2020年7月17日、1950年代にレースコンストラクター『ラルト』を立ち上げ、ブラバムの共同創設者でもあったロン・トーラナックが亡くなった。享年95。
オーストラリア出身のトーナラックは弟のオースティン・ルイスとともにチームを立ち上げ、ふたりのイニシャルから『ラルト』を誕生させた(RALT=Ron and Austin Lewis Tauranac)。その後イギリスに渡り、ブラバムやウイリアムズのF1に関わった。
ラルトのF3マシンではアイルトン・セナやミカ・ハッキネンらがチャンピオンを獲得したこともあり、F2やF3といったF1に続くカテゴリーを支えてきたひとりと言える。
また、ホンダのレース活動とも非常に縁のある人物だった。ホンダがF2にエンジンを供給していた1966年、そして1980年代のF2でもラルトのマシンは勝利を重ねており、カテゴリーを席巻した立役者である。さらにレーシングカーデザイナーとして、1995年に開校した『SRSF(鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ)』のフォーミュラカーもデザインした。
ホンダのモータースポーツ活動を統括するブランド・コミュニケーション本部の渡辺康治本部長は、トーラナックの訃報に下記のようにコメントを発表している。
「1966年のF2選手権でのHondaの11連勝、1983年~1984年のヨーロッパF2選手権12連勝の立役者であり、鈴鹿レーシングスクールフォーミュラの初代訓練車の設計を担当いただくなど、Hondaのレース活動の黎明期から常に支えていただいた功労者であるロン・トーラナック氏に感謝をささげるとともにご冥福をお祈り申し上げます」