初めてづくしの開幕3連戦が終了した。未だコロナ禍が収束しないなか、さまざまな国から集まったエントラントがオーストリアからハンガリーへと、国境を越えて選手権を戦ったこと自体が快挙だ。
ここに到達するまで、FIAやフォーミュラワン・グループ、サーキットが注いだ力は並大抵のものではなかったと思う――たとえば今現在の日本で(入国制限が解かれたとして)同じことが可能かと想像するだけで、その偉業が理解できる。
厳格な感染予防規約が整然と遵守されているパドックを、バルテリ・ボッタスは「防弾服を着ているくらい安全に感じる」と言った。
元来、無数の規則によって統制されたスポーツであることも“ニューノーマル”への順応を可能にした一因であろうし、チームはもともと、準軍式かと思うほどの規律の下で団体行動をとっている。
それでも、競技外の時間帯においても行動が制限された3週間は大きなストレスであったに違いない。ドロップアウトする者がいなかったのは、レースがしたいという強い思いの表れでもある。
「ふたりと違って、僕にとっては今日が初めての表彰台だったんだよ」と、開幕戦で3位を飾ったランド・ノリスが勝者ボッタス、2位シャルル・ルクレールに言った。無人の観客スタンドの映像以上に、切なさが溢れる言葉だ。
「表彰台が素晴らしいのは、たくさんのファンの興奮や声援に包まれているからなんだ。今日の結果は最高にハッピー。でもファンがいたら感激の度合いが違ったと思う」
普段はレース中でも観客スタンドが目に入るというルクレールは「今回はスタンドを見ないで走った」と言う。どんなに頑張っても、F1だけで克服できないのはこの部分。
いまは「無観客でもレースできないよりは幸せ」と考えることができても、その気持ちがいつまで継続できるのかは分からない。
3連戦が繰り返される過密スケジュールも大きな問題だ。2018年にフランス、オーストリア、イギリスの3連戦が行なわれたときには、ロス・ブラウンも「今回かぎり」と念を押した。
今年はいつもより少人数で、猛暑のなかでもマスクを着用し、ソーシャルディスタンスを保ちながら、同じクオリティの仕事を保たなくてはならない。サーキット外でも、F1界が自主隔離している“バブル”の外には出られない。
「いちばん心配なのはメカニックたち」という声があちこちから聞こえてくる。誰よりも実働時間が長く体力を消耗するのはメカニックなのだ。彼らの健康を維持しないとF1は危険な競技にもなり得る。
チームはできるかぎりの対応を行なうだろうが、小さなチームほどメンバー交代は難しい。11週間で9戦という異常なペースは夏のヨーロッパだけでなく、おそらくシーズン終盤まで続いていく。
開幕3戦は無事に行なわれた。しかし同レベルの安全、健康、意志を維持していくにはさらに工夫が必要だ。
これまでとは違う、新しい環境でスタートしたF1。それだけに、メルセデスの変わらない強さが強調された。9週間のシャットダウンという異例の事態さえ、彼らに味方したように感じる。
厳しいコンディションのレッドブルリンクは、本来なら11戦目。今年はそこで真新しいマシンを走らせるのだから、例年のオーストリアGP以上に困難。工場が再開してからの短い期間では、できる準備も限られていた。
しかし全チームが同様に抱えた困難を、もっとも賢明に克服したのがメルセデスだったのだと思う。その礎となっているのは、彼らが誰よりも豊富に手にしている成功体験と、そのデータ。
オーストリアで発生したトラブルの数々と、対処法。結果につながったデータが多いほど、制約が多いなかでも何を優先すべきか、正確な判断が可能になる。判断できる人材がそろっていることも、もちろん。
開幕戦では2台がセンサートラブルを抱えながら縁石を避けて走った。そんな問題さえ“想定内”であったかのように、ルイス・ハミルトンがペナルティを受けなければ1-2位。苦手なはずのレッドブルリンクで、彼らは2戦連続の1-2ゴールを飾るところだった。王者の戦い方である。
対するレッドブルは、マシンのバランスを見出すのに悩んでいる――追う立場のチームとして当然の策か、あるいはエイドリアン・ニューウェイの主義なのか、冬の開発をぎりぎりまで続けるレッドブルは、シーズン序盤のレースを通じてマシンを仕上げてくる。
だから今年のオーストリアは9戦目だった去年とは違うし、ハンガリーでもマックス・フェルスタッペンの悩みは続いた。そんななか、スタート前にマシンを壊しながらも、ドラマチックなレースでボッタスを抑えて2位ゴールを飾ったのが彼らしい。
ポールポジションからスタートした去年は、48周目にタイヤ交換して猛追するハミルトンを抑えきれなかった。7位スタートの今年は、49周目にタイヤ交換したボッタスに攻撃のチャンスも与えなかった。同じ2位でも喜びが違う――。
こうして、レースそのものに視線がいく。F1が、コロナ禍という厳しい環境に負けていない証拠でもある。