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「命を選別する価値観」にどうあらがう? やまゆり園事件「障害のある弟と重なった」 佐藤倫子弁護士の原点

2020年07月26日 09:51  弁護士ドットコム

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7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者や職員ら45人が死傷した事件から4年を迎える。殺人などの罪に問われた植松聖死刑囚は今年3月、自分から控訴を取り下げて、死刑を確定させた。


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しかし、この事件が投げかけた波紋は、今も人々に広がっている。それを見つめ続けているのが、香川県在住の佐藤倫子弁護士だ。2つ年下の弟、理一(まさかず)さんは、脳性まひとダウン症で、最重度の重複障害者。両親が長年、家庭で介護してきた。



事件の起きる2年前、両親が高齢になってきたこともあり、理一さんは茨城県内の障害者施設に入居したばかりだった。事件の被害者たちが理一さんの姿と重なり、佐藤弁護士の家族は大きな悲しみに暮れた。



あの事件が起きてしまった私たちの社会。佐藤弁護士の目には今、どのように映っているのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)



●ふとした瞬間、弟が刺される姿が目に浮かんだ

「弟は、相模原の殺人事件で標的とされた方々と、全く同じ境遇にある」



4年前、事件発生から3日後に佐藤弁護士はこうフェイスブックに書いた。当時を振り返る。



「事件が起きたとき、私も相当、ショックを受けていたのですが、弁護士だし、刑事弁護人でもあるという中で、あくまで引いた感じで、社会的な事象としてとらえようとしていました」



どこかでショックから心を守ろうとしていたのかもしれない。しかし、3日経たった日の朝、母と電話してから、涙があふれて止まらなかったという。



「両親は30年以上もの間、自分たちで看てきた弟を施設に入所させました。両親は少しでも長く弟を看ていたいと思っていましたが、重度の障害者が入れる新しい施設ができるということになり、将来、自分たちが倒れたときのことも考え、悩みに悩みました」



通常、障害者施設は入所者が亡くなるなど、欠員が出た場合に募集があるだけで、空きは少ない。この機会を逃してしまったら、いざ入所させようと思ったときに、必ずしも希望通りの施設に入れられるわけではない。姉の佐藤弁護士も、結婚を期に遠方の香川県へと移住していた。



佐藤弁護士の両親にとって、理一さんを施設に入所させることは、苦渋の決断だった。



「それから、両親は毎週のように施設に通っています。弟を外に連れ出したり、食事を介助したり、散髪してあげたり。そんな生活を続ける中で、あの事件が起きました。母は特にショックを受けていました。被害者を自分の子どもとしか思えないわけです。



インターネットには、彼(植松死刑囚)に同調するような価値観もありました。入所させた家族に対する『どうせだって手放したんでしょ』『面倒をみていないんでしょう』というような心ない言葉に、母は傷ついていました」



理一さんを施設に入所させた自分は間違っていたのではないか。電話口で、自分を責めて泣く母。佐藤弁護士も、自分が当事者の家族であることを自覚せざるを得なかったという。



「ふとした瞬間、弟が刺される姿が目に浮かんでは、涙が止まりませんでした」





●事件の背景に「命を差別する」社会の価値観

やまゆり園事件の判決によると、植松死刑囚は「意思疎通できない重度障害者は不幸である」と決めつけ、不要な存在とした。自分が重度障害者を殺害することによって、不幸が減り、世界平和につながると考えていた。



佐藤弁護士は、言葉を選びながらこう語る。



「彼は決して、特別な人ではありません。自民党の杉田水脈議員も2018年、LGBTの人たちについて、子どもを作らないから生産性がないと発言しました(編集部注:月刊誌『新潮45』2018年8月号)。



れいわ新撰組だった大西つねき氏も最近、医療や介護の費用がかかる高齢者を切り捨て、『命の選別をしなければ』と発言しています。



この社会では、何か価値を生み出す人間でなければ、受け入れられない-そういう価値観に彼自身もとらわれていて、その価値観にしたがえば、彼自身も価値のない人間なんだと判断せざるを得ない。



彼はそれに耐えきれず、『自分は役に立たない人間じゃない』ということを証明したいと考える中で、ああいう事件を起こした。これは、決して彼という特別な人が起こしたわけではなくて、命に差をつけ、何か役に立たなければいけないとか、有用でなければいけないとかを要求する、そういう社会自体の価値観が背景にあるのだと思います」



●死刑は確定したが、事件は終わらない

命に差をつける。そうした価値観に対して、佐藤弁護士は、憲法13条にある「すべて国民は、個人として尊重される」という一文をひもとく。



「憲法における個人の尊重、人の尊厳というのは、『あなたは、あなたとして価値がある』ということです。誰でも、どんな人でも、その人であるだけで価値がある。



だから、有用であることや役に立つこと、生産性があること、そんなことで人の価値の有無が決まるわけではないと私は思います。しかし、そうではない感覚が、社会全般にそこはかとなく蔓延しています。



たとえば、自民党の憲法改正草案を見ると、憲法13条から現行憲法にある『個人』の文字が消されてしまっています。改正草案Q&Aには「天賦人権説(編集部注:人は生まれながらに権利を持っているという思想)に基づく規定振りを全面的に見直」すとはっきり書かれています。



自民党憲法改正推進本部起草委員会のメンバーだった片山さつき議員は『国が何をしてくれるか、ではなく国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような全文にしました!』とツイートしています(編集部注:2012年12月6日19時37分)。



『あなたは国家のために何をするんですか?』と、国のために何かを成し遂げることが権利とバーターになっています。これは、役に立つ者が偉いのだ、そうでなければ権利すらないのだ、そういう、植松さんと通じるような価値観の表れなのだと思います」



植松死刑囚の裁判が終わった今は、事件をどう受け止めているのだろうか。



「彼自身がその価値観に押し潰される中で発現したものが、やまゆり園の事件だった。横浜地裁の死刑判決に対して、弁護人が控訴しましたが、彼自身が取り下げています。



でも、それによって事件は終わってしまった。社会の様相はまったく変わってない中で、単なる特別な変わった事件として終わってしまうのならば、悲しいことです。



あれだけの命が、社会的に蔓延している価値観によって殺されたわけです。それを単なる個人の事件として片付けてしまって事件を終わらせるとしたら、亡くなった方々やご家族も浮ばれないと、今は思います」



●弟を守る力がほしくて弁護士に

佐藤弁護士が弁護士を目指したのも、弟の存在があったからだという。



「小学校の卒業アルバムで、将来なりたい職業に『弁護士』か『舞台女優』と書いていました。ずっと、『芝居で食っていきたい』みたいな気持ちもあって、高校のときには、多い時で年間60本くらい下北沢とかで芝居を見ていました。



一方で、弁護士になりたいという気持ちもありました。理由として3つあったのですが、いずれも弟のお陰ですね。



1つは、弟の障害は本当に重度だったので、母は専業主婦になって彼を看ていたわけです。父ももちろん、何でもいろいろやる人なのですが、そうはいっても父の仕事中は母が世話をしていました。そんな母がいつも私に言っていたのは、『とにかく、手に職をつけなさい』『子どもを産んでも、何があっても続けられる仕事につきなさい』ということでした」



佐藤弁護士は、まさか自分が結婚するとは思っていなかったと話す。



「将来は、『弟と2人で生きていかないと』と思っていましたから。結婚のことは考えていませんでした。まだ社会保障の制度もわからなかった小学生だった私は、弟と一緒に社会の荒波を乗り越えなければ、と。



ただ、父には『会社に勤めたって女性は活躍できない。お前には向いていない』と言われていました。でも、私は力がほしかった。経済的にも社会的にも、弟を守ることができる力がほしかった」



当時はまだバリアフリーの考え方も普及していなかった。弟を車椅子で連れて出かければ、邪険にされたように感じた。



「小学校のころ、私は彼の車椅子を押しながら、そういう視線を感じていました。だからこそ、足を踏まれる側の立場に立てるような仕事がしたいと思いました。両親に言われたこと、弟を守れる力、弱い人の立場の側でできる仕事…とトータルで考えたら、弁護士でした」





●相手の立場になってみる「共感」を広げていきたい

現在、同性婚や医学部入試女性差別問題など、弁護団に名を連ねる。マイノリティや差別されている人たちを支える姿勢は一貫している。



「同性愛者の人たちは差別されたり、権利が実現されないことに慣れさせられてしまっています。好きな人と法律的に家族になりたいということさえ許されない、そんなことを長年、この社会は彼らに強いているわけです。



同性婚訴訟に関わったのは、自分はシスジェンダーのヘテロセクシャル(編集部注:生まれてきた時の性と心身の性が一致している異性愛者)ではあるのですが、もしも自分がセクシャルマイノリティだったら、自分の子どもがそうだったら…と考えたときに、現状は耐え難いと思ったからです。



そうした『エンパシー』(他人の感情や経験などを理解する力)はすごく大事だと思っています。イギリス在住のブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトでときどきブルー』(新潮社)という本の中に、エンパシーの話が出てきます。



みかこさんの息子さんは、エンパシーについて、『自分で誰かの靴を履いてみること』と言うわけです。自分と相手の立場を取り替えてみる、そんな気持ちがあれば、それこそやまゆり園事件だって起きなかっただろうと思います。



そういう、エンパシーが社会で広がっていくことが大事なのではないかと思います。そのためには、発信して声を上げて、可視化する。それによって、共感の輪が広がっていくのだと思います」



そのためにも、同性婚や医学部入試女性差別問題の訴訟に取り組んでいるという。



「『私たち大人はこんなことを許さない』と声を上げて、広げていかないといけない。今の若い子たちに、『勉強したって、努力したって、結局、大人になったら差別されるんでしょ』と思ってほしくないです。



私たちはすごく怒っているし、まだこんな社会だってことをすごく申し訳ないとは思うけれど、だけど、それを私たちは許さないし、私たちは変えていくんだと。あなたたちのために、社会を変えていこうとしているという姿勢を見せ続けないといけないと思っています」





【佐藤倫子弁護士略歴】 1975年、千葉県に生まれ、青森県・埼玉県で育つ。1998年、中央大学法学部法律学科卒業後、2002年司法研修所修了。2002年に新埼玉法律事務所入所、2005年、弁護士過疎解消のための日弁連ひまわり基金により、岩手県花巻市で花北ひまわり基金法律事務所を開所、初代所長を務める。両親と弟を連れて家族で岩手県に移住、4年間を過ごした。2009年に東京都の桜丘法律事務所に入所。2013年、香川県丸亀市に田岡・佐藤法律事務所を開所し、現在に至る。マイノリティや社会的弱者の差別問題に意欲的に取り組み、医学部入試における女性差別対策弁護団、結婚の自由をすべての人に弁護団、明日の自由を守る若手弁護士の会に参加。日弁連男女共同参画推進本部のメンバーとして、弁護士会内部のジェンダー平等、女性法曹増加を目指して活動。著書に岩波ジュニア新書「司法の現場で働きたい!弁護士・裁判官・検察官」(編著、2018年3月)など。