isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2020年下半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
口をひらき、物を欲する
今週のおひつじ座は、いろいろな思いを超えて、自然な本能的行為に従っていこうとするような星回り。
西東三鬼は、戦後すぐの昭和22年(1947)に作者が広島を訪れた際に、「広島や卵を食ふ時口ひらく」という句を詠みました。
大勢が亡くなった悲惨な街でも、その衝撃や残された者の悲しみとは別に、人間の口は生きようとして、食べ物を求めて開かれる。どんなに生きづらい状況にあっても、生を求めてたくさんの人びとの口が開かれている様を、作者は見て感じ取ったのかもしれません。
つまり、「卵を食ふ」のは作者本人の意図である以上に、それでも息を吹き返そうとあえいでいる広島という街やそこに住む人々、被爆者たちの本能でもあったのです。あなたもまた、虚脱感や虚無感を乗り越え、どれだけ生きようとする本能にコミットしていけるかが問われていくでしょう。
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純粋過去の救い出し
今週のおうし座は、現実の再創造を経験していくような星回り。
プルーストの一大長編小説『失われた時を求めて』は、主人公がかつてそこに生き、暮らしたコンブレの町を舞台に展開されていく物語。ある日、語り手が一片のマドレーヌを口にしたのをきっかけにして記憶が鮮やかに蘇り、その体験を契機に少しずつ少しずつ時間をかけて再創造されていくのです。
つまり、その渦中で現に生きていたはずなのに、あまりの間近さゆえに見失い、経験できていなかった町のリアリティに出会い直し、そこで初めて生を獲得していきます。プルーストにとって小説とは、突然の稲光のように、闇の中から露光してくる魔術的生起によって「過去の印象を取り戻す」ための装置だったのです。
今週のあなたもまた、文芸であれ料理であれ何であれ、単にそれっぽい過去を反復するのではなく、当時でさえ十分に感じとれていなかった感覚や感情を不意に取り戻していくことができるかもしれません。
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レイヤーの切り替え
今週のふたご座は、ゆっくりと現実の重みが反転していくような星回り。
「向日葵の蕊(しべ)を見るとき海消えし」(芝不器男)という句では、さっきまで久しぶりに見た海に胸をいっぱいにしていたはずなのに、今はただ目の前の向日葵(ひまわり)に集中して、花の面(おもて)の蕊ひとつひとつまでをじっくりと見ている様子が詠まれています。
作者は心のすべてを大きな一つの花に支配され、その存在の大きさによって、他の現実をすべからく忘れてしまったのです。海全体の体積に比べたら、向日葵一本は大河の一滴にも満たないほどですが、「人生という不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企て」の一つとして、作者はこの句を詠んだのでしょう。
今週のあなたもまた、忘れられるものなら忘れてしまいたい過去や現実をそっと手放していきたいところです。
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不思議に生かされる道を
今週のかに座は、自然に生死の流れへとみずからを開くことで、運命ということを俯瞰していくような星回り。
植物にも動物にも属さない原生生物(ゾウリムシやアメーバ)に分類される粘菌は、生きているのか死んでいるのか分からない生き物です。粘菌が変形体としてある時、人間にはまるで吐き出したガムのようなつまらない半流動体のように見えますが、微生物などを捕食して成長する動物のような状態。
やがて栄養補充が困難になると、今度は全体が湧き上がって胞子状になり「粘菌が生えた」状態になりますが、変形体としてこの時に死んでおり、胞子がはじけて種子のように地上に飛散。それが時を経るとまた変形体となって活動を開始するのです。
つまり、人間の側からは生に見える状態は粘菌にとって死であり、人間の側から見た死が粘菌にとっては生に他ならない。今週のあなたもまた、「食うために働く」といった人間的な理屈を少しでもひっくり返していくことで、運命に翻弄されるのではなく不思議に生かされる道をたどっていくことがテーマとなっていくでしょう。
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糸を編みなおす
今週のしし座は、自分もまた“大衆”の一員であることに改めて気付いていくような星回り。
1960年代後半に俳壇に登場した攝津幸彦は、「南国に死して御恩のみなみかぜ」という句を詠みました。戦後の日本を支え、原動力となってきたのは他でもない大衆であり、それは戦前戦中に遠く南方に散っていった帝国兵士のなれの果てなのだ、と。作者は自分もまたそうした大衆の一部であるという事実に気が付いていたのでしょう。
季語の「みなみかぜ(南風)」に明るく清々しいイメージを抱く人が多いと思いますが、実は「湿気を含んだあたたかい風」を意味します。「強烈に吹く」という本意を踏まえた上で、意図的にひらがなで表記されていることを考えると、そこには複雑なニュアンスが広がるとともに作者の苦く、それでもどこか甘い吐息の痕跡が感じとれるように思うのです。
今週のあなたもまた、知らず知らずのうちに渦中に巻き込まれている世の流れを、突き放すだけの冷静さを持っていきたいところです。
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無音の歌
今週のおとめ座は、精神の火花をほとばしらせていくような星回り。
社会主義的なリアリズムを基調とした、力強いイデオロギーを言葉に紡いでいった詩人・谷川雁。彼は言葉の裏に必ず実際の運動や活動を走らせていた人でしたが、1954年に刊行された彼の第一詩集『大地の商人』の中に、「東京へゆくな」という有名な詩があります。
最初の2行は暗喩につぐ暗喩の連続。一つの意味にこだわり始めると途端に訳が分からなくなって立ち往生してしまうのですが、流れ流れて言葉の奔流に身を任せていると、不意に次の言葉にぶつかります。「あさはこわれやすいがらすだから 東京へゆくな ふるさとを創れ」。実際、彼は大学を卒業してしばらくして、故郷の九州の地へ戻り、炭鉱労働者の間で活動を続けていきました。
今週のあなたもまた、ある種の目覚めとともに立ち上がっていくことになるかもしれません。
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自己内対話の促進
今週のてんびん座は、しずかに何か誰かと向き合っていく時間を過ごしていくような星回り。
「草二本だけ生えてゐる 時間」(富澤赤黄男)という句では、「時間」には決して手の届かない、永遠の停止を強いられたかのような場所で「草」はその生を余儀なくされている様が詠まれています。
もしも「草」が一本だったなら、その絶望的な孤独や耐えがたい状況にすぐさま潰されてしまったでしょうが、二本ならばそこに何らかの関係が生まれ、それが希望へと変わっていくかも知れないという予感を抱く余地は残されています。
あるいは草が二本そろえば、それは否が応でも「時間」の流れを欲し、良きにつけ悪しきにつけ、縁の終局地点へとみずからを手繰り寄せていくということなのかもしれません。あなたもそばにある誰かであれ、縁の進展であれ、いま自分が最も望んでいるものが何なのかが浮き彫りになっていくでしょう。
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自己の明け渡し
今週のさそり座は、名前を消すことを断念していくような星回り。
ナチスによる収容所体験で父母と妻を失いながらも生還し、その体験を『夜と霧』(現代は『ある心理学者の強制収容所体験』)として1946年に刊行したフランクルは、その翌年の公演で次のようなことを語りました。
「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。」(『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳)
この180度の転回は、実際にフランクル自身にも起きていたことでした。というのも、『夜と霧』の出版を当初は匿名で、より厳密には被収容者番号で行うことを考えていたのです。今週のあなたもまた、行動と態度をもって人生の問いに応えていく覚悟を固めていきたいところです。
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労働とその連続体
今週のいて座は、地道にひとつひとつ作業をこなしていくような星回り。
「塩田に百日筋目つけ通し」(沢木欣一)という句で詠まれている塩田とは、大量の海水から水分を蒸発させ、塩だけを取り出すために用いられる田んぼのこと。田の表面に筋目をつけていく「筋目つけ通し」を、来る日も来る日も繰り返していました。
夏の天日に照らされる中で連日続けられる重労働は、気が遠くなるほど過酷なものであり、ほとんど無限とも言える忍耐力と根気強さを要したのであろうことが感じ取れます。この国の風土はそうした土地に根づいた汗かき仕事の積み重ねによって築かれてきたのであり、そうした労働へのリスペクトが失われ始めたところから、国として根底が歪み始めてしまったのかもしれません。
今週のあなたもまた、みずから汗を流すこと、現場に立つこと、同じ作業を淡々と繰り返していくことといった、すべての仕事の基本に立ち返っていきたいところです。
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失われたものの回復の試み
今週のやぎ座は、自分の身を「環境」ではなく「自然」に置き換えていこうとするような星回り。
戦後、日本は列島の大部分を占める山々の広葉樹を針葉樹にかえて、それを材木にするということを国家的なプロジェクトとして行いました。にも関わらず、昭和30年代には材木の輸入自由化をしてしまい、民間に丸投げしてそのケアを一切してこないままに。
スギは保水力も弱いので山々が崩れやすくなって水害が多発するようになり、下草も生えないので熊た獣などもエサを求めて里へ下りてこざるを得なくなり、また花粉症はもはやありふれたアレルギー症状となってしまいました。
いわば「自然」にぼうぼうと生えていた記号化不可能な手触りをつるつるに脱毛処理して、複雑な意味を孕んだ次元を削ぎ落し、「環境」という科学概念へとならし続けてきたツケが閾値を超えているわけです。あなたもまた、いつかどこかの時点でやらなくてはいけないと思っていたことに対してもう先延ばしにできないという思いを改めて抱いていくことになるかもしれません。
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天と地と人と
今週のみずがめ座は、生活を見つめることで自分の居場所を再発見していくような星回り。
「炎帝につかへてメロン作りかな」(篠原鳳作)という句は、昭和8年の作。前書きに「首里、尚家の桃原園所見」とありますから、作者が教師として赴任していた先の沖縄の地で作られたメロンを見て詠まれたものと考えられます。
「炎帝」とは「夏を司る神」もしくは「火を司る神」のことですが、まさにそこで働く人々は他の誰でもなく太陽に仕えて働き、その恵みを受けとっていたのだと作者は感じ取ったのでしょう。苛烈な日差しとは対照的に、そうした沖縄の生活風景へ向けられる作者のまなざしにはどこか静かなやさしさが込められているように思います。
今週のあなたもまた、自分が何に対して愛おしさを感じているか、それを守るにはどうしたらいいのかを、改めて考えさせられることになりそうです。
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恋と哀れは種一つ
今週のうお座は、かなり離れたものであっても、自分との一体感をかすかに感じていこうとするような星回り。
完全なる完成品ほど未完成に見えるものであり、大いなる技巧ほど下手くそに見えるものだということを、2500年前に生きた老子という人が書いていました(『道徳経』第45章)が、これは逆に言えば、現在の自分に不足を感じつつそれでも生きようとしている限り、その人は大丈夫だということです。
その意味で、今週のあなたは自分の大いなる不足を目の当たりにしていくチャンスを与えられていくのだと言えるでしょう。それをもって「やっぱり自分はダメだ」「いくつになっても中途半端だな」などと思ってしまうかも知れませんが、そういう人ほど「真実は裏腹」という霊的教えの伝統をよくよく思い出して欲しいのです。
さあ大変だ、どうやって乗り越えようかという瞬間をどうか少しでも楽しんでみてください。
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