2020年07月30日 12:22 弁護士ドットコム
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した女性に対する嘱託殺人容疑で医師2人が逮捕された事件が、連日報道されている。
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逮捕された医師らは女性の主治医でなく、SNSを通じて女性から依頼を受け、金銭を受け取っていたようだ。2019年11月に女性の自宅を訪問。致死量の薬物を投与し、殺害した疑いがもたれている。
医師による「安楽死」をめぐる事件は過去にもたびたび発生しており、殺人罪などで刑事責任を問われ有罪判決が下されたケースもあったが、不起訴となるケースもあった。
今回のケースについて、秋山直人弁護士は、「起訴される可能性が高い。裁判でも有罪判決となり、量刑も過去の安楽死事件に比べて相当厳しくなるのではないか」と話す。
「安楽死」については、「末期患者に対する『治療行為の中止』(『消極的安楽死』を含む)、苦痛からの解放を目的に直接生命を絶つことを目的とする『積極的安楽死』といった類型があります」と秋山弁護士は言う。
「治療行為の中止」については、「尊厳死」といわれる場合もある。では、「安楽死である」との主張は裁判でどのように争われるのだろうか。
「刑事裁判においては、『被告人の行為は許容される安楽死であって実質的違法性を欠く(違法性阻却)』といった形で弁護人から主張され、その主張の当否を裁判所が判断します」
つまり、「人を死に至らしめる行為をしたが、安楽死として適法なものであるから、殺人罪(嘱託殺人罪)には当たらない」との主張が裁判で争われるようだ。
安楽死をめぐる過去の裁判例は少なくない。古くは昭和30年代に積極的安楽死を許容する6要件を示した裁判例などもあるが、近年よく見かける裁判例といえば、「東海大学安楽死事件(横浜地裁平成7年3月28日判決)」だろう。
「この事件は、余命数日という患者に対し、心停止の作用のある塩化カリウム等を注射し、即時死亡させたという事案です。
判決では、医師による積極的安楽死の許容要件について、下記の4要件が示されました。
(1)患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること
(2)患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
(3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
(4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
この事件では、上記許容要件のうち(2)しか満たしていないとして、被告人は殺人罪で有罪(懲役2年、執行猶予2年)となりました」
また、「川崎協同病院事件(東京高裁平成19年2月28日判決)」では、患者の生命を短縮させる治療中止行為が適法となるかどうかが争われた。
「この事件は、昏睡状態にあった患者から、気道確保のため挿入されていた気管内チューブを担当医師が抜管した行為などが殺人罪に問われたものです。
裁判では、『患者の自己決定権』からのアプローチと、『治療義務の限界(それ以上治療しても意味がない場合には治療義務を負わないのではないかという観点)』によるアプローチの双方から検討されました。
その上で、患者の死期が切迫していたとは認められない、患者本人の意思が不明である、更なる治療に意味がないとは認められない等の理由により、治療中止行為が適法とは認められない、と判断されました。東京高裁は懲役1年6カ月、執行猶予3年という有罪判決を言い渡し、上告審の最高裁平成21年12月7日判決によって上告棄却で確定しています」
「安楽死」に関する国の指針として、秋山弁護士は、厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(平成30年3月改訂)」を挙げる。積極的安楽死についてはガイドラインの対象外だが、終末期医療について、以下のような指針等が示されている。
・人生の最終段階における医療・ケア行為の中止等は、医療・ケアチームによって、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきである。
・医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がされ、それに基づいて、患者本人が、多専門職種の医療・介護従事者から構成される医療・ケアチームと十分な話し合いを事前に行い、本人による意思決定を基本とした上で、人生の最終段階における医療・ケアを進めることが最も重要な原則である。
また、日本医師会の「終末期医療に関するガイドライン」(平成20年2月)でも、「積極的安楽死や自殺幇助等の行為は行わない」と明記した上で、以下のように類似の内容が記載されている。
・終末期における治療の開始・差し控え・変更及び中止等は、患者の意思決定を基本とし医学的な妥当性と適切性を基に医療・ケアチームによって慎重に判断する。
・患者の意思が確認できる場合には、インフォームド・コンセントに基づく患者の意思を基本とし、医療・ケアチームによって決定する。
では、今回のケースはどのように判断されるのだろうか。秋山弁護士は、「積極的安楽死として違法性を欠く行為であるとは到底評価できないように思います」と話す。
「報道されている内容が事実とすれば、今回のケースは以下のような事情があるようです。
・医師2人は主治医ではなく、患者を継続的に診察しておらず、患者と初対面
・SNSのやり取りだけで安楽死の希望を聞き、わずか1度5~10分だけ患者と面談
・面談の場で直ちに薬剤を投与して患者を死に至らしめた
・合計100万円を超える多額の報酬を得ている
厚労省のガイドラインなどでは、本来、終末期の医療・ケア行為の中止等は、主治医をふくめた多専門職種の医療・ケアチームが患者と継続的に十分話し合って意思決定していくべきとされています。
主治医でもない、患者を継続的に診察してもいない医師が、SNSのやり取りだけで、薬剤投与という、直接生命を絶つことを目的とする積極的行為を決断し、実行したとすれば、これまでの安楽死に関する裁判例等での議論とは前提を異にしていると言わざるを得ません。
東海大学安楽死事件の判決が示した4要件にあてはめてみても、(1)~(3)はいずれも認められないと思われます。なお、この判決では、精神的苦痛について『現段階では安楽死の対象からは除かれるべき』と判示しています」
また、被害者がSNS等で安楽死の意思を表示したことをもって、(4)の要件を認めることにも警鐘を鳴らす。
「今回の場合、被害者のSNSでの投稿等から、一見被害者の明示の承諾があるようにも見えます。
しかし、厚労省のガイドラインでは、患者本人の意思表示は、あくまでチームによる医療と、病状等の丁寧な説明を前提にしているところです。また、患者本人が家族と十分相談していたのかにも疑問が残ります。
本人の意思は、局面局面で変わりうるという点にも注意が必要だと思われます」
(1)~(4)の要件が絶対の指標というわけではないが、いずれも認められないとなれば、結論はおのずと厳しいものとなる。秋山弁護士も、渦中の医師らが刑事責任を免れる可能性は低いとみている。
「報道されている事実を前提とする限り、本件の行為が積極的安楽死として違法性を欠く行為であるとは到底評価できないように思います。
そのため、起訴される可能性が高いと思いますし、裁判でも有罪判決となり、量刑も東海大学安楽死事件や川崎協同病院事件に比べて相当厳しくなるのではないか、と予想します」
【取材協力弁護士】
秋山 直人(あきやま・なおと)弁護士
東京大学法学部卒業。2001年に弁護士登録。所属事務所は溜池山王にあり、弁護士3名で構成。不動産関連トラブル、企業法務、原発事故・交通事故等の損害賠償請求等を取り扱っている。
事務所名:たつき総合法律事務所
事務所URL:http://tatsuki-law.com