2020年08月19日 10:11 弁護士ドットコム
暗闇に光る2つの瞳ーー。今年7月、北海道中部の養鶏場にある監視カメラが大きなヒグマの姿を捉えた。夜な夜な倉庫を訪れては、鶏の飼料を食い荒らしていたようだ。
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同エリアでは今年、ヒグマの出没があいついでいる。地元には「相当ヤバい」との危機感があるが、打つ手が限られており、頭を抱えている。
というのも、駆除にあたっていたハンターが公安委員会に不可解な形で銃を取り上げられ、だれも撃てなくなっているからだ。
ハンターは現在、銃を取り戻すべく、裁判で争っている。地元雑誌『北方ジャーナル』などで活躍するジャーナリスト小笠原淳さんにレポートしてもらった。
騒動が治まった時、その男性(62)はホッとすると同時に「腹が立った」という。
「今回、たまたま人に被害がなかったらよかったものの、銃で撃てないと言われた時は『行政はおれたちを見捨てるのか』と思いました。歯痒いというより、腹が立ちましたよ」
自身の経営する養鶏場をたびたび訪れた“招かれざる客”は、およそ1カ月間にわたって地域を騒がせ続けた。食欲旺盛な訪問者の目当ては、倉庫に保管されていた鶏の飼料。最終的に、30キロ入りの魚粕7袋と約1トンの麦がその胃袋に収まった。
北海道・砂川市。札幌と旭川を結ぶ国道のほぼ中間に位置する、旧産炭地の町だ。市街地には1万7000人ほどの市民が暮らすが、市域の東側には緑深い山が拡がり、ヒグマやキタキツネなどの野生動物が人里に迷い込んでくることも稀ではない。
餌不足の夏場はとくに目撃情報が増え、場合によってはそうした動物が「有害獣」として駆除の対象となることがある。
7月3日から同市一の沢地区の養鶏場に現われ始めたヒグマは、独り立ちまもないオスと思われた。被害に遭った鶏小屋の至近には経営者家族の自宅があり、通報を受けた砂川市農政課は最悪の事態を危ぶんで「箱罠」を設置、地元猟友会にも協力を仰いで足しげく現場に通い続けた。
同市の所有する罠の中で最大級という出入口1.5メートル四方、奥行き3メートルの罠にクマが捕えられたのは、約1カ月が過ぎた7月30日の夜。体長2メートル、体重270キロのオスは、それから丸2日間を鉄檻の中で過ごすことになった。
その間、動物園などの施設にクマの保護を打診し続けた市は、結果的に受け入れ先探しを断念、8月2日の午後に麻酔で眠らせて山中に移動し、関係者の手で駆除するに到っている。
市が、より確実な猟銃ではなく「罠」で捕獲したのはなぜなのか。そもそも、捕まえた時点でただちに射殺しなかったのはなぜか。撃てる人がいなかったためだ。
初めて養鶏場にヒグマが出た日、地元猟友会の役員は札幌地方裁判所の法廷(廣瀬孝裁判長)で意見陳述に立っていた。
「国民の生命と財産を守るべき警察が、緊急時のヒグマ対策をわれわれ猟友会に丸投げした挙げ句、協力者を犯罪者に仕立て上げ、行政処分を課してくるとは言語道断。決して許されることではありません」
証言台で憤りの声を上げたのは、道猟友会砂川支部長の池上治男さん(71)。砂川市の「鳥獣被害対策実施隊員」を務める現役のハンターだ。経験30年超のベテランはしかし、2年ほど前から引き金を引くことができていない。理由は、池上さん自身が法廷で語っている。
「正当な緊急有害駆除が突然、鳥獣保護法・銃刀法・火薬取締法違反と言われ、まことに心外です」
銃所持許可の所管庁である北海道公安委員会は、猟友会きっての練者が所有するライフルなどの銃4挺をすべて取り上げた。
裁判は、これを不服とした池上さんが所持許可取り消し処分の撤回を求めて公安委を訴えたもの。当初申し立てていた不服申立(行政不服審査)が棄却されたため、本年5月の提訴に踏み切った。
処分のきっかけとなったのは、一昨年8月に起きた出来事。砂川市内の住宅近くにヒグマが出たとの通報を受け、市担当課の職員と道警砂川警察署(のち滝川署に統合)の警察官立ち会いのもとでクマを射殺した結果、鳥獣法違反などに問われることになったという。
行政・警察に協力して地域の安全を守ったハンターが犯罪の容疑者となったことで、猟友会砂川支部の主要メンバーからは疑問の声が噴出した。これを機に同支部管内(砂川など2市2町)では銃の使用が控えられ、冒頭に記した「撃てる人がいない」状態が続いているわけだ。
もとより猟友会は、クマを撃つための集まりではない。メンバーの1人(69)は「駆除はボランティア」と説明する。
「基本的にみんなクマは嫌いじゃないんで、撃たないで済むなら撃ちたくない。人間に危害が及びそうになって初めて、役所の要請で引き金を引くんです。
警察や市職員には有害獣駆除の資格がないから、うちらがやるしかないわけ。それで協力し続けてきたハンターが犯罪者にされるんだったら、そりゃあ誰も撃たなくなりますよ」
まさに所持許可取り消しのきっかけとなった現場でも、老練のハンターは撃たずに済ませるつもりだったという。
2018年8月21日早朝、砂川市郊外・宮城の沢地区にヒグマが出た。現場近くには民家が建つが、建物が密集する地域ではないため、猟銃は撃てる。通報を受けた市農政課と砂川署は猟友会に臨場を依頼、支部長の池上さんともう1人、計2人のハンターが現場に駆けつけ、合流した。
この時に提案した「撃つ必要はない」との一言を、池上さんは忘れていない。
「見たら、80センチぐらいの子グマなの。これは近くに母グマがいるはずだから、すぐに立ち去るだろうと。それで『撃たないほうがいい』って提案したんですよ。ところが役所は『撃ってください』と言う」
市農政課も当時のやり取りをよく記憶しており、担当者は次のように明言する。
「こちらから『撃ってください』とお願いしたのは間違いありません。現場近くでは連日のように目撃情報があったので、地域の皆さんの安全を守る必要がありました。池上さんにはいつもご協力いただいており、適切に判断してくださるだろうという信頼がありました」
市職員と警察官は付近住民に自宅待機を指示、池上さんらに対応を一任してその時を待った。
住宅が面した道の下には、高さ8メートルほどの土手。そこにいた池上さんがクマの姿を捉えた時、動揺した相手が立ち上がって向かってきた。背後の土手はちょうど、狩猟の世界でいう「バックストップ」の役目を果たす。弾丸がクマの体を貫通しても、人や建物に当たる心配はない。
ライフル銃を構えた池上さんが引き金を引くと、約16メートルの距離から放たれた銃弾は1発でクマを倒した。同行したもう1人が、至近から止めの1発。立ち会った警察官が一連の発砲行為を問題とすることもなく、駆除は無事に終わった。
警察が突然これを事件化したのは、この2カ月後のことだ。同じ年の10月初旬に任意で砂川署生活安全課の取り調べを受けた池上さんは、自身が鳥獣法違反や銃刀法違反の容疑者となっていたことを知る。
自宅を捜索した同署は、所持するすべての銃を押収し、携帯電話の通信記録なども調べた。池上さんは当初から否認を貫いたが、在宅捜査を続けた警察は翌2019年2月になって事件を書類送検。同年4月に道公安委が銃所持許可の取り消し処分を決め、銃は引き続き差し押さえられることになる。
一方で、事件そのものは不問となっていた。送致を受けた検察が不起訴処分を決定したことで、池上さんは刑事罰を受けずに済んでいる。
狩猟免許を扱う北海道の環境生活部も、駆除行為に違法性が認められなかったとして免許を取り消さないことを決めた。地元の砂川市が今も池上さんを鳥獣対策隊員に任じていることは、先に述べた通り。
それでも銃は戻ってこない。警察が、あくまで違反行為があったという認識を変えようとしないのだ。
所管庁によって真っ二つに分かれた判断。その理由を「狩猟免許と所持許可では欠格事由がまったく違う」と述べるのは、池上さんを調べた警察官。筆者の取材に「もう担当から外れたので何も言う立場にない」としつつ、「あくまで一般論」と前置きして次のように語った。
「狩猟免許を認められた人に対して警察が銃所持を禁じるのは、とくにおかしいことではありません。所持にかかる銃刀法が違反行為を問題としているのに対し、鳥獣法に基づく狩猟免許のほうは、それよりもハードルが低いですから」
当時の判断は、誤っていなかったということか。文字通りに問うと、遠回しに肯定の回答が返ってきた。
「判断が間違ってたとしたら『間違ってた』と言ってるだろうと思います」
砂川署が銃刀法違反を指摘するのは、池上さんが「建物の方向へ撃った」という行為。先述の通り、現場には高さ8メートルの土手があり、銃弾はそこに向けて発射されている。この土手の上に住宅などが建っていたため、発砲は違法だったというのだ。
いかにも無理のある理屈だが、当初の容疑はこれとは違っていた。
警察が捜査を始めたのは、駆除行為から2カ月が過ぎるころ。きっかけは、池上さんとともに現場に赴いたもう1人のハンター(共猟者)の告発だった。先の猟友会メンバーは説明する。
「池上さんの撃った弾丸が跳弾して、彼の銃床に当たったというんです。それで警察が調べたんですが、証拠がどこにもない。銃床を壊したという弾丸はみつからず、その瞬間を目撃した者もいない。それはそうでしょう、弾はクマに当たったわけだから。
そもそも、そんな事故があったのならその場で言うべきなのに、なぜ2カ月後に突然そんなことを…」
筆者は現時点でこの共猟者に接触できておらず、当人の言い分を直接聞くことは叶っていない。
だが、のちに入手した資料などにより、砂川署が事故の疑いを裏づけられなかった事実は確認できている。その砂川署は、年を跨いで事件を検察に送致する時点で「建物に向かって撃った」と容疑を変え、併せて公安委に所持許可の取り消しを上申したというわけだ。
容疑事実が突然変わっただけではない。警察は、充分な捜査をしていなかった疑いを指摘されている。砂川市職員の証言を、もう1つ。
「警察署に呼ばれて調書をとられた職員は1人もおりません」
砂川署は、現場に立ち会った市職員から事実関係を聴取していなかった。さらには――、
「行政不服審査の際、警察官の供述録取書の開示を求めましたが、『存在しない』という回答でした」
そう明かすのは、池上さんの裁判で訴訟代理人を務める中村憲昭弁護士(札幌弁護士会)。市職員とともに現場にいたはずの警察官もまた、聴取を受けていなかったというのだ。
駆除に立ち会った2人の重要な証人は、2人とも黙殺されてしまった。現場に足を運びさえすればすぐにわかる土手の存在も、捜査書類では顧みられなかった。捜査のきっかけとなった共猟者の告発に至っては、公安委によってはっきり「無関係」とされていた(不服申立時)。
いかにも不可解な対応に、中村弁護士は担当警察官の「異常な処罰感情」をみる。
「検察に事件送致した際の『処分意見』で、砂川署は池上さんについて『短気で傲慢』『再犯のおそれがあり、改悛の情もない』『自己中心的』などと述べているんです」
初弁論の法廷で原告の池上さんと代理人の中村弁護士は、廣瀬孝裁判長を見据えて異口同音に訴えた。
「ぜひ、現場を見てください」
「自分だけの問題じゃない」と池上さんは言う。猟友会砂川支部によれば、全国各地で駆除の資格を持つハンターは20万人以上いるものの、高齢化が進んで現在の平均年齢は60歳半ばほどという。
ただでさえ担い手が限られる中、警察の裁量次第で「撃ったら処罰される」ようなことになれば、誰も有害獣の駆除を引き受けなくなってしまうのではないか。まさに今の砂川支部が、そういう状況にある。
同市農政課によれば、本年度の市内のヒグマ目撃情報は4月から7月までの4カ月間で38件。前年度12カ月間では40件だったことから、ざっと3倍のペースで出没が増えた計算になる。ここで再び養鶏場のような被害が発生したとしても、銃による駆除ができない以上は「ケースごとに対応していくしかない」(同市農政課)。
銃所持許可をめぐる一連の問題について、道警本部は筆者の取材に「個別具体的なことはお答えを差し控える」と回答、当時の対応の適正性についての認識は明かされなかった。
蛇足ながら、道警の警察官が拳銃を不適切に扱った不祥事は昨年だけで5件あり、本年上半期にも3件あったことが確認できているが、いずれも事件捜査の対象にならず、当事者への制裁も懲戒処分に到らない「監督上の措置」に留まった。また8件すべてが報道発表されなかったため、詳細はわかっていない。