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バトル番組をきっかけに“中国ダンスブーム”が到来 ダンサーが日本でレッスンを受けることも主流に

2020年06月28日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

D7dance studio

 2018年1月、私は正月休みで上海に来ていた。いつものように、上海に来ると必ず立ち寄る地下鉄直結のショッピングモールを訪れた。ハイブランドのアパレルショップ、カフェ、レストランをはじめ、日本の無印良品やJINSも入っている。ぶらぶらしていると、ある違和感に気づいた。そう、風景が変わっていたのだ。上階にあったショップがなくなり、そのワンフロアのほとんどが習い事の教室に変わっていたのだった。「革製品を作る教室」「絵画を習う教室」「アクセサリーを作る教室」など、様々な教室が並んでいる。見ていると生徒は20代、30代の若い人が多いようだ。


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 このように、「ショッピングモール内に習い事の教室がオープン」というのは、上海では近年の流行りらしい。中国のショッピングモールは、一般的に夜10時、11時までオープンしているので、会社員が退勤後に習い事をして、別のフロアで夕飯を食べてそのまま地下鉄で帰るというコースは、結構定番になりつつあるようだ。東京同様、忙しい街、上海で生活する人にとって、立地のよいショッピングモールはすっかり生活の一部になっている。


 習い事でいえば、ここ数年は圧倒的に「ダンス」がブームだ。中でも「ストリートダンス」は、2018年にオンラインで放送されたストリートダンスバトル番組『这!就是街舞(Street Dance of China)』の影響で、幼稚園生やリタイアした方まで幅広い世代に人気と聞く。私も番組をリアルタイムで見ていたので、「やってみたい!」という気持ちになるのはよくわかる。番組に出演していたダンサーたちがみんな、バトルとはいえ、とても楽しそうに踊っている姿には惹かれるものがあった。


 また、『这!就是街舞』の初回放送1カ月後に、別の動画配信サイトでも似たようなダンスバトル番組がスタートし、こちらも後押しして、2018年は「ストリートダンス元年」と言われたらしい。『这!就是街舞』の放送がスタートすると、上海のショッピングモール内にあるダンススクールに通う生徒や先生を追ったテレビのドキュメンタリー番組も放送され、番組がヒットしてダンススクールに通う人が増えていることが語られていた。実は2018年はもう一つ、「元年」があった。以前、こちらで紹介した、「アイドル元年」だ。アイドルといえば、ダンスはマスト。そうなると、2018年のダンス市場はとんでもなかったのではないかと想像できる。


 番組を見ていて、中国にはストリートダンスを踊っているダンサーが大勢いるという発見だけでなく、中国国内外の大会で好成績を残している人が少なくないこと、また、彼らの中にはダンサーであると同時に、インストラクターとしてもダンスに向き合っている人がいることも知った。2018年にヒットし、2019年にはシーズン2が放送され、今年7月にはシーズン3も放送予定と大人気の番組ではあるが、実は番組以前からストリートダンスに惹かれ、ストリートダンスのプロとして活躍している人が沢山いたのだ。そこで今回、中国のダンス関係者にリアルな話を聞いた。前編、後編と二回に分けてお送りする。


 上海で友人たちと二つのダンススクールを運営するchichiは、子どもの頃からダンスが好きで、ダンススクールに通い、ダンスグループにも所属していた。ダンス専攻がある芸術系の大学への入学を目指していたのだが、足を怪我してしまい断念。ただ、ダンス熱は冷めることなく、2017年9月、友人たちとスクール「D7dance Studio」をオープンした。現在は、ストリートダンス専門の教室とそれ以外のジャンル、例えばコンテンポラリーダンスや民族ダンスなどを教える教室、と二つの教室を差別化して運営している。それぞれ、キッズクラスも設置されている。


 「ストリートダンス」と一言で言っても、実は細かくジャンルが分かれている(「ストリートダンス」はさらに「オールドスクール」「ニュースクール」などと分かれているが、ここではその説明は割愛させていただく)。ヒップホップ、ブレイクダンス、ロックダンス、ポップなどなど。「D7dance Studio」ではヒップホップの人気が高いらしい。約700人の生徒は、3歳半の子供から60歳までと幅広い世代が通っており、大人で言えば、会社員が多く、その他は大学院生、大学生などの学生もいる。


 「2018年の番組の影響は大きいですね。特に親世代は番組を見て自分の子供にもストリートダンスを習わせたいと通わせるケースが増えました。でも、ブレイクダンスは身体への負担が大きい、と子供には習わせたくない親が多いので、キッズクラスのブレイクダンスは今はありません。あと、アイドルオーディション番組の影響で『自分も憧れのアイドルみたいに踊れるようになりたい』と通う若い子も増えました」。ダンスバトル番組の影響だけでなく、アイドルオーディション番組の影響でダンスを習いたいと思う人がいたというのは意外だった。ただ、そのような若い人は実はちょっと残念な結果になることもあるのだとか。「番組の影響でダンスを始めた若い子の多くは、社会人1年目や大学生で、レッスン料が払えなくなって続かない人が少なくないんですよね」。番組放送以前は、会社員の中でも比較的収入が高く、生活に余裕のある人が多く通っていたのが、ここ最近の傾向として、全く新しいタイプの若い人が通うようになったという変化があるようだ。


 また、中国では余裕のある家庭では、子供に様々な習い事をさせるのが一般的で、ピアノなどの楽器や英語、バレエは以前から人気だ。親の中には、バレエは上級にいくにつれ体への負担が強くなるので、それなら比較的負担が少ないと思われるストリートダンスに通わせたいと考える人も少なくないようだ。「D7dance Studio」でもキッズのストリートダンスクラスの受講生は増えている。キッズクラスは、3歳から12歳までのクラス。「D7dance Studio」では、受講生の中から6人ずつ選び、小学生グループと幼稚園生グループの二組をつくり、一年をかけてトレーニングする。スクールのインストラクターが振り付けを考え、子供達に教える。2019年、初めてキッズ向けの中国の全国大会にその二組を送り込んだ。みごと二組とも上位の賞を得ることができた。


 今年5月、『这!就是街舞』と同じ配信サイトで、関連番組として、『师父!我要跳舞了(Let’s dance)』の放送が始まった。この番組は、5歳から12歳までのダンスを習っている15人の子供達が、共同生活を送りながらダンサーのお兄さん(『这!就是街舞』に出演していたダンサーたち)からレッスンを受けたり、バトルしたりというリアリティ番組。きっと、この番組が影響して、今後さらに自分の子供にストリートダンスを習わせる親が増えるのだろう。


 2018年の番組放送後、上海をはじめ、中国各地でダンススクールが増えたと語るchichi。ダンススクールの増加に対して、危機感などは持っていないのだろうか。「タピオカミルクティーのお店みたいな感じなんだと思うんです。どこにいってもタピオカミルクティーがあるみたいに、あちこちにダンススクールがあるというのが今の上海。でも、それってダンスが生活にとってなくてはならないもの、当たり前の存在になってきていることの現れでもあるのかなって。そういう意味では、とてもいいことだと思います。あとは、数を増やした結果、質が伴わずに倒産したスクールもあるので、最終的には質の高い、中身のあるダンススクールが残っていくんだと思います」。


 「これって日本のメディアに掲載されるんですよね? 知っていますか? ここ数年、中国では、日本でストリートダンスのレッスンを受けるのが流行っているんですよ。私の周りのストリートダンスを踊っているダンサーは、ほとんどが日本でレッスンを受けた経験があります」。chichiにそう言われた時、今回の記事には予定していなかった内容だっただけに、ただただびっくりした。と同時に、これは絶対に話を聞かなければと思った。


 chichiによると、2015年に上海のあるダンススタジオが、日本のストリートダンスのダンサーをよび、ワークショップを開催したのがきっかけになったとのこと。ワークショップを受講したダンサーがSNSでつぶやき、動画を流したことで「日本のダンサー、レベル高い!」「私も習いたい!」ということで、日本への旅行ついでに、ワークショップで教えていたダンサーが所属する日本のスクールに行きレッスンを受ける人が増えたということらしい。「しかも、予約が取りづらくなるほどに中国からレッスンを受ける人が増えた、という話も聞きました」。その後、スクール側は人数制限をするなどの対応策を取ったようだ。


 日本でレッスンを受けたダンサーは、帰国後に自分のダンスグループを作ったり、インストラクターとして教えたりしている人が少なくないとchichiは言う。ぜひ、日本でレッスンを受けた経験があるダンサーに話を聞きたいと思い、chichiに紹介してもらった。


 1987年四川省成都(せいと)生まれのダンサー兼コレオグラファーのIvan Wang(アイヴァン・ワン)は、現在上海を拠点に活動している。ストリートダンス歴は15年。メインで踊ってきたのは、アーバンダンス、ハウス、ポップなど。最近、自分の新しいダンスグループ・Vibe Boneを設立した。(注:「アーバン」という単語は、<リパブリック・レコード>やアメリカのダンサー、ショーン・エバリストらが最近、「今後はこのジャンル名を使わない」ことを提唱していたが、ここでは分かりやすくするために、あえて使わせていただく)


 初めてストリートダンスに触れたのは、成都で生活していた高校生の頃。同級生がストリートダンスを踊っているのを見て「かっこいい!自分も踊ってみたい」と思った。当時、成都にはストリートダンスを専門に教えるインストラクターはいなかったので、ラテンダンスのインストラクターの下でダンスの基礎を習った。卒業後、2005年に上海の大学に入学。大学ではストリートダンスサークルに所属。当時、上海で実力のあったストリートダンスグループのダンサーを先生に迎え、毎日のようにレッスンを受けた。


 2005年にすでにストリートダンスに接していたアイヴァンだが、彼によると当時、先生として指導してくれたダンサーたちはさらに10年以上ストリートダンスに接していたという。「私たちの世代は、中国のストリートダンス界の二代目みたいな感じでしょうか。当時は、ストリートダンスはまだ知られていなかったし、踊っている人も本当に少なかったです」。現在40代、50代の一代目のダンサーたちはほとんどがすでに踊ることをやめ、ダンス関係の会社を立ち上げたり、スクールを設立したりと別の形でストリートダンスに向き合っている人が多いようだ。


 きっと一代目のダンサーたちがストリートダンスを踊っていた当時は、さらに知名度はなかったのだろうと想像できる。彼らは誰から指導を受けていたのだろうか?「一代目のダンサーたちは、実は日本からダンサーを呼んで指導してもらっていたんですよ。アジアでストリートダンスが早く浸透し、実力のあるダンサーが揃っているのは、日本と韓国なんです。日本のダンサーは韓国に比べるとお願いしやすかったと聞いています」。このあたりの話は、全く知らなかった。中国のストリートダンスと日本は、実は密接な関係があったのだ。


 大学卒業後、アイヴァンは上海のダンスカンパニーに所属し、大学の専攻をいかした金融の仕事をしながらダンスインストラクターとして生活していた。その後、膝を痛めてしまい、4年ほどダンスから離れざるを得ない日々を送った。膝の故障が回復し、なんとか踊れるようになった2016年、その年に結成されたばかりのダンスグループに所属。様々な教室でダンス指導をしたり、コレオグラファーとして活動した。去年までそのグループに所属していたが、グループが商業路線で活動することに決めたことで方向性の違いを感じ、脱退を決めた。同じ考えのダンサーもアイヴァンと一緒に脱退し、アイヴァンのVibe Boneのメンバーとして再出発した。


 とはいえ、上海でダンサーだけで生活するにはやはりお金になる商業的な仕事も受けなければ続けていくのは難しい。ただ、Vibe Boneとしては、自分たちオリジナルのダンスを発表する場を持ち、ダンサー、コレオグラファーとして指導する場を得ながら、少しばかり商業的な仕事を受けられたらと考えている。


 ダンスグループと一言では言うけれど、果たして普段どのような活動をしているのだろうか。「大きく分けると、4つの活動内容になります。一つは、ダンススクールやダンス関係の組織のインストラクターとして指導すること。二つ目は、CMや広告などでダンスを踊る、または振り付けを担当する。芸能人のバックで踊る、振り付けをするなど、所謂、商業的な活動がこれにあたります。三つ目は、会社のイベントやお店のオープンイベントなどでダンスを披露すること。これも、商業的な活動ですね。四つ目は、ダンスを習いたい人への個人レッスン」。「有名人だと、台湾の歌手、蔡依林(ジョリン・ツァイ)のバックで踊った経験もありますよ」。上海では、近年のダンス熱も後押しして、ある程度、技術があり長くダンスを続けているダンサーは、ダンサーという職業だけで食べていけるだけの稼ぎが得られるようだ。


 長くストリートダンスを続けてきて、特に嬉しかった瞬間はあったのだろうか?「インターナショナルスクールの学生にダンス指導した時は、とても嬉しかったですね。彼らはみんなダンスが好きで、一生懸命レッスンを受けてくれたし、みんなで一つの作品を作り上げて完成させました。達成感とやりがいを感じた仕事でしたね」。15年ダンスを続けてきた彼が、そのようなシンプルな場面で喜びを感じていたことに、少し驚いた。彼は純粋に、ダンスを愛する人たちとオリジナルのダンスを作ることが好きで、そのような場を持ち続けたいと願っているのだろう。


 彼は2017年6月、初めて東京でダンスのレッスンを受けた。そのきっかけは、2016年、2017年、中国各地で受けたダンスキャンプだ。指導者の半分が中国のダンサーで、残りの4分の1が日本から招聘されたダンサーだった。彼らの実力を直に感じ、もっと彼らから習いたいと思った。なかでも、アジアのダンサーなら知らない人はいないという渋谷のダンススクールから招聘されたダンサーのスタイルには惹かれるものがあった。そのダンススクールに8カ月通い、毎日、6時間のレッスンを受けた。その後、大阪に渡り、別のダンススクールでも習い、約1年の日本でのダンス留学を終えて上海に帰国。「当時は、まだ中国から日本にレッスンにきている中国人は多くなかったですね。ちょうど私が帰国する直前、中国からの生徒が増えていったようです」。


 中国からの生徒が増えていった理由の一つには、当時、中国で流行っていたスタイルを専門に教えるスクールがいずれも日本にあったということのようだ。また、先述したようにすでにそのスクールでレッスンを受けたダンサーがSNS上で動画や写真を発信したことも中国からの生徒が増えた理由のようだ。


 アイヴァンは、日本のダンサーの指導方法は中国とは違うと語る。「日本では、力と動きの大きさを大切にしているように思います。とにかく、自分が出し切れる力を出しきり、大きな動きで完璧なダンスを見せることを目指すのが日本。一方の中国は、練習の時は力を入れて学ぶけれど、実際、本番になったらその場を楽しもうみたいになる。実際に日本でレッスンを受けて肌身で感じた違いです」。


 日本からのダンス留学を終えたアイヴァンは、その後、アメリカやヨーロッパでのダンス留学を経て、今年6月に初めて自分のダンスグループを設立した。新たなスタートを切ったアイヴァンに、「今後、中国のストリートダンスに期待することはあるか」と聞いた。「一人のダンサー、一人のダンスを愛する人間として望むことは、この業界がもっと多様化すればいいなということです。特に私のようにコレオグラファーとして活動しているダンサーは中国では少ないのと、あまり多くのスタイルが受け入れられない傾向にあります。流行りの振り付けだけが受け入れられるみたいな。“かっこいい”だけではない、もっと個性的な振り付け、ダンスが受け入れられるようになればいいなと思います」。


 中国のストリートダンス一代目、二代目は共に日本のダンサーから指導を受け、その経験を下の世代に繋げている。今はコロナの影響で中断しているが、ストリートダンスが育んだ両国の交流は、草の根ながら長期にわたり定着している。そこから新たな動きや話題が生まれるかもしれないと思うと、今後も目が離せない。


 次回の後編では、2018年の「ストリートダンス元年」の火付け役となった番組『这!就是街舞(Street Dance of China)』のアーティスティックディレクターと、シーズン3に出演するダンサーへのインタビューをお届けする。(小山ひとみ)