その年のインディ500チャンピオンは、勝利の日からしばらくは暇になることを許されない……。
今年2度目のインディ500優勝を果たしたレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングの佐藤琢磨はそれを身をもって証明しているようなものだ。勝利を挙げた日曜日から3日も経ったのに、琢磨の取材対応は今も続いている。
世界三大レース、モナコGPやル・マン24時間で勝ったウイナーでも、ここまで自分の時間を奪われることはないだろう。このプロモーションにエネルギーを注ぐ姿勢は、スポーツ大国アメリカならではなのかも知れない。インディ500の勝利はそれだけ大きな意味を持ち、大衆の注目の的でもあるのだ。
そして日本のメディアにもようやく琢磨の声が生で聞けるチャンスがやってきた。活字やTVの国際放送では琢磨の喜びは伝わってきたが、やはり琢磨本人の口から直接胸の内を聞いてみたいもの。
8月25日夜、ホンダ広報部主催で日本のメディアに対する佐藤琢磨リモート会見が行われた。
まずは琢磨本人から挨拶となると、開口一番に喜びと感謝の声が聞かれた。
「今回は2度目のインディ500の優勝、とってもうれしいですし、これまでサポートしていただいた皆様の応援に本当に感謝しています。そして今回は何よりチームの頑張りが際立っていたと思います」
また今年のコロナ禍に置ける状況にも触れる。
「このコロナのパンディミックの中で多くのイベント、アスリートが活躍できる舞台がない中で、僕たちはこのようにレースができたことを感謝しなければならないと思っています」
「インディアナポリス・モータースピードウエイの新しいオーナーであるロジャー・ペンスキーさんの力の入れ具合に本当に感銘を受けました。今年は無観客レースということになりましたけど、5月から8月にずれ込んでもこうやって成功したのは、彼らの大きな努力の成果だと思っています」
そして琢磨はレースの詳細について話していく。
最終スティントのチップ・ガナッシ・レーシングのスコット・ディクソンとの勝負は最終的にイエローコーションで終わってしまったものの、残りの周回数から燃費やタイヤの磨耗まですべて計算し尽くし、勝てる自信はあったと言う。
「最後の2スティントはマシンを調整しない状態まで持っていけたし、ライバルに対して鷹の爪を隠した状態で戦うことができていました」
語彙の豊富な琢磨らしい表現で記者に返答し、最後の勝負への自信はいささかも揺らいでいなかったことを語った。
またアメリカの記者からは聞かれなかったグリコのポーズや、鈴鹿レーシングスクールの校長としての後進への助言もたずねられた。
「グリコのポーズはSNSで返答もしてましたし、優勝した年のファンクラブミーティングでも話していたんです。今年のクルマはエアロスクリーンが着いたので、まず両足で立ってみたら立てたんで、やっちゃおうかなと思って、片足を上げてみました(笑)」
「若いドライバーたちには、挑戦することの大切さを見てもらいたかった、感じてもらいたかった。みんなそれもわかっているからやっているけど、競技の世界では一つ飛び抜けないと勝てない」
「僕は現役なので、スクールの現場のことはコーチたちを信頼して任せています。では僕に何ができるかというとレースを見せることしかなくて、苦しいレースもたくさんある。だけれども挑戦し続ける、その姿を見て感じて欲しかった」
「チームと一緒にやって動かしていくと、できるんだと。僕は現役の中では最年長ですけど、それでもなお勝てるんだというのを感じて欲しかった」と熱く語った。
そして琢磨が最も大事にしている今のチームのことについても触れた。
「皆さんも知っていると思いますけど、2012年にレイホール・レターマン・ラニガンのチームが再結成してインディカーの活動を始めた時に、僕を起用してもらいました。そしてその年のインディ500で最終ラップでスピンをしてしまった」
「そして8年かかってしまいましたけど、このチームでインディ500を勝てたということ。これがすごく大きな意味を持っていました。2017年のアンドレッティ・オートスポートでの優勝は自分の夢が叶いました」
「けれど、その後もオーナーのひとり、マイク・ラニガンさんは“いつ戻ってくるんだ?”とずっと僕を待っていてくれて、チームにとってはインディ500の勝利はチームの悲願でした」
「2012年当時のメカニックも僕のクルマで働いてくれているし、エディ・ジョーンズという素晴らしいエンジニアと、そういう仲間と一緒にインディ500に勝てたことが、僕の中ではすごく大きかった」
インタビューではいつも饒舌で丁寧に話す琢磨に聞き入ったリモート会見だったが、こぼれ出る言葉の端々に、感謝と喜びとが伝わり、これが彼の人の心を動かす根源なのだと思う貴重な時間だった。