isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
エロス的自由
今週のおひつじ座は、矮小化されたエロスが本来の姿を取り戻しては、胸底からせりあがってくるような星回り。
英語のキューピッドと言えば、背中に翼をつけて恋の矢を放つ気紛れな幼児の姿を連想しますが、もともとはギリシャ神話のエロスであり、その最古の相においては人間的な愛というよりは、生きとし生けるものに宿命的な生の衝動を表していました。
合理的な理性や清らかな信仰だけでなく、名前のついていない感情や原始的で抑制のきかない本能を自己のうちに有する複雑な生きものである人間にとって、愛は時に危険なダイモン(神霊)であり、幸ある運命を与える一方で、波瀾の生をももたらしたのです。
今週のあなたもまた、まるで止まっていた時間が流れ出すかのように、自分の魂が再び力強く勢いづいていくのを感じていくことでしょう。
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断つべきものを絶つ
今週のおうし座は、「あっ」と思うような仕方でなにかを了解していくような星回り。
「泉の底に一本の匙夏了る」(飯島晴子)という句で使われている「了る(おわる)」という言葉は、単に物事が終わるだけでなく、よく分かる、悟るの意も含んでおり、厳かではあるものの、どこか力強い印象を与えます。
「泉の底」に沈んだ「一本の匙」の金属性が、張りつめた静謐(せいひつ)のなかで見出され、その響きがありありと感じられるほどに質感があらわになったところで、作者のなかで夏といういのち輝く季節との決別が浮かび上がってきたのでしょう。
作者はただ過去への強い決別によって支えられてのみ、そこにただ「在る」のであって、ありもしない亡霊のような未来を追う必要を感じていないのかもしれません。あなたもまた、ひんやりとした冷たい決意を胸の底に沈めていくことになりそうです。
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空っぽな器としてあること
今週のふたご座は、自分の中に心情で受け入れたものと運命的に関わろうとしていくこと。
リーアン・アイスラーという社会学者は『聖杯と剣』において、貨幣経済が生活の隅々まで浸透している現代社会の現状を「剣」だけが肥大して「聖杯」が抑えられてしまっていると表現しました。自分の人生が破綻することは剣の原理においては多大なる不幸に他なりませんが、聖杯的観点からすればやっと訪れてくれた僥倖(ぎょうこう)であり、ラクに生きていくための最大のチャンスなのだと言えます。
想定内の生が破れ、職業や名誉や家庭や財産など、何かしら喪失していった時にはじめて、この世のほんとうの姿を垣間見、そこで私たちは「人間とは何か」ということを少しだけ受け入れられるようになるのです。
小利口な人間をやめるには、空っぽな器になりきってみるのが一番です。そうして、ひとりの人間として喪失を受け入れていくとき、そこから本当の意味で人生は始まっていくのかもしれません。
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特になし
今週のかに座は、茫然とする技術を磨いていくような星回り。
無職は人を茫然とさせる。厳密には、無職になると自分が何者であるかわからなくなる。これはけっこう怖い感覚で、住むところや当面の生活費の確保など現実的な問題よりも、とりあえず行く場所がないとか、なんとなく顔を合わせる相手がいなくなると、自分だけが社会から取り残されたように思えてくるのです。
茫然とするコツとは、特に意味のない行為をゆっくり時間をかけて、できるだけ丁寧に行うこと。室内の暑さに任せて、アイスが溶けるのをただ何もせずに観察する。そういう“間”のなかに、スッと入っていくことが大切で、それが「(ただ)ゐる」という言葉で表現されていることなのではないかと思います。
今週のあなたもまた、あくせくと何かをすることで不安をかき消すのではなく、作者のように「ただゐる」時間を自分に馴染ませていきたいところです。
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説明不可能な持続
今週のしし座は、意志と情熱を急角度で取り戻していくような星回り。
死後になって刊行された『内面の日記』によって、世界的に名を知られるようになったアミエルという人がいました。彼は少年の頃に孤児になり生涯にわたり独身でしたが、ひたすら孤独な自己の慰めに、自身の苦悩、苦しみ、悲しみ、寂しさを、三十数年にわたってノートに書き続けました。
そのノートには「この毎日の独白は、祈りの一形式、精神とその原理の談話、神との対話である」と記されていますが、これは長らく日記を書き続けた末にいたった境地なのでしょう。とはいえ、彼がそれほどまでに日記を続けられた原動力も、ある種の宗教的狂熱と言っていいでしょう。
今週のしし座もまた、アミエルほどではなくても、沈黙とともに自分自身と溶け合っていく、意識的な睡眠のような静かな時間を過ごしていくことを心掛けていくといいでしょう。
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予感と開かれ
今週のおとめ座は、爛々たる無意識のうねりを肌で感じていくような星回り。
「風鈴の空は荒星ばかりかな」(芝不器男)という句では、夏の風物詩である「風鈴」が一斉にかき鳴り、その大音響の向こうには無数の星星がきらめいている情景が詠まれています。
わずか27歳で病没した作者がこの句を作ったのは23歳の頃。既にこの時には自身の残り短い命運をどこかで察知していたのかもしれません。それほどに、普通とは違う光景が作者には見えていたし、それは一見偶然のようであってもただの偶然ではなかったのではないでしょうか。というのも作者はその静謐な作風とは裏腹に、どうやら相当に激しく熱い詩魂の持ち主だったことが伺えるのです。
今週のあなたもまた、ある種の予感めいたビジョンが眼前に開けてくることだってあるはず。そのためにも、心の奥底で密かに願っている願いをどうにか言語化していくことを心がけていきたいところです。
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伝承と復活
今週のてんびん座は、良くも悪くも受け継がれた記憶を、からだの中に持っているということを感じていくような星回り。
現代社会が失ってしまったものの一つに、わらべ唄があります。子どものために歌う、子ども用の唄で、その多くは親から子へ、祖父母から孫へと伝えられてきたものでした。
例えば、子どもたちが学校の遊び時間に「せっせっせ」や「小豆たった、煮たった」をし、下校後には道で「通りゃんせ通りゃんせ」をしたり、「鬼ごっこ」をするのでも、鬼のいぬ間に洗濯じゃぶじゃぶとうたって鬼をからかっては遊ぶ。そんな光景は、もはや日本中どこを歩いても見かけることはほとんどないはずです。
今週のあなたは、そうした大人になった今ではすっかり忘れてしまっていた記憶が、うっすらと甦ってくるような感覚に不意に直面していくことになるかもしれません。
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死ぬまでの道しるべ
今週のさそり座は、後ろ髪を引かれつつも未来に向き直っていくような星回り。
人間はどうしたって過(あやま)つものだし、どうしたって未練を持ってしまう。ただそうした過ちや未練にいつまでも囚われ、自分を嫌い続けることもまた難しいはずです。
どうしたって自分のことを嫌いになれないからこそ、人は自分と仲直りするために生き続け、そうして人生という旅の果てまで行って、やっと自分を受け入れられるようになっていくのかもしれません。そういう旅には必ずしも目的地は必要ありませんが、逆に道しるべとなるものはその都度必要になってくるでしょう。
例えば「死ぬまでにやりたいことのリスト」もその内容より、中継地点を結んでいくうちに自分自身との仲直りのイメージが浮かんでくることが大切なのではないでしょうか。今週はそうしたイメージととともに、改めて死ぬまでにやりたいことのリストのアップデートを試みてみていきたいところです。
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もっと輝いていくために
今週のいて座は、これまでとは異質な考えが噴出してくるような星回り。
遅れてきた古代人・折口信夫は「神」の祖型としての「マレビト」の思想について、「光充つ真昼の海に突き出た大王崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。」(「妣が国へ・常世へ 異郷意識の起伏」『古代研究』)と着想しています。
彼の学問の根底には、そうした本で読んだだけの机上の空論では終わらない、自分なりの仕方でつかみとった実感というものが息づいていました。彼は実際に海の彼方を見つめながら、そこに自身の魂の原郷を嗅ぎ取らんとした訳です。
今週のあなたもまた、今こそみずからの足や手や鼻や耳を通して深い実感を手繰り寄せていけるかが問われていくでしょう。
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透明な芽生えとその進展
今週のやぎ座は、不意に新たな生に開かれていくような星回り。
暑さというのは水分だけでなく、人から精緻な感覚さえも奪うものですが、朦朧とする意識において、いかにも日傘の主の存在やゆくえは心もとなく感じられます。「鈴の音のかすかにひびく日傘かな」(飯田蛇笏)という句の作者は、夏の強い日差しが降り注ぐ炎天下のなか、作者にはかすかに響いてきた「鈴の音」だけが救いに感じられたのでしょう。
そして、こうしたことはしばしば人と人との関わりにおいても起きていくはず。特に、弱弱しいことそれ自体の中に、何か特別な、無視しがたい微細さや、透明な芽生えを感じることが。
勝つことや成功すること、正常であり続けることの中では決して経験することのできない、そうした染み入るような有難さや切なさの中で初めて、私たちは絆というものを感じられるのでしょう。あなたもまた、これまでどこか気を張って太く強く引いていた他者との境界線を不意に薄めていくことができるかもしれません。
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淋しさとその耐えがたさと
今週のみずがめ座は、取り返しのつかなさをそっと受け入れていくような星回り。
若気の恋心から親友を裏切って、お嬢さんと結ばれ、結果その親友は自殺してしまった。夏目漱石の『こころ』では、そんな忘れられない過去を持つ「先生」の運命をめぐって展開されます。
でも恋愛のいざこざだって、誰かを裏切ることだって、誰の身においても一度や二度は起きても仕方のないことですし、私たちはいつでも誰より自分が可愛くて、他の人のことなど二の次で、絶対的に正しくなんていられない生き物であるはず。それゆえにこそ、この小説で描かれるような「取り返しのつかなさ」を私たちはそれぞれの孤独のなかで受け入れていくしかないのでしょう。
今週のあなたもまた、結局そうした淋しさを通してしか誰かと繋がっていくことはできないのだと、改めて実感していくことになるかも知れません。
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居住まいをただす時
今週のうお座は、これからもまた未知の暗闇を生き抜いていくのだと、思いを新たにしていくような星回り。
「暗闇の目玉濡さず泳ぐなり」(鈴木六林男)は、作者が戦地で負傷し帰還した際に詠まれた句。この場合、「泳ぐ」というのは、川や海やプールなど具体的な場所を指しているのではなく、もっと抽象的な、しいて言えば、九死に一生を得て、生きざるを得なくなってしまった未知の時空間としての「戦後」という時代のことなのではないかと思います。
つまり、作者にとって戦後とは「暗闇」に他ならなかったのかもしれません。それでも、「目玉濡らさず」にそこを泳ぎ切らんとした。つまり、何が正義で、何が真実なのかを、けっして目を曇らすことなく見極める努力を放棄すまいという決意を、作者はここで表明している訳です。
今週のあなたもまた、なんとなく曖昧にしてきた自身のこれからの方針をいよいよ固めていくタイミングとなっていくでしょう。
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