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浜崎あゆみの自伝的小説『M 愛すべき人がいて』が描く、身を焦がすような情熱と孤独な人生

2020年08月28日 18:21  リアルサウンド

リアルサウンド

小松成美『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎刊)

 ノンフィクション作家・小松成美が、歌手・浜崎あゆみの半生を描いた小説『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎刊)。


参考:綿矢りさが語る、女性同士の恋愛小説を書いた理由「文章はユニセックスに表現できる」


 博多から上京したごく平凡な少女が、プロデューサーの“M”と出会い、やがて恋に落ち、“浜崎あゆみ”として瞬く間にスターダムへと伸し上がっていく様を描いた本書は、「事実に基づくフィクション」と謳われていることから、発表当初はスキャンダラスな文脈で語られるケースも少なくなかった。しかし、小松成美による率直で瑞々しい心理描写と、90年代後半の音楽業界のダイナミズムを感じさせる波乱曲折なストーリーによって、本書への評価は変わりつつある。音楽業界の光と影の間に紡がれた、儚くも切実な恋愛小説として、とりわけ同時代に青春を過ごした人々の深い共感を呼んでいるのだ。


 本書に登場する“M”ことマサは、エイベックスのCEOを務めるMax Matsuuraこと松浦勝人その人だ。Every Little Thing、Do As Infinity、EXILE、そして浜崎あゆみと、これまで数多くのアーティストを世に送り出してきた音楽プロデューサーであり、多くのアーティストが恩師と仰ぐ存在である。本書では、そんな松浦勝人がどのようにしてアーティストを発掘し、育て、スダーダムへと導いていったのかが、“あゆ”の眼差しからつぶさに語られている。


「お前、こんな感性なんだな」
「え?」
「その歳で、こんなこと考えて生きているんだ」
「自分のことしか書けなくて……」
「その歳で、想いをこの言葉にできるなんて、本当に凄いよ」
(『M 愛すべき人がいて』より)


 “あゆ”が初めて書いた歌詞を、松浦勝人が読んだ時のやりとりだ。「A Song for XX」と題されたその歌は、松浦勝人への想いを綴ったラブレターだった。それまで人前で歌うことなど考えたこともなかった“あゆ”だが、松浦勝人の力の込もった励ましによって、やがて歌手の道を歩むことを決心する。


「私は、自分とその人に嘘をつかない。どんな時にも、その人に恥ずかしくない自分でありたい。ニューヨークへ行って、歌が上手くなって、軽やかに踊れるようになって、その人に喜んで欲しい」(『M 愛すべき人がいて』より)


 松浦勝人の人間性に対する深い信頼と同時に、少女ゆえの危うい純粋さが感じられる一文だ。“あゆ”にとっては、得意なことなど何もなかった自分を見出した松浦勝人の存在が全てであり、その歌詞は一切が彼に向けて捧げられたものだった。時代の寵児だった浜崎あゆみというアーティストが、実はどこまでもパーソナルな心情を歌に託してきたシンガーソングライターだったことに改めて気付かされる。


 そして、決して公にはできない気持ちを綴っていたからこそ、その歌詞には純粋な恋心とともにどこか寂しげな情緒が漂い、90年代末、新しい時代の幕開けに漠とした不安を抱えていた少女たちの心象風景を鮮やかに照射していた。二人の関係性は社会的に承認され得ぬものだったのかもしれないが、浜崎あゆみの歌には、それゆえに人の性に訴えかける説得力があったのだろう。デビュー曲「poker face」ではまっすぐに愛を求めていた“あゆ”だったが、多忙な生活の中で松浦勝人との関係がうまくいかなくなると、その歌詞はいっそう痛切なものとなり、結果として少女たちの代弁者としてのカリスマ性はさらに高まっていくことになる。


〈恋人たちはとても幸せそうに手をつないで歩いているからね/まるで全てがうまくいっているかのように見えるよね/真実はふたりしか知らない〉(浜崎あゆみ「Appears」より)


 社会学者・作家の古市憲寿は、自身のTwitterにて、「あゆの『SEASONS』を聞いている。ずっと、こんなにも時代の空気を表現した曲もないと思っていたけど、小松成美さんの『M』を読んで、とてもプライベートな曲だということを知った。ごく個人的な、切実な物語というのは、時にとんでもない普遍性を持ってしまうんだね。『M』で答え合わせができて嬉しい」とコメント。また、サイバーエージェント社長の藤田晋は、「やりたいことも夢もなかった一人の普通の女の子が、好きな人の期待に応えたい一心で信じられないほどの力を発揮する。恋心というものが生み出す偉大さに気付かされます」と、自らのブログ『渋谷ではたらく社長のアメブロ』に綴っている。


 女性の著名人からも、本書への共感の声が上がっている。作家の唯川恵は、「華やかな脚光を浴びる浜崎あゆみの隣に、膝を抱え途方に暮れる濱崎歩がいる。彼女の得たもの、失ったもの、守りたいもの、全てが詰まった一冊。胸に迫る」と讃え、女優の川栄李奈は、「忙しくて自分の時間もなく、歌手として仕事にささげてきた生き方は本当にカッコいいです」と自身のTwitterでリスペクトを表明している。


 『M 愛すべき人がいて』は、時代を動かすアーティストが生まれる背景には奇跡的な出会いがあり、登場人物それぞれに身を焦がすような情熱と、孤独な人生があることを教えてくれるのだ。


 2020年を間近に控え、東京オリンピックをはじめとした数々のトピックスに時代の移ろいを感じる一方で、言いようのない閉塞感が漂い、明るい未来が描きにくい昨今は、あの頃とどこか似ているようにも思える。濱崎歩と松浦勝人が、ミレニアムの狭間に二人三脚で作り上げたアーティスト“浜崎あゆみ”の物語が、20年余りの時を経たいま、再び注目されるのはきっと偶然ではないのだろう。(松田広宣)