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『逃げ恥』海野つなみ先生が語る、“ざっくり”な愛情論 「もっとゆるい感じで繋がっていていい」

2020年08月28日 17:51  リアルサウンド

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『逃げるは恥だが役に立つ 10巻』

 “雇用主と従業員”の契約結婚という形で、新しい恋愛物語を描いた『逃げるは恥だが役に立つ』。2012年より連載を開始した本作は、2016年には新垣結衣・星野源主演でテレビドラマ化。世代を超えて『逃げ恥』の愛称で支持され、累計380万部を突破する大ヒット作となった。


参考:綿矢りさが語る、女性同士の恋愛小説を書いた理由「文章はユニセックスに表現できる」


 『逃げ恥』がこれほどまでに愛されたのは、みくりと平匡の恋物語を軸に、「こうあるべき」と世間から押し付けられた「呪い」からの“解放”が描かれていたから。登場人物1人ひとりが感じているコンプレックスを丁寧に拾い上げ、「そんな呪いからは逃げてしまえ」と背中を押す。それは、そのまま読み手の心をも解き放った。


 お互いの「呪い」を解放し合うことで愛情が芽生え、“契約結婚”から“本当の夫婦”となった、みくりと平匡。そんな大団円から約2年。続編を望む声は止むことはなく、ついに『Kiss』(講談社)2019年3月号より、再び『逃げ恥』ワールドの時計が動き出す。8月には最新刊となる10巻が、同時に『逃げるは恥だが役に立つ 公式コミックガイド』も発売された。『逃げ恥』で次に描かれるのは、どんな“新しい愛”なのか。作者のマンガ家・海野つなみ先生にじっくりと聞いた。(佐藤結衣)


■「恋愛要素がないまま楽しく生活するっていうのも、ありはあり」


『逃げるは恥だが役に立つ 公式コミックガイド』
――『逃げ恥』を社会派マンガと見る方も少なくありませんがガイドブックによると、もともとの構想は“経験の少ない男性と豊富な女性の話だった”と。恋愛要素がもっと強めになる予定だったんですか?


海野つなみ(以下、海野):うーん、恋愛要素はなければないでいいし、あればあるでいいし、描きながらどうなっていくんだろう……というくらいでしたね。一緒に暮らしているのに、全然恋愛要素がないまま楽しく生活するっていうのも、ありはありじゃないですか。あんまりきっちり決めて描き進めてはいませんでした。


――そうだったんですね。ガイドブックにあったネタ帳を見ると、綿密に書き込まれていて、これは先に結末があって逆算されてストーリーが展開されているのかな、と。


海野:いえ、まったく。結構、色んなところから「この先どうなるの?」みたいなことは聞かれたんですけど。「わかりません。先のことは全くわかりません」って(笑)。実際、終わる1年ぐらい前に、ようやく自分でも見えてきたっていうか。「みくりと平匡がくっついたら絶対許さないから!」みたいに言っている方もいらっしゃって、そういう恋愛要素なしで読みたいというニーズもあるとは思うんですけどね。“すみませーん、そっちの方向になりそうなんですけど~”みたいな(笑)。


――よくマンガ家の先生が「脳内でキャラクターが勝手にセリフを言う」みたいな話をおっしゃっているのを耳にしますが、『逃げ恥』の場合もそういう感じだったんですか?


海野:そうですね。もう平匡さんのキスシーンとかも、描いてて「えー?」みたいな(笑)。「そっちいくの? そういうキャラじゃないでしょー」ってツッコミを入れていました。でも、人間どっちを選ぶかってなったときに、絶対しないようなことをするってこと、自分たちでもあるじゃないですか。「いや、そういう人じゃないでしょ」って断ち切っちゃうんじゃなくて、そういう勢いを大事にしたいなとはいつも思っています。


■「誰か描いてくれないかな」と思っていた男性側の呪い


――続編では、描ききれていなかった“男性の呪い”にフォーカスすると書かれていましたね。近年、女性側の生きづらさは声を上げる機会が増えてきたように感じていますが、一方で男性に生きづらさは、まだまだ光が当たりにくい部分があったなと気づかされました。


海野:例えば、ネットで妊娠中の相手への不満について調べてみると、奥さんから旦那さんへの不満は山のように出てくるんですけど、その逆ってすごく少なくて。奥さんと同じように、旦那さんのほうも不安だろうし、どうしていいかわからないのだろうけど、それを受け止めてくれる場がなかったり、口にできないような空気があったり……そういうのって意外と気づけないけど、たくさんあるのかと思ったんですよね。


――ましてやマンガというエンタメに昇華しているものってなかなかありませんよね。本当に新しい時代の作品になりそうだなと思いました。


海野:ただ私自身が結婚していないし、子どもを産んでいないから、実際に経験された読者のみなさんに「これおかしい」と言われないかなとか、どこまでわかるかなっていう不安ではありましたね。


――「誰か描いてくれないかなと思っていた」ともありましたが、続編を描く覚悟を決められたのは、ドラマ『逃げ恥』の脚本家・野木亜紀子先生とのランチだったと?


海野:はい。このテーマは、もう大変なのが目に見えていたし、なるべく踏み込みたくはないなとか思ったんですけど……。


――担当編集の方いわく、最初はマンガではなく小説で書かれようかと思っていたとか?


海野:そうなんです。マンガとドラマで微妙に設定が違うので、そのまま続きとして描いちゃうとどうなんだろうって感じになって。でも、野木さんが「いやいや、誰も海野先生に小説とか求めてないから」って(笑)。


「男性の生きづらさのほうが、よっぽど底が深いのかも」
――前提として、男性の方が力が強くて、社会的にも女性より優遇されてきたっていう歴史があるので、“強い立場”であるはずの男性が辛さを吐き出しにくい、ということなんでしょうか。


海野:それはあると思いますね。「お前が言うなよ」って言われちゃうというか。でも、本当に得をしているのは、ごく一部分の強い男性たちなんですよ。でも、そうではない弱い立場の男性たちは、“男なんだから得してるでしょ”という見られ方をしているのに、そんな恩恵は受けていない。女性の場合は、ある意味“みんな同じ立場から頑張ろう”というところがありますが、そういう意味では男性の生きづらさのほうがよっぽど底が深いのかもしれません。


――「男性なのに」みたいな刷り込みも社会の「呪い」かもしれませんね。


海野:そうですね。例えば、女性が派遣やパートで働くのと、男性が非正規社員として働くのでは、やっぱり社会的な印象は違ってきますもんね。仕事だけじゃなく、結婚だってそうじゃないですか? お見合いが主流の時代は、年頃になったら結婚するシステムがあったけれど、恋愛の自由化になったらやっぱりポジションが回ってこない。強い男性は何度も離婚して、若い女性と結婚を繰り返して、そうではない男性が一生相手がいないまま年齢を重ねていく……という構図にもなりますよね。


――『逃げ恥』の続編では、男性の育休取得についても描かれていますよね。「男が育休なんて」とまだ理解されていない意見があったり、理解はあっても現場の人手が不足していたり……。


海野:私もアシスタントさんを雇っていますけど、やっぱりギリギリで回すのはよくないなって思います。仕事って必ず何かあるものなので。誰かが怪我をしたり、急にパソコンが壊れたり……だから、”遊び”というか、余裕がないと、えらいことになる。それは、従業員の妊娠や子育てについても同じだと思うんです。どこも同じ人間が働いているんだから、1人2人休んで回るぐらいを常にキープしていく、くらいが一般的になればいいんですけど。


■「嫌な人は嫌な人として、その場にいるのが当たり前」


――改めて、最新刊の10巻を読んでいて思ったんですが、『逃げ恥』では誰かが強烈に指摘するのではなく、それぞれが自発的に気づいて反省したり、変化していくのが特徴的だなって。


海野:誰かがいいセリフを言って物事が好転するのは確かにグッとくるけど、それって人によっては説教キャラみたいに感じられることもありますし。実際、私たちも自分自身が納得というか、ハッとしたり、ズガーンって雷に打たれたみたいなのがないと、やっぱり人ってなかなか変わらないですからね。


――そこが『逃げ恥』のリアルというか。大人が読めるマンガになっているんだろうなと思ったんですよね。


海野:あと、昔の作品を見ていて気づいたことがあるんですけど。自分の作品の中にいる嫌われてる人って、嫌われてる本人は全然気にしてなくて、最後まで良い人間になろう的なことが一切ないんですよね。みくりのお兄ちゃんとかもそうなんですけど。結構、自分の身の回りに嫌な人って1人はいるじゃないですか。でも、その人を別に糾弾してどうしようということもなく、嫌な人は嫌な人としてその場にいるのが当たり前というか。それもリアルなのかも。


――確かに身近にもいますね(笑)。海野先生にも、自分に合わないなとか、この人いつもカチンとくるな、っていう人はいるんですか? 


海野:いますよー(笑)。友だちと話をしていても、よく愚痴を聞きますしね。それを「悪口なんてよくないよ!」みたいな、真っ当で正しい世界なわけじゃないですから、現実は。マンガもちょっと清濁併せ呑むくらいのほうが、いいのかなとも思います。そうじゃないと「はいはい、理想郷ね。実際こんな世界ないけどね」ってなっちゃうと思うので。


――自分と違う価値観を持つ人を、どうにかしようと思うとストレスを感じますよね。


海野:そうそう。適当に流してやっていくことができればいいんです。でも、それができないほどのストレスを感じているなら、何かしらの解決策は練らないと、ですが。


――男の呪いの1つとして、続編で描かれているホモソーシャル(同性間コミュニケーション)のノリもそうですね。


海野:そう。あれも、マンガ的には誰もが見て「これはアウト!」みたいなことガンガンやるような、“THE悪者”みたいな感じにしたら、わかりやすくはあるけれど、実際にモヤモヤするのって、そんなにストレートじゃない。“THE悪者”というほど悪くはないけれど、でも「どうなの?」みたいな。そのモヤッぐらいが、一番みんな持ってるんじゃないかなって。微妙な感じを描くことで「あれ? 自分ももしかして似たようなことしてるかも?」ってドキッとさせたいなというところはありますね。


――相手が善意のつもりで言ったセリフに「ん?」ってなることとか、現実に“あるある”と読んでいて思いました。


海野:ありますよね。言ってる方は「いや褒めてるから! 別にけなしてないから!」って思ってるけど、言われてる方は「その上げ方は嫌だなー」みたいな居心地の悪さ。私自身、よくそういうのを体験したんですよ、学生時代に。全体的な印象としては上げられていても、そういう上げ方は嫌だなーっていう。一方を上げてるつもりで、誰かを下げてることとかって日常でもよくあるなって。私も笑いを取るために、やっちゃったーってときもありますしね。その手のコミュニケーションって、難しいですね。上げても下げても角が立つ。かといって、まったく触らないっていうのも会話が生まれないじゃないですか。


■「“いいね”が、声で言える社会がいいなって」


――“ハラスメントになるのでは?”とコミュニケーションに慎重になるのは大切ですけど、潔癖になりすぎてしまうのも寂しいですよね。


海野:そうなんですよ。この前、担当編集さんがちょっと変わった柄の洋服を着ていったんですって。その日、上司の方と面談があったり、いろんな人と接したらしいんですけど、誰もそのシャツについてノータッチだったらしくて。そのあと、ある作家さんと打ち合わせで会った瞬間「すごいの着てますね!」ってツッコまれて、ようやく着てきた甲斐があったみたいに話していたんですよ(笑)。たぶん、女性の服をイジったらセクハラになるかも、みたいなのを気にしたのかなって。


――「そこはツッコんで~!」みたいなときもありますよね(笑)。


海野:難しいですよね。だからと言って誰ともコミュニケーション取らないで自衛するのがいいのかってなると、またそれも……うーん、難しい。佐藤さん、街で人に声ってかけられます? 例えば、“すごい、わ! 私好み!”っていう服を着てる人がいて、“すごい気になる、あれ欲しい”とかなったときに、「すみませんそれどちらの?」とか言えます?


――アハハ。そうですね。相手が忙しくなさそうなときだったら(笑)。


海野:フフフ。そういうのって言われたほうも、うれしかったりするじゃないですか。「それ、いいね」が声を出して言える社会だったらいいなって、最近思っているんですよ。旅先で旅行者同士だったら妙に仲良くなったりとかありますよね。「ここ空いてますよ」とか「ここから撮った写真がすごいいいからここおすすめ!」とか。そういうのが日常では、なかなか……。だから声の大きい人だけがやけに響いちゃって。みんなが口をつぐんじゃう。もっと何も言えなくなっちゃうみたいなのがありますよね。


――言って自分も傷つきたくないし、誰かを傷つけたくないから何もしない、みたいな。


海野:そう。声を発しないから、“こう思われてるんじゃないか”って、どんどん想像だけがふくらんで、すごくネガティブになって、もっと閉じこもっていっちゃうんじゃないかと思っていて。理想は、自分から同じ「好き」を持っていそうな人にどんどん話しかけて、いろんなコミュニティを作っていくことなんですよね。


――人間関係を分散させていく?


海野:そうそう。日頃から小さくジャブを打つみたいなコミュニケーションを繰り返していれば、「それモヤッてするのでやめて~」みたいな軽いノリで、自分の嫌なラインも相手に伝えられそうじゃないですか。そういう点で、男性はコミュニケーションがとりづらいかもしれません。最近は、声をかけたら不審者扱いされてしまったり、実の子どもと連れ立っていただけで誘拐犯扱いされてしまったという話も聞きますからね。


――それもハラスメント同様、警戒してしまう人も増えたかもしれませんね。


海野:やっぱり、これも会話のジャブがないとそうなんでしょうね。会話の前に、いきなり通報になっちゃう。そうならないためにも、男性がもっと気軽にコミュニティを作れる空気が必要かもしれませんね。仕事場以外のコミュニティを。


――たしかに。女性は、学生時代の友人やママ友たちと女子会と称して集まっていますが、男性の場合は年齢を重ねるほど職場の飲み会や接待などが多くなるイメージです。


海野:ホモソーシャルも、同じ感覚の仲間内なら全然いいんですよ。「どーぞ、好きなだけ盛り上がってください」って(笑)。それをいろんな価値観を持った人が集まるパブリックな職場に権力込みで持ち込んじゃうから、「ん~……」ってなるんじゃないかなって。


――仕事人間として生きた結果、退職したあとに何をしたらいいかわからない、という話にもよく耳にしますしね。


海野:この前、公園に行ったら、青空将棋みたいな感じでおっちゃんたちが集まってワイワイやってたんですよ。行っても行かなくてもよくて、知り合いがいてもいなくてもよくて。それでも、行くところがある、っていうのがすごくいいなって。


――そういうコミュニティがあれば、「うちの娘夫婦は婿が育休とり始めたよ」とか、新しい時代の動きも遠くない話として聞けますもんね。やっぱりコミュニケーションがないとそのきっかけがないので価値観がアップデートされないですよね。


海野:そう。やっぱり「呪い」の先にある「孤独」が1番辛いんですよね。何かしらにつながっている関係っていうのを、なるべくたくさん持っていると、それだけで生きていけるんじゃないかなって。今は小さな親切も拒否するから、許容もできなくなってるのかなというのは思いますね。


■「“恋愛”に限らずもっとざっくりとした“愛情”でいい」


――許容されにくくなったのは、「自己責任」が叫ばれるようになってからでしょうか?


海野:その感覚はありますね。責任感が強すぎると他人を責めやすくなりますから。「自分がこんなにすごい気をつけてるのに、あいつは全然責任感がない! なんたることだ」みたいに。でもコミュニケーションだって失敗しないと、学べないこともあると思うので。


――失敗を許容できる体制じゃないと、余計にギスギスしやすくなしますしね。


海野:そうそう。そこにも“遊び”が必要ですよね。「失敗してもなんとかなる」じゃないと。今はどこもギリギリの体制なのか、失敗しないことを前提にし過ぎじゃないかなって思うんです。余計に怖がりになってるかもしれません。平匡さんのように。


――平匡さんも、ちゃんと失敗してますからね。マンガの中で。


海野:実は、平匡さんに関しては前半の方で、結構男の人の方が「平匡はダメだ」みたいなことを言う人がいたんですよ。「ダメなところがいいんですよ~」とか言っても、いや「ダメダメ」みたいな。男は男に厳しいな、とも思いました。


――確かに、同性は同性に厳しくなりがちですよね。


海野:そして自分にも他人にも厳しい人たちが上に行ったりして、根深いんですよ。その厳しい眼差しが権力と結びつき……というのがというのが、男性の呪いの底が深い理由かもしれませんね。


――高齢童貞・処女だったり、バツイチだったり、セクシャルマイノリティだったり……。『逃げ恥』では、いろんな事情を抱えたキャラクターが“傷つきたくない”、“失敗したくない”って閉じこもっていた心を、少しずつ開いていきますよね。私たちも自衛するばかりではなくて、少し遊びや余裕を持っていいんじゃないかという気分にさせてくれるところが好きです。


海野:ありがとうございます。傷つきたくなくても、傷つきますからね。「なんでこんなことで?」っていう些細なことで、「うぅー」みたいなこともありますから。あとは、いかにそこから浮上する方法を、自分でストックしておくか。


――自分で自分の機嫌をとる方法がすごく大事ですよね。それがないと……。


海野:なんでわかってくれないの? って。


――それ、ありますね(笑)。海野先生もありましたか?


海野:多かったですね~。同時期で投稿してる人とかと比べて“あの人もうデビューなのに、なんで私まだなの”とか、いろいろありましたよ。もちろん今もあるけど。


――何かありますか? 自分を元気にする方法は。


海野:料理はいいですよね。お菓子とか作ると、すごく落ち込んでても何かしら美味しいものが出来上がって、ちょっと気持ちが晴れますし。ちょっといいお肉とか、なかなか売ってない調味料とか、特別感も演出できるからオススメです。佐藤さんは、ありますか?


――私は、お風呂ですかね(笑)。マンガとか動画を見ながら、いつまでも入ったり。


海野:体にいいことしてる感もあり! みたいな。いいもの食べて、ちゃんとお風呂に入って、健康的な生活してるっていうのは、心に栄養がいきますよね。たまに、もう何も作りたくなくて、“わー、ポップコーンは食物繊維ー!”とか言いながら食事を済ませた日なんて、“あーダメ人間”みたいな気分になるし(笑)。逆に、甘やかしデーって割り切っちゃう日もありですけどね。


――そのパターンのうちの1つとして、別のコミュニティがあるというのも大きいかもしれませんね。同じところにとどまっていては煮詰まってしまう。


海野:人と人って、もっとゆるい感じで繋がっていていいと思うんですよ。結婚も、横にいるのも嫌とかでないぐらいの関係でもできるんじゃないかと。


――なるほど。いつからか恋愛や結婚に、共同幻想みたいなものを抱きすぎていたかもしれません。


海野:私の周りにも、恋愛を全然しない人や、全く人を好きになったことがないっていう人もいるし、そういう人は「日本って本当に何を見ても恋愛恋愛って。みんな、なんでそんなに恋愛が好きなの?」みたいなことも言ってて。実際そうだよなって。“恋愛”じゃなくて、“愛情”って言ってしまえば、すごくいろんな形がまわりにたくさんあふれているのに。恋愛に限っちゃうから、「自分は恋愛ができない」「自分はパートナーがいない」とかなっちゃうけど、もっとざっくりとした“愛情”でいいんじゃないかなっていう気がします。


――ちょっと見方を変えると、その時々のパートナーと呼べる存在はいそうですよね。


海野:それこそ人間じゃなくてもいいと思うんです。動物でもいいし、なんだったらぬいぐるみとか、異次元とかでもいいんですよね。例えば「自分はあの本のこの一節に支えられて生きてきた」って思いながら死ぬのは、すごい素敵なことだと思うんですよ。そういう心のパートナーを持って、楽しく生きているのであれば、周りから「お前は寂しいはずだ」なんて糾弾される筋合いないですからね。


――それこそ“普通の幸せ”そのものが、大きな呪いなのかもしれません。


海野:「普通でいいんだよ」って、その普通の理想が高いんですよね。「いや今は、その普通がなかなか……」ってところで。“普通の人”ってそんなにたくさんいないですからね、実際は。


――今後、『逃げ恥』でも、そうした呪いを解いていく展開になるのでしょうか?


海野:いやいや。そういうのを背負っちゃうと、説教臭くなっちゃう気がするし、価値観って“今はこれが正しい”とか自分で思ってても、10年後に「あれ、違いましたー」とか言えなくなっちゃいそうで(笑)。


――それこそ、遊びがなくなっちゃう?


海野:そうそう。失敗できないってなっちゃうと大変なので、とりあえず自分が「こうやって考えてみると意外とよかったよ」くらいの、ライフハック的な感じで頑張ろうと思います(笑)。(佐藤結衣)