僕はガンダムオタクだけど、別にガンダムにしか興味がないといったようなタイプでもない。映画も好きだし、特に戦争映画だとか、ゲリラ戦が展開される局地的な舞台がメインになっている作品も好きだ。
この、局地的な戦いってのはガンダムオタクにとっては割かし琴線に触れるところだろう。なにせ『機動戦士ガンダム』からこっち、まさしく局地において効率的に運用されるMSは枚挙に暇がない。
ドム・トロピカルだとかズゴックだとか、特定の戦域において十分な戦果を期待できるが、フィールドが少しでも違ってくると途端に本来のポテンシャルを発揮できない。そういう機体に、なんとなくときめいてしまう。
この局地的に有利な部分を持つMSは、初期から現在に至るまでに数多く登場してきた。ガンダムシリーズって、強いMSにもそれなりにやり過ぎないような枷がつけられてる節が多いと思う。
いわゆる一騎当千のMSって、そう多くはない。しかもこの手の万能MSというのは、ガンオタからのウケもあまりよろしくない。ガンダムという世界においては、一騎当千って概念自体がタブー視されているんじゃなかろうかと感じるのだ。今回はちょっと、その根拠を提示していきたい。(文:松本ミゾレ)
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一騎当千といえばストライクフリーダムだけど……
5ちゃんねるに面白いスレッドがあった。「ガノタは一騎当千の機体とか好きじゃないよね」ってのがそれである。
スレ主は「ガンダムはリアルロボットだ、というプライドがそう思わせるのかな」と自論を書き込んでいる。リアルってのの範疇にブレはあるし、オカルトの最たるものであるニュータイプ描写もあるシリーズなので一概にリアルロボット物とは言い切れない。
だけど『スーパーロボット大戦』とかだと昔からリアルロボット枠で登場はしてるよね。スレッドにはこのスレ主の趣旨に対して賛否含めていろんな反応がある。
「そもそもガンダムって俺TUEEEEEEのガキ主人公がチートメカに乗って量産機に乗ったベテランのおっさん相手に無双しまくるアニメだろ」
「べつにエンタメなんだし無双したり美男美女を活躍させてもかまわんと思うけどね。変にリアリティーに括って滑るよりも、ぶっちゃけそっちのほうが楽しい」
「ターンAは本気だしたら一騎当千だけど、本編では泥臭い地味な戦いしかしてなかったから嫌われてない。もしスペック通りのことをやっていたら、ストフリみたいに嫌われていただろう」
ガンダムオタクにとっては説明するまでもないけど"ストフリ"とは『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に登場する、ストライクフリーダムガンダムの略称。名前が長い。前作『SEED』の主人公、キラ・ヤマトが搭乗する機体となる超高性能MSだ。実質的なキラ専用のガンダムである。
その活躍っぷりは凄まじく多数の標的を一斉にロックオンし、内蔵された火器を一斉発射する"フルバースト"はつとに有名。大量の雑魚MSを一気に葬るその様はまさに一騎当千の代名詞である。
古くは『機動戦士Zガンダム』のシャアの乗る百式が使ったメガ・バズーカ・ランチャーも当たれば一騎当千の部類だろう。終盤ではアクシズのベテラン兵が駆るガザC部隊を文字通り一気に消滅させているが、あれは内蔵兵器ではないし完全に取り回しの悪い武装なので、そこまで便利なものでもなかった。
つまり足枷だらけの装備ということで、実際にこのランチャーはキュベレイにあっという間に破壊されている。ほとんどデメリット無しで一騎当千を実現したのは、ストフリぐらいのものかなぁ。
1機で大局を覆すとなると、架空戦記が一気にダサく見えてくる
ちなみに、僕は『SEED』も『SEED DESTINY』も嫌いな人間なので、当然ストフリも大嫌いだ。だけど一応ガンオタなのでちゃんとどちらも視聴している。嫌いな作風だけど、バクゥとかアビスガンダムとかはデザインが好きなので。
でもストフリはちょっとなぁ。こいつが出てくると話が急に極端になってしまうし、そもそも前作の主人公が無双する意味も分からないし、本来の主役があまりに雑な扱いを受けてるのもキツいし。
一騎当千のフルバーストで敵MSが一斉に蒸発しても「で?」って感じで。これはもう理屈でなく、気持ちの問題で、ストフリが出張ってくる意味が分からなかった。全然、面白くなかったと言っても良い。
子供の頃に読んだ、コロコロとかボンボンとかの読み切りコミックを見たあとみたいな、なんとも言えないダサさ、虚しさ。それに似たものをストフリには感じる。
たった1機のMSが劣勢を覆すってのは描写次第で面白くなるけど、そもそもそれをガンダムでやるとナンセンスなのかもしれない。『Z』ではガンダムMk-IIに乗り込んだばかりのカミーユが、逃げ惑うティターンズのMPを見て高笑いする描写がある。あれは見方によっては一騎当千の縮図、ディフォルメではないかと思う。
あのときカミーユは「一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやろうか!」と叫んでいた。最序盤でアレを主人公に言わせるという時点で、そしてそれを視聴者が観たら反感をおぼえたり「おいおい」って思ってしまう時点で、あの作品では一騎当千を否定していたように感じる。
実際、百式のメガ・バズーカ・ランチャーも発射はしくじり続き。終盤でやっと奏功したぐらいだし、ティターンズ兵は練度も高いエリート揃い。終盤までカミーユは量産型MSにしばしば苦戦していた。
宇宙世紀随一のセンスを持つカミーユですら、時には名無しのパイロットの乗るハイザックやバーザムに苦労をしたのだ。僕としてはそっちのほうが観てて遥かにハラハラする。もちろん、贔屓目が入ってるのは否定しないけど、そうは言ってもフルバーストはやり過ぎなのだ。冷めてしまう。