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水害対策、このまま「ダム頼み」でいいの? 成蹊大・武田真一郎教授「地方分権がカギに」

2020年08月09日 07:21  弁護士ドットコム

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ことし7月、熊本県や山形県などが「豪雨災害」に見舞われた。とくに熊本県は、球磨川の氾濫や土砂崩れなどで、60人以上が犠牲となり、住宅が破損・浸水するなど、深刻な被害にあった。ダムや堤防などで、治水対策はされているはずなのに、毎年のように河川の氾濫による水害が起きている。地域を水害から守るためには何が必要なのか。行政法を通して、環境や財政問題に取り組む成蹊大学法科大学院の武田真一郎教授に聞いた。(ライター・芦田志美)


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●なぜ毎年、河川の氾濫で苦しめられるのか

――なぜ、テクノロジーが発達している現代においても、毎年のように河川の氾濫などによる水害に見舞われてしまうのでしょうか。



大きな理由のひとつとして、地球温暖化によって、日本でも雨の降り方が「熱帯」に近づいてきたことは否定できません。球磨川の水害で、7月3日から4日にかけての降水量は、人吉市は420.0ミリ、隣の湯前町で497.0ミリ、いずれも2日間で、平年の1カ月降水量に相当する量になりました。これまでの治水対策では想定できなかった事態が生じていて、それが原因になっていることは間違いないと思います。



では、なぜ日本でこんなに水害が多いかを考えると、それは地形や地理的な条件が関連します。



明治時代、外国人技師が、日本の川を見て「川でなくて滝だ」と驚いたと言われています。たとえば、黒部川は長さ85キロにしかないのに、標高差が3000メートル近くあります。このように水害リスクが大きい地形であっても、川は農業用水や水産物のほか、景観を含めて流域にいろいろな恩恵をもたらすため、人々は川の近くに住んで共生してきました。



また、国土の小さい日本では平地は多くないため、洪水が起こりやすい場所であっても住まざるをえないということもあります。「川の近くは危険だから住むな」とは、一概には言えないのです。だから、地球温暖化による異常な豪雨とどのように折り合いを付けていくかを考える時期に来ているのではないでしょうか。



――治水・利水対策のひとつに、ダムがあると思います。しかし中国では三峡ダムの放水により、下流域で洪水が起きているという報道もあります。ダムは本当に、水害対策に効果を発揮するものでしょうか。



河川流域ごとに違いがありますので、ダムの良し悪しは一概には言えません。しかし、私が吉野川(徳島)の可動堰問題に関わった際、河川工学や堤防・土木の専門家の意見を聞いたところ、水害対策という点では非常に疑問があると感じました。



大都市圏の利水のための効果があるとしても、今回の球磨川の水害にしても、1日で平年の半月分の水量が降ったのですから、流域の大半が水没するほどのダムをつくっても調整できるかどうかは非常に疑問です。ダムで止めるなら、流域の大半が水没するほどの大きなダムをつくらないとならないのではないかという印象があります。



球磨川の場合は「支流の川辺川にダムがあれば水害を防げたのではないか」という意見を耳にすることもありますが、ダムがあったとしても水害が発生した7月4日昼前には、満水となっていただろうと指摘する専門家もいます。そうなると、緊急放流をすれば下流の水位が一気に上がって、さらに危険な状況になっていた可能性があります。



現に2018年の西日本豪雨のとき、愛媛県の肱川流域で起こった洪水は、このようなパターンで緊急放流をしたために発生したとも言われています。



●ダムの治水・利水効果は限定的

――ダムに関して言えば、1950年代に計画されて以来、その是非を問われ続けてきた八ッ場ダム(群馬県)が2020年3月に完成しました。その役割を「防災操作」「流水の正常な機能の維持」などと謳っていますが、利根川流水域を水害から守るためになくてはならないものなのでしょうか。



ある専門家によると、八ッ場ダムの最大流量削減率は下流に行くほど小さくなり、中流域で3%程度、下流では1%に過ぎないと言われています。これでは治水上の効果は非常に小さいと言わざるをえません。



利水にしても、最近は人口減少や節水機器の普及で流域の水需要は減少しているのに、右肩上がりで水需要が増加するという見通しを前提にしてつくられています。何より5320億円もの建設費がかかっていますが、それに見合う効果があるのかは疑問で、その原資は税金だということも忘れてはならないと思います。



また、あまり報道されていないことなのですが、八ッ場ダム建設の基になった利根川の河川整備基本方針によると、利根川の上流域には、八ッ場ダムクラスの巨大ダムがあと3基も必要だとされています。物理的にも財政的にも不可能と思える話なのに、利根川上流では永久にダム建設が続けられる構造になっています。つまり治水や利水のために必要だからではなく、ダムをつくることそのものが自己目的化しているのではないか。そのように思えてなりません。



●水害対策には、地域の実情に合う堤防整備を

――ダム以外の方法で、水害対策に効果的なものはあるのでしょうか。



河川工学や堤防の専門家によると、治水の基本は堤防強化です。堤防が決壊すると、そこから大量の洪水が長時間にわたって流出し続けることになります。昨年の千曲川の氾濫を思い出せば、まさにそういうパターンです。堤防さえ決壊しなければ、堤防を越える越流水が発生しても、それが何時間も何日も続くことはまずないそうです。ならば決壊しない程度に堤防を強化すべきです。費用をかけずに、堤防を強化するのが治水の基本です。今の時代では、それほど難しくない技術で堤防を強化できるにもかかわらず、ダムに頼るのは、やはりダム建設自体が目的化しているのではないかと疑いを持ってしまいます。



以前、江戸川流水域の「スーパー堤防」が問題になったことがありました。これは堤防の高さの30倍程度の幅を盛土するものですが、たしかに江戸川流域のように、人口密集地域は大掛かりなものが必要かもしれません。しかし、地域の実情に合わせた規模の堤防であれば、ダム建設よりもコストが少なくて環境への影響も少ないと言われています。



――堤防以外に、自治体が水害対策でできることはあるのでしょうか。



私がかねがね考えているのは「河川法を改正して、河川管理は都道府県知事の権限と責任にすべき」ということです。



地元のことを一番よくわかっているのは、霞が関の官僚でも永田町の政治家でもなく、地元の住民です。河川管理が都道府県知事の責任になれば、ムダな巨大ダムを造るのではなく、堤防強化や避難場所の確保など、地元の実情にあった治水対策がとられるようになると思います。たとえば、日本最長の信濃川でも、その流域は長野県と新潟県と限定的で、両県の知事が協力すれば、効果的な治水対策ができるはず。



地域分権を進めることは河川管理以外でも必要で、たとえば沖縄県辺野古への米軍基地移設工事の埋立てにしても、国が進める事業であっても承認するのは知事の権限となっています。なのに最高裁はことし3月、県民投票で決まった移設反対の声を無視し、国土交通大臣の判断で知事がした埋立承認の取消しを取り消すことを認めてしまいました。



2000年に施行された改正地方自治法では「国と県は対等」という前提になっているにもかかわらず、最高裁が地方自治法の基本原則を骨抜きにしてしまいました。辺野古の現状は国家的なハラスメントです。しかし、地方分権を徹底させ、国と地方は対等なんだという前提で交渉を進めることで、民意を無視した工事の強行は防げるのではないかと思います。



そのためには公共事業の費用対効果をきちんとチェックする法律が必要です。今でも地方自治法2条14項や地方財政法4条1項では、最少経費・最大効果原則を規定していて、この原則に反するムダなダム建設などはできないことになっています。しかし、裁判所は、公共事業のように多数決原理で決定される問題のチェックには消極的で、これらの規定はほとんど裁判規範として機能いないのが実情です。



――市民が、できることは何がありますか。



日本を含む現代の民主主義国家は、選挙制度を中心とする間接民主制を基本としています。しかし、選挙制度には、選挙で選ばれた代表が必ずしも民意を反映しない(住民の望むことをしない、住民が望まないことをする)という重大な欠陥があります。そこで間接民主制の機能不全を是正するために、直接民主制としての住民投票が求められます。



そしてこの住民投票には、「利権の温床となっていて、環境と財政に多大な負担をかけている大型公共工事に異議を唱える」というものが見られるように、環境と財政という2つのキーワードが大きく関わっています。住民投票が実施された多くの事例では投票結果が尊重され、事業の見直しがおこなわれています。



●地方分権を進めていくことが地域の災害対策に

――住民投票を進めることで、市民が賛成派と反対派に分かれて分断されるというリスクもあります。成功に導くためには、何が必要ですか。



2000年1月にあった吉野川の可動堰建設に関する徳島市民の住民投票には、3つの大きなポイントがあります。



まずは、「住民投票=反対運動」ではないということです。市民たちは吉野川の可動堰は本当に必要なのかを、賛成派も反対派も一緒に議論をしようというスタンスを貫きました。反対運動ではなく、可動堰の是非について議論するということから、事業を進めようとしている旧建設省側も集会に参加して、事業を説明することになりました。同じテーブルについた住民が、両方の議論を聞いて比較した結果、可動堰は不要だという意見がより説得的だと判断されました。これを「徳島方式」と呼びますが、住民投票では、両方の意見を聴くことがとても大事です。



二つめは、専門家である建設省よりも、素人の市民のほうが科学的かつ客観的だったということです。市民グループが専門家の助けを借りて、建設省の水位計算の誤りを発見して、可動堰がなくても危険水位を超えることはないことを証明しました。吉野川には江戸時代につくられた堰があり、150年に1度の大雨が降ると洪水が発生するおそれがあるとされていましたが、堰がつくられてから250年以上経っているのに、現在の堰が原因で水害が起こったことは1度もなかった。そのことなどを踏まえて、市民団体がプロの力を借りて可動堰が必要ないことを証明しました。



三つめは、政党に頼らなかったために住民を結集できたことです。政党と関係がない地元市民が主導したために、党派的な動きがなく、多くの市民が協力しやすい雰囲気がありました。そのため、主婦や学生ボランティアなども協力して、有権者の2分の1の直接請求の署名が集まるほど運動が広がりました。



このようなことを見ていくと、地域のことをいちばんよく知り、考えたうえで正しい判断に導けるのは、その地域の住民と言えます。だから、住民投票などの住民参加制度の充実を含め、地方分権を進めていくことが地域の災害対策にも不可欠ではないかと思います。