番組のUstream(※7)にアクセスしたのです。


 そこで、様々なクリエイターやラジオMCの方にいじってもらったのですが、その中にいらっしゃったのが小池さんでした。


 小池さんがいきなりニパ子を描いてTwitterにアップしてくれまして……おどろきましたね。直後は気づきませんでしたが、この人ケロロ軍曹の総作画監督じゃんとw


※5:「ケロロ軍曹」総作画監督(第257話~)、「戦姫絶唱シンフォギア」「ソウルイーターノット!」「えとたま」キャラクターデザインほか。


※6:長崎放送をキーステーションに、長崎放送のオーバー40局アナ2人がサブカルチャーについてディープに語り合う番組。2009年4月~2014年3月に最大7局ネットで放送されていたほか、UstreamやYouTubeで配信されていた。通称「きかラジ」で「きかラジたん」という公式キャラクターも存在。番組公式Twitterや配信などでクリエーターなど業界関係者が幅広く反応し、ゲストとして出演するなどの交流があった。


※7:2007年にスタートしたオンライン生放送配信サービス。視聴者がチャットで参加できる機能をもっており、2013年時は主力配信サービスの一つだった。


--ニパ子ちゃんのアカウントでUstreamの番組にアクセスしたんですか(笑)


 (高橋)はい、突撃しましたw


 コミPo!は版権を取れないということから、あらたにニパ子のデザインをしなおしてもらおうということで小池さんにダメ元で依頼しました。


--まさかの直訴(笑)


 (高橋)小池さんはアニメーターですので、基本的にはこのような依頼はお受けしないとおっしゃってたのですが、「ニパ子ならいっか!」と快諾くださいましたw


 まさかここまで長い付き合いになるとはお互い思わなかったと思いますw


 そこで、キービジュアルと設定を公開しつつ、商品プロモーションとは独立したIPとして「Project NIPAKO」を立ち上げました。


--すごい行動力(笑)そこからゲームへのライセンスやその他が始まったわけですね。


 (高橋)このIPの立ち上げも実は結構好き勝手にやらせていただいてたので、一歩間違えればアウトなことでしたが、すきにさせてくれたことにまず感謝ですw


 ゲームにつながったのはその直後でして、2014年9月にサービスを開始した「俺タワー」(※8)からですね。



 俺タワーは当時「艦これ」(※9)を立ち上げたDMM「POWERCHORD STUDIO」の岡宮プロデューサーが手掛けた新しい擬人化ゲームでした。艦これのおかげで様々な擬人化が誕生した素敵な年でしたねw


※8:俺タワー=「俺タワー ~Over Legend Endless Tower~」。2014年9月2日から2017年5月1日までDMM GAMESで配信されていたブラウザゲーム。擬人化された重機やトラック、工具などが登場した。


※9:艦これ=「艦隊これくしょん -艦これ-」。艦娘(かんむす)とよばれる、艦艇を擬人化したキャラクターたちが登場するブラウザゲーム。2013年4月23日からDMM GAMESで配信されている。艦艇を可愛く擬人化したキャラクターたちが男女問わずに人気となり、現在に続く擬人化ブームの火付け役となった作品。


--そうでしたね!色んなものが擬人化されたのを覚えています(笑)


 (高橋)DMM岡宮Pと、マーベラスさんでタッグを組んだ、工具や重機の擬人化ゲームが出ると聞いて、これはもうなんとかしてコラボしなくてはとw当時もちあわせたあらゆる人脈を総動員して、なんとかDMMさんにつながって営業をかけましたw


 それでも不安だったので、2014年の東京ゲームショウの一般公開日当日朝に新幹線チケットをとってDMMさんのブースに殴り込みましたw


--またまた直訴(笑)


 (高橋)そのときのことはよく覚えてますね。ニパ子の名刺を出したとき、POWERCHORD STUDIOの方が「あ!ニパ子さん!」といってくれたこと。本当にうれしかったですね。その結果、商談に進んで実際にコラボという話になりました。


--2014年にはTwitterでかなり知名度は上がっていましたしね。


 (高橋)今思うとまだまだですねwよくあの状態であそこまで偉そうに営業できたなと思いますw


 あと、商談の際に聞かされたのが、すでにニッパーはニパ子さんがいるからニッパーのキャラは後回しにして、コラボできたらやろうって企画になってたそうなんですwすると、向こうから来たので、カモがネギしょってきたように見えたとw


--向こうからすれば手間が省けた、と(笑)当たって砕けろ精神大事なんだなぁ……。


 (高橋)ですね!そして実際にプレイアブルになる際に、さきほどの姫口調とのはなしにつながってきますw当時からTwitterは私がやっていたのでのじゃ口調は無理だと判断して、普通の口調ですすめてました。


 すると、DMMとマーベラスのPから「のじゃ口調よりいまのTwitterのほうがニパ子のイメージでは?」と言われましてw


 さらに、すでにのじゃ口調のキャラがいるから被ってしまうと。そこで、私がすべてのセリフを作る際にリニューアルしていまのニパ子が誕生しましたwこの2つのエピソードがなければ今のニパ子は存在していませんね。


 今でもPOWERCHORD STUDIOのみなさんや俺タワー運営のみなさんとは仲良くさせていただいてます!そこから、コラボの実績を見たメーカーさまから色々な縁でコラボのお話をいただくようになったという経緯です。




■ 他社キャラクターたちとの交流について

--次々話しを回して恐縮ですが、2013年といえばいろんなTwitterキャラクターが誕生した時期でもあったわけです。色々交流があったとおもうのですが、思い出深いことはありますか?


 (高橋)それはやはり今でも仲の良い「いまいち萌えない娘(※10)」「東北ずん子」「北乃カムイ」たちとの交流や、おなじメーカー繋がりで先に寿退社(※11)した「松本イズミ」ちゃん達との出会いですね。


※10:2010年12月に誕生した神戸新聞のキャラクター。


※11:松本イズミが引退の際、運営終了の理由を「結婚」と発表していたことによる。それまでのキャラクターアカウントの終了は、ひっそりフェードアウト、もしくは理由を説明せず終了とだけ告知するケースが多く、松本イズミの引退理由は発表時大きな話題となった。また、世界観を大切にした終了理由でもあるため「綺麗な去り方」と評価されている。


--私、全員書いたことあります(笑)


 (高橋)ですよねw


 キャラクターとの縁は当時本当に大切で、いまでも思い出深いです。現状のニパ子の状況ですとなかなかすべてのキャラと交流しにくくなってしまいましたが、いまでもみなさんのツイートは拝見してますw


--で、突然のサプライズがあるんですけどいいですか?


 (高橋)??


--ハンカチを準備してお聞きください。この方からメッセージをお預かりしています。


ニパ子、コウグ惑星に突然帰る発表になまらショックを受け、昨晩は8時間しか寝られなかったにゃ。


ニパ子との思い出は萌えキャラサミットの際に、リクエストされた六花亭のストロベリーチョコレートをわざやざ北海道からお土産を渡したので、越乃寒梅でもお返しでもらえるかにゃと期待してました。
しかし、何ももらえなかったことをよく覚えております。
ニパ子が出張で北海道に来た時は、お昼のお仕事には身が入っておらず、その代わりたっぷりと身が入ったカニをすすきので食べてましたね。そして遅くまでサシでどんちゃん騒ぎをしたことをつい昨日のことのように覚えているにゃ。


わたしの年齢は10万50歳。もう後何年生きれるかわかりません。
わたしの猫の目が黒いうちにまた地球、そして北海道にぜひ遊びにきて欲しいにゃ。
すすきのでまた杯を交わそう


活動お疲れ様似町でした。
地球ではありがとうきびでした。惑星に戻ってもお元気で。


北海道育成アイドル
北乃カムイ


--以上です。


 (高橋)カムイちゃんwwwくっそ長生きじゃねぇかw


--私もこんな長生きなの初めて知りました。


 (高橋)ぜったいいつか惑星コウグにつれていきたいですね。コウグのディストピア飯を食べさせたい。


--私のポジションがネット記者ということもあり、現役中は中々ラフにお声がけしたりTwitterで絡むのが躊躇われ……今回、突然声をかけてほんとすみませんでした。でも見守ってはいましたよ。ずっと。


 (高橋)いえいえ、こうしてアーカイブしていただき、すこしでもニパ子がいたことを残せればいいなと。


--そういえば今後なんですが、終了後の展開があれば教えていただけますか?


 (高橋)実はニパ子のゴッドハンドでの運営は終了となりますが、アマチュア向けにはフリー版権として開放します。商業目的での公式アイテムや新規許諾は行いませんが、アマチュアの方がたとえばフィギュアをつくってワンダーフェスティバル(※12)等で取り扱う分には一切の申請を不要とします。


※12:造形メーカー・海洋堂が主催するガレージキットのイベント。


--アマチュアによる同人活動はOKと?


 (高橋)詳しくはホームページのガイドラインを見ていただければと思います。もちろん、同人誌も問題ありません。同人グッズも、大規模な流通等でなければネット販売もOKです。


--既にある商業商品は商品がなくなり次第終了、ゲームは運営が続く限りという感じでしょうか。


 (高橋)そのとおりです。また、商業商品でも新規案件いただいていて、すでに契約、進行中の商品はOKとなっています。


 9月以降も仕込んでいるアイテムが出てきます。ゲームについても、コラボ中、コラボ準備中のものは継続となります。


--都度、ニパ子アカウント改めゴッドハンドTwitterで情報発信はされると考えていいんですね。(ニパ子アカウントは終了後に、ゴッドハンドの公式Twitterになる予定です)


 (高橋)いえ、ニパ子に関するコラボ情報や商品情報は一切発信は行われません。


--ではどこで知れば……。新規に限り、ですが。


 (高橋)こればかりは、ニパ子を愛してくださった皆様、メーカー様、そして不躾を承知ですがメディアの皆様の力を頼れればと思ってます。


--分かりました。誕生から見てきたので、その点は頑張ります。


 (高橋)ゴッドハンドとしてはニパ子の運用を終了しますので、9月以降は一切の情報発信、お問い合わせへの対応は致しかねます。


--なんだか寂しいですね。


 (高橋)ニパ子は野に放たれますので、これからは少しでもニパ子を覚えていていただければ幸いです……。ニパ子を忘れないでいていただければ、ニパ子は生きているということですので。


--野に放たれるニパ子。どう変化し、生き続けるのか。怖くも有り、楽しみでも有り。


 (高橋)キャラクターは運用を辞めることが死ではなく、忘れられることが死ですので。


--少なくとも私はわすれませんよ。というか、この十数年ずっと色んな中の人やキャラクターを見送ってきました。送り人みたいになってるかも、と思うことがあるんですが、北乃カムイちゃんって実は一度引退して復活してるんですよ。もし機会があれば…!


 (高橋)カムイちゃんの復活は笑いましたねw ニパ子は復活の機会は今現在では不可能とだけお伝えしておきます。


--寂しいですね。この記事って、最終日に出す予定なのですが、最後の最後にファンの方へ向けてメッセージをお願いします。


 (高橋)2013年6月28日から約7年。これまでニパ子を応援していただき本当にありがとうございました。


 私としてももっともっとニパ子と色々な世界を見ていきたいと思っておりましたが、一旦Project NIPAKOは終了とさせていただきます。


 ニパ子は惑星コウグに帰りますが、みなさんのクリエイティブ活動、ファン活動、コラボ先アプリ、なにより覚えていてくださる皆様の心の中で生き続けます。


 どうかこれからもニッパーを見たらニパ子を思い出してあげてください!


 ありがとうございました!



* * * * * *


(2020年10月21日追記)
本稿にはまさかの続きがあります。終了後に本稿記載内容と一部異なる発表が行われ、それに対しての追加取材を行いました。
詳細は『「達者でなニパ子」のその後 終了後におきたゴタゴタのワケ』に掲載しています。
なお、本稿については記録の意味で初出時のままとさせていただきます。変更内容については、追加記事にてご確認ください。


<記事化協力>
株式会社ゴッドハンド / (C)Project NIPAKO


(宮崎美和子)